統計や数字は上げられないが、テロの襲撃事件と死傷者数はここ数年でぐんと増えた、さらに増え続けていくような印象を持っている。また昨日と今日も、イラクとサウジアラビア3都市でテロが起きたようだ。毎日毎日TV・新聞などの報道で事件を知り、気持ちが塞ぐ。
写真は、ベルギーの連続テロのあと、広場に置かれたもの。ここで写真を撮って「自分は生きているよ(”Je suis vivant”と鏡の上部に書いてある)」と家族や友人にメールを送ってね、ということらしい。
やり場のない憤り
バングラデシュのダッカで犠牲になった、7人のご遺体が羽田空港に到着する様子をTVで見た。悲痛と怒りでことばもない。あの国のために出かけていって働いていた志高き人々なのに。イタリアの9人のかたがたの写真も、イタリアの新聞で見た。妊娠中で母国で出産しようと、数時間後には飛行機にのる予定だった女性。その送別会に集まった親しい仲間たち…。
現場はHoley Artisan Bakery(下の地図)
Bangladesh attack: Shock over 'elite' Holey Cafe suspects - BBC News
地図上ですぐ左にロシア大使館、川を渡ると日本大使館、アメリカ大使館、それに日本人学校もあるという。
今朝のフジTVなどの報道では、事件後、救出された現場飲食店のコックと、犯人らの大学の(元)教授がグルだった可能性もあると取り調べを進めている、ということだ。入念に計画されたかもしれない。
私が今回のテロで一番怖いのは、ISが「アジアでの勢力拡大」をもくろんでいるふしがあること。朝日新聞7月4日付け記事から部分引用。
ISは4月、ネット上の英文機関誌に、ISのバングラデシュ司令官とされる人物のインタビュー記事を掲載した。
バングラデシュ政府や軍への敵意をあらわにした上で、同国が「世界的な聖戦(ジハード)を遂行する上で地政学的に重要だ」と主張。
「イスラム教徒に戦いを仕掛けてきたインドのヒンドゥー教徒が標的だ」とし、バングラデシュをインドに対する攻撃の拠点とする構想を語った。・・・
若者たちの迷走
今回の犯人7人のなかに、裕福で教育のある若者たちが含まれていることも驚きをもって見られた。しかしISに惹きつけられる若者の動機は、実に多種多様なのだと思う。貧困、失業、過激思想だけでなく、社会で孤立し、居場所がみつけられず、誘われるまま安易に、それこそ部活に入るくらいの軽い気持ちで動く若者も多いようだ。
西洋社会では差別による無力感も大きい。履歴書をいくら出してもアラブ名だと、面接にはよんでもらえない。これには社会学者(訂正:経済学者の間違いでした。7月11日)がおこなった実験結果もあって、発表されたときの衝撃は大きかった。(別の機会に紹介したい。追記:こちらの記事7月12日↓)
オバマ氏は面接にも呼ばれないかもしれない Islamophobia テロ関連-3- - ベルギーの密かな愉しみ
世代間のギャップもある。親たち年輩者は、現代の若者が理解できない。自分らは苦労したが、子供達には何一つ不自由させなかったつもりだ。それなのに、なんという怠け者ばかりか。自分らはあの年代ではとっくに自立していたのに。困ったものだ。
子供にしてみれば、勉強しろ、職を見つけろ、といわれてもそんなに簡単じゃないのだ。イスラム教の指導者(各地域、モスクごとにいる)にしても教条的なことを繰り返すばかりで、若者が今抱えている悩みや問題に向き合ってくれる人は少ない。だれにも理解してもらえず、孤立を深めているとき、インターネットやyoutubeで仲間にならないかと誘われる。
ISはずる賢い。戦闘員としてヨーロッパの都市に送り返すとき、イスラム教を熱心に信仰していないふりをさせる。たとえば酒は禁止なはずだが、ラッパ飲みしているところを周囲に見せておく。麻薬も今どきの若者と同じように、少量程度やらせる。つまり目標達成のためなら、禁じられていることも手段として許される、とISは説く。
こうして過激思想になど染まっていないこと、シリアに渡ったのはちょっとした間違いだったと後悔している。そんなふうに親や周囲の目を欺いておいて、やはり戦闘地帰りの仲間とテロの襲撃に走るのだ。
(写真は3月27日、テロ後初めての日曜ミサ。ブリュッセル)
私がバングラデシュと聞いて思い浮かぶもの…うーん、大変に少ない。『バングラデシュ・コンサート』(The Concert for Bangla Desh)は有名だな。ジョージ・ハリスン(George Harrison)のチャリティ、バングラデシュ難民を救済するための1971年のコンサートである。
そういえば旅行中に何人か出会ったことも。「バングラデシュは世界で一番貧乏な国です」と青年が笑顔で言うので、ついこちらもつられて笑ってしまった。私は地理上の場所がわからなくて恥ずかしかったのだが、親切に教えてくれた。
1970年代は貧乏旅行をしていたので、安い南回りの飛行機を利用していた。パキスタン航空によく乗ったが、カラチで一泊して翌朝また飛ぶルートがあった。(ホテル代は航空会社持ち)。この飛行機に乗る人は、ほとんどがパキスタンとバングラデシュ、またはインド人だった。
狙い撃ち・・・
テロの話にもどる。やっぱり、そうだったの。狙い撃ち?信じたくなかった。去年から恐れていたことだった。日本の悪夢は始まったばかりかもしれない。
実行犯は現地語を話す若者たちで「外国人と異教徒を殺すために来た」と繰り返した。事務所に人がいると気付くと、日本人を残しバングラデシュ人は出るよう指示。その後、銃声が聞こえた。(下、日経新聞から引用)
さらに、バングラデシュのテロ事件の実行犯一人が、昨年10月の邦人殺害に関与した疑いがあるという。(本日付け、朝日新聞)
旅行をしていると感じることだが、日本人はアラブ人・イスラム教徒の間ではかなり人気だといえる。旅先としてはエジプトしか行ってはいないのだが、ヨーロッパどこの国にも移民や出稼ぎ労働者や、そしてベルギー・フランスだと留学生も多くいるわけで、皮膚感覚として友好的な感情、時にとまどうほど強い日本愛(サブカルチャー起因)を感じる。そうしたアラブ諸国(民)との大切な関係、国際的にも日本が占めていた稀有な立ち位置もすでに失われたのかもしれない。
覆水盆に返らず。
昨年の首相の中東歴訪である。「対イスラム国」対策の支援金(難民支援とは言っているものの)やイスラエル訪問(アラブ人の反発)、強い非難のメッセージなど、あのころ外国の新聞でも「行きすぎじゃないか。そんなに存在感を示したいのか」のような意見が出ていた。危ない橋を渡っているのが見えていたのだろう。
そしてこれからもずっと私は心配する。海外で働く邦人、留学生、ボランティア、ジャーナリスト、観光客、みなの命を危険にさらすことにならないかと。非常な恐れを感じる。
(テロのあと。3月27日、ブリュッセル)
IS(イスラム国、またはDaesh)に走る若者たち
【ダッカ時事】日本人7人を含む人質20人が犠牲になった飲食店襲撃事件が起きたバングラデシュで、150人以上の若者の行方が分からなくなっていることが6日、警察関係者への取材で分かった。
一部はシリアやイラクなどに渡って過激派組織「イスラム国」(IS)の活動に参加しているとみられ、ISの過激思想が浸透している事態に懸念が強まっている。
警察関係者によると、バングラデシュ全土で近年、多くの若者が姿を消しており、親族などが警察に捜索願を提出。警察はこれまで行方不明者の統計を作成していなかったが、首都ダッカでの飲食店襲撃事件を受けて作成を開始した。(Yahoo!ニュースより引用)
若者多数、中東でIS参加か=150人行方不明―バングラ (時事通信) - Yahoo!ニュース
今回の事件で次々に出てくる情報、たとえば人質に「内通者」が複数いたのでは、とか、犯人らはよく訓練され、周到に練られた計画だったなど。知れば知るほど無念さと怒りは募る。そして上記記事によると150人?!テロリスト候補生がこんなにもいるのだ。もっと多いかも。
ベルギーではイスラム過激派組織に加わった人数がおよそ500人と言われており、人口比でヨーロッパ最多だそう。
(テロのあとのブリュッセルの日常)
犯人の素顔
www.demorgen.be(オランダ語新聞からざっくりまとめ)
素敵な笑顔の青年。
Nibrasは陽気なやつで、ジョークを飛ばし、女子にも人気だった。なのについ先日、ダッカのレストランで外国人を無慈悲にも殺してまわったのだ。育ちの良いエリート青年がなぜこんなことを。
サッカー好きで、リヴァプール(Liverpool Football Club)のファン。インドの映画女優のファンでもあった。友人たちとの自撮り写真もたくさん公開している。
2014年まで彼女がいたが、どうも破局したらしい。そして突然マレーシアへ留学すると言い出した。年間の学費が9000ドル(8125ユーロ)、これはバングラデシュの労働者の平均年収の6倍という大変な金額である。
ところがマレーシアで彼に大きな変化が起こる。宗教心に目覚め、友人たちからも距離を置くようになり、「永久にさようなら」という言葉を残してキャンパスを去った。IS戦闘員の男のフォロワーだったと大学の仲間は言う。その後、どうやって過激主義に染まり、血の海の殺戮事件を起こすにいたったかは、今はまだわかっていない。
ラマダン(断食月)の終わりーー Eid al-Fitr。(写真が興味深い。)
手の写真はHENNA(ヘナ)という、消える入れ墨のようなもので、アラブ諸国、インドなどで行われる女性のおしゃれ。よくは知らないのだが、移民学校時代にクラスメートのアラブ人友に見せてもらった。ちょっとヒリヒリするんだって。2週間くらいで消えるらしい。
でもラマダンの間に、400人もの命が奪われたことを忘れてはいけない。
🌸おなじみKroll(クロル)さんのひとこま漫画。(ベルギー仏語紙)
その1.
説明なくてもわかりますね。飛行機での旅、50年前と今。
みなさん、夏休みに海外へ出る際は、保険は必ずかけましょう。テロに巻き込まれないまでも、変更を余儀なくされた場合など、払い戻しがありますよ。
私は次に出かけるときは、アラビア語を少し習ってから行こうとマジで思っています。
その2.
これも説明はいらないですね。イギリスのビフォア・アフター(Before-After)。ブリテン島は北のスコットランドが離れていき、南は二つに別れています。
右=jeunes若者たち, 左=vieux年寄り連中、および plus pauvresより貧乏な人たち。北アイルランドはご覧の通りです!