第一次大戦の終わりから100周年。だが非道な殺戮が再び始まるまであとたったの20年・・・
*11月15日 すみません💦今朝記事が消えてしまいました。
(昨日のエントリ)
みなさん、こんばんは。
ちょっと間が抜けてしまったんですが、今日は第一次大戦終結の日11月11日のことを。
The Trench of Death at Dixmude is the last remnant of the Belgian #WW1 trench system. A 0.6 mile-long network, the trench was just 55 yards from a German bunker. It was subjected to almost constant fire from German snipers and machine guns. #FlandersFields pic.twitter.com/sfqHEExE5r
— Flanders Fields (@FlandersWW1) 2018年1月12日
(写真はディクスミュード。 死の塹壕と呼ばれる)
100年前の11月11日は、第一次大戦の休戦記念日です。いつもこの日を心にとめています。
— Belgium in Japan (@BelgiumEmbJapan) November 11, 2018
On 11 November we remember the end of World War I, now 100 years ago. We will always remember. #FlandersFields 🌺 #RemembranceDay #Armistice pic.twitter.com/7HzkD8SsRB
https://www.demorgen.be/fotografie/de-wereld-staat-stil-bij-100-jaar-wapenstilstand-f4e4d20d/
先日11日、ヨーロッパ各地で100周年の大規模な追悼式典があった。もう4年のあいだ、つまり2014年の勃発100年から毎日毎日、ヨーロッパの各紙は紙上で特集コーナーを設け、「100年前の今日はどこそこで戦闘があり…」と回顧してきた。「大戦争」と呼ばれた第一次大戦はまさに大規模な殺戮戦争。大戦を通しての戦死者は少なくとも1600万人(非戦闘員700万以上)と言われている。ヨーロッパ全土、そして義勇軍や志願兵としてやってきたアメリカ・アフリカ大陸の人たちにとって重い記憶だ。フランスのために戦った中国人やカナダの日本人(志願兵)のことも忘れてはならないだろう。
激戦地はあちこちにあるが、小国ベルギーは特に苦しめられた。ツェッペリン号からの空襲や毒ガス攻撃については、普段の平和な生活のなかでもベルギー人が繰り返し口にすることだ。第二次じゃなく第一次大戦の話が頻繁に出るので、私は学生だったころ驚いたものだが、ヨーロッパの各家庭にはこの戦争で亡くなった人が一人ならずいることを考えれば当然だろう。何でもすぐに忘れてしまう日本人のほうがおかしいと思う。
ベルギー・イーペルでの毒ガス・・・これが初の大規模化学兵器使用例となった。1915年4月のことである。大戦の戦死者1600万人のうち1%、およそ16万人が毒ガスの犠牲になったと推定される。これを開発したのは皆さんもご存じ、ドイツ人科学者フリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868-1934)で、なんと呆れたことにのちにノーベル化学賞を受賞するのであるが、ヨーロッパ中で抗議のデモが起こったという。
ハーバーは陸軍幹部を説き伏せるのにこのように言っている。長引く戦争を早く終結させるのに化学兵器は効果的だ。むしろ兵士の命を救う人道的な兵器だと。(アメリカ側の原爆投下の理由と同じですね)
妻のクララも科学者で夫の研究を手伝っていたが、戦争に使うことには反対で、2015年自ら軍用ピストルを手に取り、人生を終わらせた。
The Father Of Poison Gas - Fritz Haber I WHO DID WHAT IN WW1? - YouTube
(↑5分でまとめてあるわかりやすいハーバーの紹介ビデオ)
戦争は終わるどころか、連合国軍側も競うように毒ガスを開発し、防毒マスクを完備し、大砲に詰めてドイツ側を攻撃する。フランドル地域で伝令だったヒトラー(*)もこのとき毒ガス攻撃を受けたと『我が闘争』の中に書いている。
*過去記事:去年の同じ時期もこのテーマを扱ったので参考までに。
人骨も兵器も潜水艦も何でも!
今でもヨーロッパ各地で見つかり、そのたびに紙面を飾るので第一次大戦は身近に感じている。そして稀ではあるが遺骨の身元が判明し、末裔に引き渡すというドラマティックなエピソードが混じると100年後の私たちも胸があつくなる。執念のごとき地道な作業にも頭が下がる思いだ。
フランドル地方でこの夏、考古学者らが遺骨を発見という記事。
(↑写真はベルギー・オランダ語放送のビデオから切り抜いている)
ニュージーランドから「大叔父」の遺骨を引き取りにきた男性。どんな思いだろうか。
他の記事。
今年5月、イーペルの泥の中から300体の遺骨発見。
https://www.demorgen.be/binnenland/archeologen-halen-driehonderd-lichamen-uit-ieperse-klei-be4c82ee/
また先日私がフォローしているオランダ人ジャーナリストの方から教えてもらったのだが、「日本人の英軍兵士」の話が興味深い。
Fascinating story about a Japanese national who became a decorated war hero for Britain in #WWI and whose grandchildren are Dutch
— Kjeld Duits (@KjeldDuits) November 12, 2018
Via @justinmccurryhttps://t.co/itDS6UKroh
1891年横浜生まれのHarry Fusao O'Hara氏。早稲田大学で学び、海外特派員としてインドに赴き、戦争が勃発すると志願して英空軍へ。初めはメカニック、そのあと唯一の日本人英軍パイロットとして空を飛ぶも、負傷70回というツワモノ。
イギリス人女性と結婚して現在子孫もいらっしゃる。O'Hara氏は第二次大戦の6年後癌で亡くなったとのこと。
王室空軍博物館にポートレートが飾られているが、ここまで来るのにどれ程の道のりがあったか。つまり叙勲のことではなく、人種差別という意味で。
興味のある方はどうぞ記事Japanese national became decorated war hero for Britain in WWIをお読みください。易しい英語で書かれています。
ドイツの100周年展示
#instantané installation artistique "plus jamais ça" à l'occasion du #Centenaire1418 dans le centre ville de #Munich #Deutschland 🇩🇪📷 pic.twitter.com/3kbwMRHQKT
— Ludovic Marin (@ludovic_marin) November 20, 2018
最後に
雨に濡れるのが嫌だから、と記念式典をすっぽかす困ったちゃんトランプ。
Amazing photograph of the Queen at Sunday's 100 year commemoration of the end of the 1st World War.
— Stone Cold (@stonecold2050) November 14, 2018
A photo TRULY is worth a 1000 words. pic.twitter.com/wn89CKUEq4
🌸続き WW1その2
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すっかりあわててしまいましたが、消えた記事は仕方がありません。どうしてかわからないのが問題ですけど。せっかくみなさんが書いてくださったのでブクマ欄を貼っておきます。いつもありがとうございます。
メモ
東京新聞朝刊 11月26日