衝撃と奇跡の絵本『キツネ』再び。「私が目になるからあなたは脚に」

忘れ難い絵本 衝撃と奇跡の『キツネ』

以前マミーさんマミー (id:mamichansan)から教えてもらった絵本を、今日は再度とりあげてみようと思っている。ワイルド作、ブルックス絵の『キツネ』(2001年・オーストラリア)ーこのコンビでなくては成功しえなかった絵本である。世界中の多くの言語に翻訳され、大きな反響を呼び、大学などの授業でも使われ、教育学・文学・心理学専攻の学生たちにも広く読まれている。

キツネ

キツネ

 

絵本って子供の読むものでしょ?なんて思ったら大間違い。絵本や童話、昔話などには単純な教訓以上の、深く考えさせられる内容のものはいくらでもある。

この『キツネ』について旧絵本ブログ(=「子どもの領分」)で扱うと、コメントが40にものぼったほか、この本を自身のブログで扱ってくれた方々もいらして、あのころの熱さや興奮は今でも忘れられない。絵本ブログは閉鎖したが、記事のいくつかは縮めて当ブログに転載してある。Fox (Margaret Wild & Ron Brooks)衝撃の絵本『キツネ』 

『キツネ』(続)水の中のナイフ+コメント集 

さきほど「衝撃と奇跡の~」と書いた「衝撃」のほうはストーリー、「奇跡」のほうは原作者マーガレット・ワイルドの物語を完ぺきに理解し絵として表現したロン・ブルックスの手腕である。表紙をめくっただけでただならぬ不気味な雰囲気を感じる。全体として暗い背景に、直線の引っ掻き傷のようなタッチで絵が描かれている。タスマニア在住のブルックスは森林火災や過酷な自然を熟知しているので、ただ美しいだけの、のどかな自然は描かないのだろう。

何よりも驚くのはテキストで、子どもが書いたようなちぐはぐの文字、その上文字列も水平だったり垂直だったりする。最初のページで感じた胸騒ぎのまま、ざわざわと落ち着かない気分で息を殺し、読み進むことになる。(ブルックスは文字は利き手でない左手で書いたと言っている)

 

ストーリー

(簡単に)

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山火事のあとの森で、イヌとカササギが出会う。イヌは片目が見えず、カササギは羽が焼けて飛べなくなっている。初めは頑なだったカササギもイヌと一緒に暮らすことで互いに助け合えることがわかり、ハンディキャップのある者同士、強いきずなで結ばれる。カササギはイヌの目になり、イヌはカササギの羽になるのだ。

Fly, Dog, Fly!

I will be your missing eye, and you will be my wings.

 イヌの背に乗って走ると、風がカササギの体を通り抜け、まるで羽が生えて飛んでいるみたいに感じる。そうした幸せな季節がめぐって、ある日キツネが現れる。キツネは赤い美しい毛皮をまとい、傷ひとつない完璧な肢体である。

それが現れたとき、(原文He flickers through the trees like a tongue of fire ...)「木々の間から火の舌のように赤い体がチラチラ見え隠れしている」。今後の展開を予想させる不気味で美しい比喩。テキストはことばが選び抜かれ、簡潔で力強い。

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善良なイヌはキツネを自分たちの洞穴に迎え入れる。カササギは危険を感じ、不安でならない。イヌがいないところでキツネはカササギを言葉巧みに誘う。自分はイヌよりもっと速く走れる。風よりも速く走れるのだ。イヌを置いて自分と一緒においで、と。

カササギはイヌを置いていけないと断るが、三度目に誘惑に負けてしまう。ある日、イヌの背に乗っているとき「こんなのは飛ぶことじゃない。わたしは飛びたいのだ。かつて羽があったときみたいに」と思ったのである。

キツネの背に乗って有頂天のカササギ。ビュンビュンと文字通り飛ぶように走り、砂漠の果てくらい遠くまでやってきた。するとキツネはまるで蚤(のみ)でも払いのけるかのようにカササギをふり降ろすと、こう言い放つのだった。「これでおまえもイヌもひとりぼっちがどういうものか、わかるだろうよ。」

残されたカササギは絶望しながらもイヌのことを思い、洞穴を目指して歩き出す。(終)

・・・

オープン・エンディングでお話は幕を閉める。その後、皆さんと議論したり分析したりして作品の理解を深めていった。あれから3年たち、私も少し成長し今は別のエンディングを考えている。以前はキツネのサイコパス的な面、嫉妬や羨望などに目が行った。イヌとカササギみたいに幸せになりたいと願うのではなく、あいつらが自分と同じくらい孤独で不幸になればといい、ひきずりおろしてやろうと考えるキツネだ。でもちょっと見回せば私たちの周りにもこういう人はたくさんいる。執拗に攻撃して相手を貶め、そうすることで自分の妬みを鎮め満足するようなふるまいは、社会の病巣のようにあちこちで見られる。また、誘惑に負けてしまうカササギだってどこにでもいる。新奇なものや刺激的な派手なものに憧れて、あるいは騙されて大切なものを見失う。かけがえのないものを失ってから気づく愚かさ。私たちそのものじゃないだろうか。

この本についての書評に「7歳以下にはお薦めしたくない絵本かも」(英ガーディアン紙)というくだりがあった。それを書いた人はたぶん後味のよくない読後感を抱いたにちがいない。自分の子どもに読ませたくないだろう。その線で行くと私は「マッチ売りの少女」もちょっときつい。アンデルセンは暗すぎて、大人の私にはおもしろいけれども子どもには薦めたくないと正直思っている。

でも私は今回イヌのことを考えてみようと思う。もし私がイヌだったら?皆さんがイヌだったら?裏切ったな、カササギのやつ許さないぞ!と思うだろうか。別のパートナーを探すさと自分を慰める?それもいいね。だけど私がイヌだったら、起きたときにカササギがいないのがわかったとき、探しにいくのではないかと思う。片目が見えなくてももう一つの目はあるし、何よりもイヌは鼻がきくのだ。あなどっては困る。まだ匂いは残っている。カササギとキツネのあとを追っていく。キツネが走れる距離はイヌだって大丈夫なはずだ。大切なカササギ、自分の片割れのような存在、長いこと友情を育んできたんだ。そうしてイヌは長い距離を走っていき、ついに向こうからよちよち歩いてくる、それともぴょんぴょん跳ねながら少しずつ近づいてくるカササギと出会う。カササギは涙にくれ、一部始終を語り…(省略)。

 

ハッピーエンドを考えたら心が軽くなり、ホッとした。最近でも時々どうしたことか私の過去記事キツネを訪問する人がいる。そのたびにマミーさんやshell (id:shellbody)シェルさんたち皆さんのことを思い出す。

そんな皆さんに今日はこのステキなお話を贈ります。

 

「私が目になるからあなたは脚になって」

people.com

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メラニーさんは生まれつき足にハンディがあるが、子どものころから家族といっしょにキャンプを楽しんで育った。男性のほうは5年前に視力を失ったそうで、趣味は山登りだった。そうした二人がスポーツ施設で知り合い、お互いが好きになってこの「ドリームチーム」を結成する。発案者はメラニーさん

“He’s the legs, I’m the eyes — boom! Together, we’re the dream team.”

二人で大自然と登山を楽しんでいるのだという。

最近読んだ最も心温まる記事。

では皆さん今日はこの辺で。連休を楽しんでくださいね~!

 

youtubeに読み聞かせを載せている方がいますね。

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