フランスの右翼青年が好きだというヤマグチの写真 &「より良きころの夢」 ピュリツァー賞写真 -2-
前回に続いて今日も写真の話なのですが、まずみなさんに質問です。
オトヤ・ヤマグチと聞いてすぐわかりますか?
5月に読んだフランスL'OBS紙の記事にあった名前です。私はもちろんすぐにわかりませんでした。でもフランス人がわざわざ名前を挙げるのだから有名な写真なんだなとは思いましたけど。そして正体がわかって「あっ!」と驚きました。
このフランスの記事のことはしばらく忘れていたのですが、このところ写真展にいくつか行っているうちに思い出したので、今日の題材にします。
フランス大統領選挙のころ、ルペン候補(写真左から二人目)にしょっちゅうくっついて写真を撮っていた青年アレックス、右のカメラを持っている人です。SNSなどを通して表明する過激な発言から、右翼というよりネオナチと呼んでいいかなと思います。
Le jeune photographe de Marine Le Pen qui like le nazisme - 2 mai 2017 - L'Obs
かなり目立ちたがり屋のようです。でも写真を見るかぎりでは、優し気な面立ちの普通の青年に見えます。(記事内に写真がある)
記事によると「いつかヒーローになりたい」と思っているアレックスが好きだと言明している写真は、こちらです。
第2回 ピュリツァー賞と日本人 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
浅沼稲次郎暗殺事件
1960年10月12日、社会党書記長の浅沼稲次郎はスピーチをしていた壇上で、右翼活動家の山口二矢(やまぐち おとや、当時17歳)に刺殺されました。その決定的瞬間をとらえた写真です。
この日、日比谷公会堂では自民党・社会党・民社党の党首立ち会い演説会が開かれていました。浅沼委員長は自民党の選挙政策についての批判演説をおこないます。
(ウィキペディアから引用)
浅沼委員長が「選挙の際は、国民に評判の悪い政策は、全部伏せておいて、選挙で多数を占むると……」と言いかけた午後3時5分頃、山口が壇上に駆け昇り、持っていた刃渡り33センチメートルの銃剣で浅沼委員長の胸を2度突き刺した。浅沼委員長はよろめきながら数歩歩いたのち倒れ、駆けつけた側近に抱きかかえられてただちに病院に直行した。
内出血による出血多量で、ほぼ即死状態だったそうです。
山口二矢は現行犯逮捕されます。ポケットに入っていた紙にはこうありました。
汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。
自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。
ここに於て我、汝に対し天誅を下す。
(ウィキペディアから引用)
逮捕後のことば:「後悔はしていないが償いはする」。
取り調べでは理路整然と受け答えしていた。しかし拘留中に、シーツを裂いたもので首を吊って自殺。監房の壁には歯磨き粉を溶いた液体で、「七生報国 天皇陛下万才」(原文ママ)と書いてあった。
事件の衝撃と影響は大きかったようです。
山口の父親は自衛官(1等陸佐)でしたが、事件の3日後に心ならずも依願退職しました。右翼団体は山口を英雄視し、盛大な葬儀を行ったそうです。
事件を題材にした沢木耕太郎の『テロルの決算』や大江健三郎の小説『セヴンティーン』などが発表されました。
また「子供に刃物を持たせない運動」(刃物規制)が始まったのもこれがきっかけのようです。それまで鉛筆削りや工作に使われていた肥後守(ひごのかみ)などの刃物が子どもたちの手から取り上げられました。
毎日新聞社のカメラマンだった長尾氏は、この日、12枚撮りのフィルムパックをカメラに入れ、すでに11枚撮ったところで、事件が起こります。最後の一枚のフィルムで撮ったこの写真で1961年にピュリツァー賞を受賞。日本人として初でした。また世界報道写真大賞も受賞しました。生涯独身で暮らし、アパートで亡くなっているところを訪ねてきた知人に発見されたそうです。満78歳でした。
ピュリツァー賞②「より良きころの夢」
長尾氏の次にピュリツァー賞をもらったのは、前回記事の沢田教一氏。
そしてやはりベトナム戦争に取材した写真で、1968年にピュリツァー賞を受賞したのが 酒井 淑夫(さかいとしお、1940- 1999年)。
「より良きころの夢」 Dreams of Better Times
こんな静かな戦争写真もあるのですね。
1967年6月17日、泥沼化しているベトナムの戦場。どしゃぶりの雨のなか、ポンチョにくるまって仮眠をとる兵士。黒人青年でしょうか。このくらい強い雨だと攻撃はできず、お互いに「休止」するようです。それでも仲間がそばでライフルを持って見張りについています。
アメリカ兵にとっての恐怖は見えない敵です。どこから襲ってくるかわからないベトコン兵士、慣れない気候や密林での行軍、地雷、病気など…。それら全てからいっとき離れて兵士は眠ります。兵士のベッドは掩体(*えんたい)です。故郷アメリカの家族や友の夢を見ているでしょうか。そんな青年をカメラマンの酒井氏はそっと見守ります。
「より良きころの夢」…タイトルも秀逸です。
*掩体(えんたい):敵弾から身を守るために積み上げた土嚢 (どのう) や砂袋などの設備。類語として、掩体壕、掩蔽壕(えんぺいごう)。
UPI Pulitzer Prizes: The stories behind the pictures and words - UPI.com
酒井氏は1940年東京生まれ。明治大学政治経済学部を卒業して、はじめは現在の時事通信社に勤務しますが、1965年にアメリカのUPIへ。2年後1967年に自ら志願してベトナム戦争下のサイゴン支局に赴任し、取材活動を行いました。
ピュリツァー賞受賞の日本人カメラマンの写真はここまで。
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おまけ🐈
今日おかしかったこと。
掩体(えんたい)なんて使わない言葉だから、間違えるといけないのでネットでチェックしました。画像検索をしているとこのようなブログに行き当りました。
裾花という地名はありますが、駐屯地はなく、この名前は架空のもので、どうやら山登り関係のブログ(グループ)らしいです。
写真タイトル「個人用掩体」が素晴らしいと思ったし、猫の名前も澪1佐も笑えます。
でも何よりも驚いたのは我が家にも同じ「個人用掩体」があり、うちの猫も階級はまだありませんが、いつもここにはまっているのです。
ね、似ているでしょう?うちの子のほうが白い部分が多いのですが。
楽しい画像検索でした。
今日は終わります。ありがとうございました。