ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

「写真家チェ・ゲバラが見た世界」展 &チェ・ゲバラの広島& 映画『エルネスト』写真-3-

司令官になる前、僕は写真家だった

これは去年ブリュッセルの街角で撮ったウィンドーの写真です。チェ・ゲバラは今でも世界中で、超人気アイコンのひとつと言えますね。。

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そして没後50年ですって。映画制作はじめ様々な催しがありますが、

↓こちら↓SPYBOYさまが教えてくださったので、写真展に行ってきました。

『週末のTV番組』と『写真家チェ・ゲバラが見た世界』、それに『六本木の美女とパリの美女』:映画『ロスト・イン・パリ』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)

 

ゲバラは「司令官になる前、僕は写真家だった」と語っており、常にカメラが手元にあったそうです。

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http://che-guevara.jp/(*展示の写真は、ロビー以外撮影禁止です)

ところでチェ・ゲバラというと、このベレー帽をかぶった写真が有名ですが、これを撮影したのはキューバ人のカメラマン、アルベルト・コルダ氏で1960年3月5日、チェ・ゲバラ31歳のとき。

私が子どものころや学生時代は、若者たちがこぞってこの肖像の「革命家 チェ・ゲバラ」のTシャツを着ていたものです。「20世紀の世界における最も有名な写真」といわれているのもうなづけますね。

 チェ・ゲバラの本名は エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna、1928年 - 1967年)。この「チェ」というのは、親しみを込めた呼びかけ、「やあ」「おい」のような意味であり、ゲバラが自己紹介に「チェ。エルネスト・ゲバラだ」と言っていたことに由来する。しかしキューバ革命以降は、ラテンアメリカで「チェ」はゲバラ専用になり、「エル・チェ (El Che)」といえば、これだけでゲバラのことを指すということです。

https://i.pinimg.com/564x/0f/c4/e0/0fc4e0d4024cc2d26c4ef4426390b11a.jpgChe Guevara the photographer | Parasol Photography

 写真家とは本当に驚きました。写真は独学だったらしいですが、一時期アルゼンチンの通信社カメラマンとしても活動しており、展覧会ではパンアメリカン競技大会の報道写真が紹介されていました。

とはいえ、波瀾万丈で旅も移動も多いなかで失われた写真も数多く、今回公開された約240点の作品も、写真を預かっていた友人が届けてくれたものも含まれ、展覧会開催にこぎつけたということです。

南米旅行で数多く撮った遺跡や神殿①の写真のほか

https://parasolphotography.files.wordpress.com/2012/04/che6.jpg写真:同上)

キューバで大臣時代に撮った、建設現場や工場など産業施設の写真が興味深かったです。私自身そうした施設が好きなこともありますが、チェ・ゲバラは角度や光線に工夫をこらし、資料写真というよりアート作品になっています。

ご存知と思いますが、チェ・ゲバラはアルゼンチン生まれで裕福な両親のもと、のびのびと育てられました。喘息の持病があったからか、 ブエノスアイレス大学医学部に進学し、専門はアレルギーの研究でした。また学生時代は、友人とラテンアメリカの国々をモペッド(Moped、ペダル付きのオートバイ)で旅行し、見聞を広めました。

その後カストロ兄弟と知り合い、キューバ独裁政権を倒すため、ゲリラ闘争に身を投じます。大統領が亡命し、革命軍が首都ハバナを制圧したのが1959年キューバ国籍を取り、新政府内で大臣や国立銀行総裁の職に就きます。

下はこうした頃の視察写真の一枚で、のちにレポートとともに提出されたようです。

http://www.artribune.com/wp-content/uploads/2011/08/Cuba.jpg

Ernesto Guevara – Sviluppo industriale di Cuba – Cuba, 1961 – © Centro de Estudios Che Guevara

Con gli occhi della leggenda. Che Guevara fotografo | Artribune

 

③ダイナミックで好きな写真です。

http://www.artribune.com/wp-content/uploads/2011/08/Zapata.jpg

Ernesto Guevara – Penisola di Zapata, Matanzas – Cuba, 1959 – © Centro de Estudios Che Guevara(同上)

http://www.artribune.com/wp-content/uploads/2011/08/Autoritratto1.jpg

Ernesto Guevara – Autoritratto – © Centro de Estudios Che Guevara(同上)1964年タイにて

http://www.artribune.com/wp-content/uploads/2011/08/AutritrattoSilouette.jpg

Ernesto Guevara – Autoritratto – Cuba, 1959 – © Centro de Estudios Che Guevara

Con gli occhi della leggenda. Che Guevara fotografo | Artribune

〈写真①~⑤:展覧会出品作品〉

写真④⑤はセルフポートレートです。これはタイマーを使って撮っています。暗殺や戦闘で命を落とすこともあるかもしれないと考えて、意識的にポートレートを残しています。

チェ・ゲバラは1965年には、カストロキューバに別れを告げ、世界中の革命に手を貸そうとコンゴチェコボリビアなどに赴きます。

1967年ボリビアの密林で捕らえられ、大統領の命令で銃殺刑になりました。39歳でした。(ちなみに遺骨が発掘されたのは死後30年も経ってから。1997年遺骨はハバナに移送され、サンタクララの霊廟に収められた。)

 

家庭生活

二人目の妻アレイダさん(Aleida March)さんとのあいだに四人の子どもをもうけ、時間の許す限り家族との時間を大切にしました。

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私の父はチェ・ゲバラ。革命家の息子として、生きるということ

写真に写る子どものうち、左から二人目、長男カミーロ・ゲバラ・マルチ氏()は今月8日に初来日しました。この写真展のプレビューと広島での原爆死没者慰霊式(平和祈念式典)に参加するためです。

*1962年キューバ生まれ。モスクワ大学法学部卒業。弁護士資格を持つ。現在チェ・ゲバラ研究所のコーディネーター。

 

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チェ・ゲバラの広島訪問

広島を訪れていることも全く知りませんでした。キューバ革命から半年後、親善使節団団長として来日しました。

原爆死没者慰霊碑に献花。 

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ゲバラ撮影の原爆ドーム、潜伏中写真も 240点を展示:朝日新聞デジタル

朝日新聞に詳しいので引用します。

(略) 

ゲバラは革命成功直後の1959年、親善使節団の団長としてエジプト、インドなどを歴訪し、7月には日本を訪問。当初広島行きは予定にはなかったが、被爆地を見たいと広島に足を運び、平和記念公園で献花した。同行した副団長オマル・フェルナンデス氏によると、何百人もの原爆患者が苦しむ様子を病院で見たゲバラは、涙を流したという。

 腕や脚がもがれた患者にゲバラは「気分はどうですか」「頑張って生きて下さいね」と勇気づけ、フェルナンデス氏には、「世界の悲劇だ」と語ったという。

ゲバラは広島から妻宛てに絵はがきを送り、「平和のため断固闘うには、この地を訪れるべきだ」と書いた。言葉通りゲバラの親友故フィデル・カストロ前議長や、ゲバラの娘アレイダ氏が広島で慰霊している。

(略)

チェ・ゲバラの撮ったHIROSHIMAはこちら。

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Che Guevara’s 1959 photo of Hiroshima to be shown in Tokyo:The Asahi Shimbun

いつも たくさん写真を撮るのに、広島はこれともう一枚だけとのこと。広島では胸がつまる思いで過ごしていたのでしょう。

 

エルネスト もうひとりのゲバラ

http://eiga.k-img.com/images/movie/85425/photo/0bb95ed33d4177f5/320.jpg?1503285173

『エルネスト』(阪本順治監督)は日本とキューバの共同製作映画です。主役は日系ボリビア人で医学生フレディ・前村オダギリジョー)という、ボリビアゲバラの部隊に入り、一緒に戦って命を落とした人です。

この映画の冒頭に、ゲバラが広島で献花するシーンがあります。

 

「エルネスト」というのはフレディ・前村がチェ・ゲバラからもらった名前なのだそうです。それにしても、チェ・ゲバラカストロ役の俳優さんを見つけるのは骨が折れたことでしょう。特にこんな深い瞳を持った人なんて…。

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今日はここまでです。

最後に展覧会場の出口のメッセージボードを見てください。

皆さん思い思いの感想を書きこんでいました。

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この写真はSPYBOYさまの方がおもしろいです。見ればわかりますから(笑)。