岡上淑子(おかのうえとしこ)の展覧会が やっと東京でも。
「沈黙の奇蹟」展 ↑ポスターの作品は『夜間訪問』(1952年。東京国立近代美術館蔵)
やっと東京でも、と書いたのは去年高知県立美術館でやったのをツイッターを通して知り、東京に来ないかな、来たら絶対行こうと思っていたのだ。高知県のポスターも見てください。
↓ポスターの作品は『招待』(1955年、高知県立美術館蔵)
旧朝香宮邸へまいります。
この展覧会は舞台からして豪華だ。アール・デコ様式の 旧朝香宮邸(1933年)が美術館である。東京都庭園美術館|岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟|2019年1月26日(土)- 4月7日(日)
邸宅の重要なところはフランス人アンリ・ラパンに依頼、また当時の日本人職人たちも総力をあげて建築にあたったという、丸ごと「芸術作品」であり、国の重要文化財にも指定されている。(中は撮影禁止)
2階広間 唯一の撮影可コーナー 『幻想』(1954年)
「岡上さんは画家ではありません。若いお嬢さんです。」
岡上淑子(1928年高知生まれ)という作家は不思議な人だ。私はてっきり画家か写真家だと思っていて、カッコいい先進的な女性を、しかもシュールレアリストを想像していた。全く違った。当時の女性は結婚して家に入り、家事や育児にいそしむのが当たり前だった。彼女も全くそうだった。1950~56年の活動期間以外は。彗星のように現れてはパッと表舞台から姿を消してしまった。
いったいどのようにして、このシュールなフォトコラージュ作家が誕生したんだろう。答えは偶然と出会い、進駐軍の置き土産である。
3歳のとき東京に引っ越した岡上は、小学校を卒業すると東洋英和女学院に進むが、内部進学(保母志望だった)に失敗する。終戦後に恵泉学園へ入学。そこで若山浅香と同じクラスになる。若山はのちに武満徹の妻になる女性で、武満から瀧口修造へとつながる一筋の道ができたのだ。
岡上は多趣味の父親の影響で、カメラや映画、文学など興味はいろいろあったが、ファッションのデザインを勉強することに決め、1950年文化学院のデザイン科に進む。フランスでオートクチュール全盛の時代である。(展覧会にもジバンシーやバレンシアガの実物ドレスも飾ってあった。)
カラーコーディネイトの授業で「ちぎり絵」をやっていた。何気なく切り取った紙片に偶然女の人の顔があったことから強烈な印象を受け、おもしろさに目覚めたのだそうだ。意外な組み合わせ、無意識や偶然がもたらす効果、デペイズマンである。デペイズマン - Wikipedia
「解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会いのように美しい」。ロートレアモン伯爵の有名なことばがある。
また梶井基次郎の『檸檬』の中の、「画集の上に置かれた檸檬」もデペイズマンではないかとの解釈もある。しかし岡上はシュールレアリスム運動を知らなかったのだ。
コラージュの素材は進駐軍の置いていった雑誌。当時古本屋には”LIFE”などのグラフ雑誌、“VOGUE” ”Harper's BAZAAR”などファッション誌がたくさん売られていた。岡上は雑誌から顔や手足を切り抜き、組み合わせ、貼り付け、コラージュにのめり込んでいった。
1951年には、さきほどの友人若山浅香を通して、作品が瀧口修造の目に触れる。瀧口は美術評論家で詩人で、ダダイズムやシュールレアリスムの権威のような人、とにかく当時多大な影響力を持つ文化人だった。
「続けてごらんなさい」瀧口がそう言ってくれたので、学校を卒業しても作品制作をつづけた。あるとき瀧口がエルンスト(*)の画集を見せてくれ、『百頭女』に衝撃を受ける。
↓絵はピンタレスト画像でも見られます。
海のレダ
「海のレダ」 『はるかな旅: 岡上淑子作品集』(河出書房新社)より
1952年の作品。自分で最も好きな作品だという。水上スキーの波とレダと白鳥。
作品に添えられている文にはこうある。
「女の人は生れながらに順応性を与えられているといいますが、それでも何かに変っていく時にはやはり苦しみます。そういう女の人の苦悩をいいたかったのです。(『美術手帖』1953年3月号)」
1953年には初個展。その時瀧口が寄せた文:
「明けましておめでとうございます。岡上さんは画家ではありません。若いお嬢さんです。独りでこつこつグラフ雑誌を切抜きコラージュ(貼合せ)して夢そのものを描きました。不思議の国のアリスの現代版がこのアルバムになりました。どうぞご覧ください。」
若いお嬢さんであること、お嬢さんが夢そのものを描くこと、それこそが強力な長所で魅力であると瀧口は考えていたのだろう。だから書簡のなかでも「いつまでもあの純粋な気持をもちつづけてください」と書いている。
岡上さん 仕事中。
今日はここまでです。
続きます。
🌸資料など
金井美恵子の小説の表紙に❣
旧朝香宮邸の写真(ほとんどのところは撮影できませんが、雰囲気だけでも)
新館への通路からガラス越しに外を見ると、物が歪んで幻想的。展覧会の続きみたいな感じでした。
🌸続き