中村哲医師の死を悼む
ゆうべから今朝は喪に包まれた。いや、嘆きの叫びと言うべきか。よんばばさんからもあまりに悲しい報せ - よんばば つれづれ、悲痛な声が聞こえてきた。よんばばさんはペシャワール会員で、2015年に中村哲氏の講演を聞いたことがあり、そうした過去記事なども↑中にまとめてある。
だけど全然わからない。どうしてこんなことになるのか。中村さんのほかに運転手やボディガードの人たち全員、六人も一瞬のうちに尊い命を奪われた。中村さんの無念さはいかばかりだろう。
今朝テレビをつけたら、ABC(オーストラリア放送)では中村さんのこれまでの功績を振り返り、死を悼む特集になっていた。BBCも詳しい。フロントガラスの銃弾穴を見るのは辛いが。
中村哲医師はアフガニスタンの偉大な友人であり、その生涯をアフガニスタンの国民の生活を変えるためにささげてくださいました。
— 駐日アフガニスタン大使館 Afghanistan Embassy in Tokyo (@AfghanistanInJP) 2019年12月4日
アフガニスタン国民と政府は中村医師の功績に敬意を表し、ご家族、同僚の皆様、ご友人、そして日本国民の皆様に謹んで追悼申し上げます。 https://t.co/NEEQqgqhb0
中村医師の死を悼む人達がアフガニスタンで集会をひらいてくれています。 https://t.co/mFhrTYJudq
— 舩田クラーセンさやか (@sayakafc) 2019年12月4日
ツイートは多すぎて読み切れない。その中で、中村氏からの最後のレポートがこちらに載っていると教えてもらった。次回レポートは来年3月の予定だった…。
www.nishinippon.co.jp 「集団的自衛権を考える」
改めて胸に刻みたい。
— 田崎 基(神奈川新聞 記者) (@tasaki_kanagawa) 2019年12月4日
2014年「集団的自衛権を考える」という連載で中村医師が語ったこと。 https://t.co/iAwSvTGff0 「憲法が禁じる集団的自衛権が行使されるようになれば、「海外で活動する日本人に危険が迫る」と警鐘を鳴らす」
アフガニスタンと日本の共通点はなにかと聞かれ…
私がベルギー・ブリュッセルで移民学校オランダ語講座に通っていたころの話。なぜ「移民学校」かは過去記事参照移民学校の日々 -1- 。アフガニスタン出身の人たちとたくさん出会った。だがあまりゆっくり話をする機会はなかった。滞在の終わり近くのある日、若い女性が「ボールペン貸して」と言ってきたので「いいわよ」。実は話をするきっかけを作りたかったのだ。
「日本人ですってね」
アジアのいろんな国の出身者がいる中で、日本人は私一人だけだったから珍しいのかなと最初は思った。一応「私は移民難民枠じゃないの。オランダ語を習いに来てるだけ」と説明しておいた。
彼女はなんと20歳になったばかり。家族とともに安全な地を求めてアフガニスタンから逃れてきた。申請してから実現するまで何年もかかる。ベルギーにいること、来られたこと、それはすでに恵まれた境遇にあることを示している。実際教養ある家庭の出身で、イスラム教徒だがスカーフなどは身につけず、ジーンズをはいて、はっきりものを言う人だった。
ベルギーの生活はどうかと聞いてみると「夜、静かでよく眠れるから嬉しい」とにっこり。そして聞いてきた。
「アフガニスタンと日本は似ているところがあるんだけど、わかる?」
え、なんだろ。共通点?面積じゃないよね。人口は全然違うし。まずいな。何にも出てこない。だってアフガニスタンのこと知らないんだもの。
私から返事が来ないのをみるとニンマリ笑って、自分はアフガニスタンにいるとき、学校で日本について習っているからいろいろ知っている。教えてあげようと言う。
「一つは地震国。日本もたくさん地震があるでしょ。温泉も。アフガニスタンも地震と温泉があるのよ。」知らなかったな、温泉。
「あとね、人間が優しいところ。弱い人を助けたりするところ。一生懸命働くところ。そこはアフガニスタンの人間と同じね」
これを聞いたとき、私はすごく間抜けな顔をしていたと思う。口ぽっかーんだった。何ですって、日本人が優しい人助けをする国民?働き者というのはわかるが。
彼女は日本人の人道支援活動について、学校の教師や親からよく聞かされていたのだという。井戸や水路を作ってくれた、医者や薬も送ってくれた…などと数え上げる。しかも日本人はイスラムの宗教や生活を尊重してくれ、市民とも友好的だった。そういった諸々のことは父親が詳しく知っており、日本人は優しい、日本人には感謝の念しかないと話していたそうだ。私もやっとそこで、以前テレビの特集番組で見た中村医師のことを思い出し、ああわかった、あそこにつながるのだなと思った。
さらに驚きなのは「私の学校にはね、日本人の学生たちから励ましの手紙が届いたのよ」という。9.11の後だ。「私は男子学生からの手紙(を割り当てられて)、楽しいイラストと英語の言葉が書いてあった」。
「学生」が中学生か高校生かはわからなかったが、とにかくアフガニスタンの子どもたちに手紙を送ることを発案し、またとりまとめて届けてくれた、人なり組織があったのだ。
そして今また中村さんのことを思うと、悲しみに胸が張り裂けそうになる。アフガニスタンの人たちも同じ悲しみにくれていると思う。
心よりご冥福をお祈りします。
最後にこのツイートを!
" #中村哲医師 が川を作ってくださったおかげで、わたしたちは生き甲斐をみつけることできるようになりました。先生はわたしたちのヒーローです。どうぞ安らかにお眠りください。いま先生の作った川は、水ではなくわたしたちの涙で溢れています。” #TetsuNakamura #Hero #Afghanistan #Japan 🇦🇫 🇯🇵 https://t.co/xJGzvwtNlq
— 💫T.Katsumi🎸 (@tkatsumi06j) 2019年12月4日