高木姉妹が合計五個のメダルという快挙!
すごかったなあ。 そしてその傍らにいつもいたオランダ人コーチから目が離せなかった。オランダから招聘したコーチ ヨハン・デ・ヴィット(Johan de Wit) と ロビン・デルクス(DERKS Robin (スピードスケート) - 平昌オリンピック2018 - JOC)のこと。心からお礼を言いたい。外野がこんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど。
ヨハン・コーチ(38歳)は強化リンクのある帯広を拠点に、1年のうち10カ月余りを指導し、日本チームと共に歩んできた。妻も来日しており、息子Moos君は日本生まれ。現在はオランダに戻っている。彼は帯広の地がとても気にいっているそうだ。
平昌五輪への態勢を整えてから、指導を受けた女子選手たちの進歩は目覚ましい。オランダでは 'De meiden van De Wit'(デ・ヴィットの娘たち。ここで娘とは「女の子」という意味)と呼ばれているとか。
オランダでの報道もここ1年で日本に関するものがぐんと増えて、賞賛のことばも惜しまず「今や日本はスケート王国」などという記事タイトルが踊るほどに。
昨日の金メダルをかけたレースのあと、画面に左で飛びあがっているヨハン・コーチが見えた。↓
そしてすぐに駆け寄って祝福する。
ヨハン・コーチはどんないきさつで日本に来たのだろうか。インタビューによると、背中を押してくれたのは病床の母親だと言う。私のことはいいから、このチャンスをつかんでちょうだい、でないともう二度とチャンスはやってこないわよ。意を決して2015年、未知の国日本に向かったのだ。
2015年4月のオランダの記事にはすでに、
De Wit allroundcoach in Japan | Schaatsen.nl
コーチのヨハンが日本スケート連盟の招聘で3シーズン、日本で「オールラウンダー」を育成すべく移籍する。日本のほかドイツからも招聘があったが日本行きを決断。
「母は正しかった」と言う。彼はオランダで8年コーチをしていたのだが、トップアスリートを続けて指導することはなかった。なにせアスリートもコーチも多いスケート王国オランダである。コーチとして更なる成長を目指したい。日本行きは大きな賭けであったが、またとないステップアップであっただろう。これからのコーチ人生にも幸あれ!
(レース後NOSのインタビューに答える。めちゃくちゃ嬉しいと言っているのだが、残念ながらもうビデオが見られなくなってる😢)
まさに歴史的快挙ともいえるパシュート女子の金メダル。そして2.53,89.というオリンピック記録。4年前の屈辱を胸に、選手たちの努力も並みではなかったと思うが、オランダ流のモダンな技術指導が実を結んだのだろう。
もう、凄すぎる!とコーチは興奮気味。レースの途中、ヤバい、ダメかな?とドキドキした瞬間があったけど、うまくいった。ぼくら日本のチームの強みは、息をピッタリあわせて滑れる選手が3人、4人、5人といること。そこがオランダとの違いかな。
本当は高木は1500でも金を取れたはずなんだが、ヴュストに持っていかれ残念。でもパシュートで自分の本来の力を見せつけて金メダルを奪うことができた。
https://nos.nl/pyeongchang2018/artikel/2218623-gouden-coach-de-wit-dit-is-gewoon-te-gek.html
↑NOSの写真から。日本とアメリカは大喜び、オランダはがっかりの図。
★参考にしたオランダの記事
Japans schaatssucces maakt coach De Wit emotioneel | NOS
https://www.ad.nl/schaatsen/hoe-de-wit-het-japanse-schaatsen-uit-het-slop-trekt~a50faa97/
五輪初の種目 マススタート まず女子から。
㊗高木菜那選手 金メダル。悔しがっているのはこちら Irene Schouten(イレーヌ・スハウテン*註)選手。マススタートでは様々な大会で優勝している経験豊富な選手で今回も優勝候補の一人だった。
Schouten verovert olympisch brons op massastart - Olympische Winterspelen 2018 | NOS
今回の決勝にはオランダ人はもう一人 、Annouk van der Weijden(アヌーク・ファン・デア・ウェイデン)も進んだ。ところがアヌークは転んで足を痛めてしまい、あらかじめ計画した通りには展開できなかった。
高木らのコーチ、ヨハン・デ・ウィットは、レースの何日か前にイレーヌといろいろ話をしたと言っている。なんとヨハンは以前イレーヌとアヌーク二人のコーチだったのである。二人のことは選手として知りつくしているし、今大会でもよく練習を見ていたらしい。NOSのインタビュアーが「ヨハンは心理戦を仕掛けてきたのかな」と言うとイレーヌも「そうかもね」と答えた。
(レース後、NOSのカメラは談笑しているヨハンコーチをわざわざ映し出している)
イレーヌの後ろに高木をぴったりつける作戦が功を奏した。頭を使う競技なんだなと思った。駆け引きがたまらなくおもしろい。陸上マラソンと自転車競技を組み合わせたような…。
ビデオを改めて見ると、イレーヌはゴール前ちょっと態勢を崩している。焦りとショックがあったのだろうか。この銅メダルはオランダの19個目のメダルとなった。
https://www.ad.nl/andere-sporten/live-olympisch-debuut-voor-het-onderdeel-massastart~a5731572/
*註 :日本電産のpdf↓に写真があります。右端ヨハン・コーチ、その隣イレーヌ、真ん中の女性アヌーク。https://www.nidec.com/~/media/nidec-com/news/2014/0530-01/140530-01.pdf
オランダはソチ五輪では、スピードスケート男女計12種目36個のメダルのうち、23個のメダルを獲得した。今回は少し減って20個で、金は8個である。さすがスケート王国。日本はスピードスケートでは6個。すばらしい!この大躍進はオランダのおかげでもある。
バート・スウィングス選手 おめでとう!
さてマススタート男子は、驚いたことにベルギー人選手が銀メダルを獲得した。(オランダ銅。)
SILVER MEDAL for @bartswings!!! This is history!!!#massstart #PyeongChang2018 #TeamBelgium pic.twitter.com/8l6qAZEDp6
— Team Belgium (@teambelgium) 2018年2月24日
ベルギー国内は歓喜に沸いた。今大会唯一のメダル。「唯一のメダル」といえば私は2006年トリノオリンピックの、荒川静香選手金メダルを思い出す。日本はこれ1個だけだった。
だがベルギーの場合、ここに「20年ぶりの」という形容がつく。1998年に長野オリンピックでスピードスケート5000mで男子選手が銅メダルをもらって以来なのだ。
しかも話はここで終わらない。下のオランダ・フォルクスクラント紙によると「本当は( 'echte' )70年ぶり」なのだという。なぜなら先ほどの銅メダルの選手は実はオランダ生まれで、ベルギーの国籍を取ってオリンピックに出場したからだ。
70年前というと、1948年スイスのサンモリッツ・オリンピックで、戦後初めての大会だ。1940年、44年は第二次世界大戦のため中止だった。
サンモリッツ五輪は、1948年1月30日から2月8日まで開催された。どんな国が出ているか見てみよう。
今大会、羽生結弦選手が「66年ぶりに連覇」したことがビッグニュースだったが、そのアメリカ人選手ディック・バトン氏は、この1948年サンモリッツ大会で最初の金、次の52年オスロ大会で連覇したのであった。サンモリッツではベルギーはフィギュアスケート男女が金、ボブスレーが銀メダルだった。
70年ぶりに銀メダルをもらったスウィングス選手ってどんな人?
バート・スウィングスは1991年生まれ。インラインスケートのスピード競技の選手である。インラインでは数多くの輝かしい成績を収めている。8年前から氷上のスピードスケートを始め、2014年ソチでは(*ウィキペディアから切り取り)
5000m4位(ちなみに1~3位をオランダが独占)10000m5位…とすばらしい!
そして平昌五輪では、マススケート銀メダルのほか、このような好成績。
「夢がかなった」と喜びもひとしお。それもそのはず。ベルギーではスピードスケートを練習するリンクもなく、切磋琢磨する仲間もいないため、もう一つのスケート王国ノルウェーに練習拠点をおいていた。
Swings na zilveren medaille: "Dit is een droom die uitkomt" | nieuws | De Morgen
さらに学業もある。現在は工学部の修士課程に在籍している。学業とスケート、これをここまで両立させてきているのも、本人の努力以外に、コーチやサポートチームの協力と大学の教授らが実習などを個別に許可してくれる環境があるのだという。
スポンサーもいくつかついているし、フランダース政府からの資金もあるので、いわば「事業主」のようにそれらを賢く使っている。例えば安い航空会社を利用したり、民泊に泊ることもあるという。
理系の人は違うな、と私が思ったのは、ピーキングを重要視しており、練習プログラムをコーチと共に綿密に工夫していること。ひとりぼっちで孤独なのかと思いきや、オランダ人選手より有利な点もあるという。つまりオランダは選手層が厚く、オリンピック代表選考のために全力でレースをしなければならない。だからどうしてもピーキングが五輪以前の大会に設定されてしまう。
一方、スウィングスは国内にライバルもいないので代表争いもなく、平昌でピークが来るように少しずつ調子を上げていけばよかったと話す。今後の活躍も楽しみだ。
Bart Swings is meer dan alleen een topsporter - Ondernemen Online
*オランダ・ベルギーの様々な記事を参照に簡単にまとめました。
追記:オランダからまとまった記事が出ている。ヨハンコーチの大活躍について。インタビューも二つ。
Prachtige ceremonie gehad gisteren in Tokyo. Heel veel pers en publiek om de toppers te zien. Vandaag vliegen we naar Nederland. Eindelijk even lekker thuis!! Lekker schaatsen!!! pic.twitter.com/KQTGi2wB5T
— Johan (@Jdewitalkmaar) 2018年2月28日
Ontzettend blij en vereerd dat ik de komende vier jaar coach van Japan mag blijven. The story continues!! 💪🏻💪🏻🇯🇵🇯🇵🥇🥇 pic.twitter.com/9jzGITSNQ5
— Johan (@Jdewitalkmaar) April 14, 2018
Als je naar de keizer gaat, ga je in stijl. Prachtig!! pic.twitter.com/efLh7Q3mQg
— Johan (@Jdewitalkmaar) April 25, 2018
Super blij met deze toevoeging van ons begeleidingsteam!! Japanse schaatsbond haalt tweede Nederlandse toptrainer binnen: 'Er loopt buitensporig veel talent rond' https://t.co/jURER5fWA9 via @telesport
— Johan (@Jdewitalkmaar) April 26, 2018
追記:オランダからまた優秀なコーチが来る!
Telesport.nl - Japanse schaatsbond haalt tweede Nederlandse toptrainer binnen
Dennis van der Gun氏、39歳(右)。