ベルギーの密かな愉しみ

ちょっとお休みします。

世界中がレーニン造船所にくぎ付けだった頃 「連帯」ポーランド①

僅差の大統領選 わずか2ポイントで惜しくも…

書く書くと約束して伸ばし伸ばしにしていた方面のこと、少しずつ書いていきたい。ポーランドチェコ、イラン…あと何が続くかわからないけど、今日はポーランドである。

先日(12日)のポーランド大統領選は、見たこともないような僅差で驚いたし、何より国を二分してしまった問題を他国の人にも知らせる結果となった。

51.03%(現職)と48.97%ワルシャワ市長のチャスコフスキ氏。下の写真)

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(写真:チャスコフスキ氏のtwittertrzaskowski_

普通ポーランドなど東欧諸国の選挙の報道はTVではあまりやらないが、これに関してはNHKBSは朝6時台のロシア、7時台のドイツやBBCなどで選挙前から詳しく動向を伝えていた。NHK自身も特集国際報道2020を組んだほどだった。

与党「法と正義」を含む保守連立の現職ドゥダ氏は、様々な社会保障政策のほか、LGBTを争点に持ってきて「共産主義よりも破壊的なイデオロギーだ」と敵視し、キリスト教を土台にした伝統的価値観の保守層に訴えかけた。ポーランドEU内でLGBTに最も不寛容な国と言われているらしい。

対する野党「市民プラットフォーム」、ワルシャワ市長のチャスコフスキ氏は、LGBTの権利擁護はもちろんのこと、LGBTを政治利用するドゥダ氏のやり方も批判している。私の考えだが、ドゥダ氏はコロナ対策で批判を浴び、支持率が低下した分を何とか埋め合わせようとしたのか。

ツイートを下まで見ていたら支持者の人が色分けした地図を載せ、州でいくとチャスコフスキ氏は10州も獲得している、と書いていた。(68.2%は投票率

 

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@Mertxxnl
 

お飾り的な大統領職もあるが、ポーランドの大統領は議会が可決した法案の拒否権を持つということだ。ますます強権的な政治が進むのか。保守の与党「法と正義」はこれまでも、難民受け入れ拒否や、司法の独立性を揺るがすような制度改革などをめぐってEUからも「非民主的」だと批判を受けていた。今後のEUとの関係はどうなるのだろう。誰に聞こう?もちろんこの人!

教えて ペレックさん!

ポーランド在住のペレック紅葉の稲荷 (id:Nietoperek)さんを紹介したい。ポーランドの方と結婚して2004年からあちらにお住まいで、フリーライターとして数多くのメディアに寄稿したりラジオ出演をしていらっしゃる方。

ペレックさんは決戦投票が済んだ7月15日に「大荒れの大統領選挙」と拙ブログにコメントをくださった。「まだこの右翼大統領?に投票する人が半分もいるのか」と驚き、

街頭インタビューで「何故この右翼系の大統領に投票したのか」という問いに「金をくれるから」という民衆。言論の自由や民主主義を守るより、今この瞬間に金をくれる大統領のほうがいいと言い切りますからね。 大学生の子供たちの話では、いま、学生たちが本格的に外国語を学んで国を出る準備を始めているそうです。この国に見切りをつけたんでしょうね。

と結んでいる。ペレックさんには今後もたくさん教えてもらうね!

ところでおもしろいことにこの与党と最大野党、元は民主化運動を牽引したあの「連帯」から出たのだ。同じところから出てこうも違ってしまうとは驚く。

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(写真:1981年8月 ワルシャワ。 ストで交通機関は動いていなかった。)

世界中がレーニン造船所の「連帯」のサポーターだった頃

そう言っても言い過ぎではない。80年代のポーランドといったら、世界の注目の的、民主化運動でソ連に刃向かうカッコいい存在だった。もちろんそれ以前も映画や文学(スタニスワフ・レムゴンブロヴィッチブルーノ・シュルツなど)にコアなファンがついていたが。

始まりはグダンスクのレーニン造船所で、食肉値上げ反対・賃上げのストライキだった。1980年夏にプラハに滞在していた私はそのことを、息を切らして階段を駆け上がってきたチェコ人の友人に知らされた。「ニュース!ポーランドストライキが始まった。造船所だって」

え、社会主義国でストって大丈夫なの?逮捕されたり弾圧をうけたりするんじゃないの、と思ったものだ。プラハの春から10年と少し経ったチェコは陰鬱な空気が漂っていた。チェコから見たらストライキなんて信じがたい。民主化運動なんて無理、成功しない、そう思っていた。

その後チェコ滞在が終わり、西側へ出て報道をみると、あっぱれポーランド人は本気だった。あっという間にストから独立自治労組「連帯」の結成へこぎつける。これが8月末。そして9月には全国組織結成。それを率いたのが電気工のレフ・ワレサ(より正しい発音はヴァウェンサ)、争議を指導して初代の委員長となる。

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写真:Internowanie Lecha Wałęsy

翌1981年5月にはワレサ委員長と連帯ご一行が来日。ちょっとしたフィーバーを巻き起こした。特徴的な髭と人懐こい笑顔の男はいつも人垣の中心にいて、もみくちゃにされていた。特に思い出すのは、新幹線の中で修学旅行中の女生徒たちに囲まれて大変そうだったこと。

81年冬には戒厳令、約1年の身柄拘束と苦難の連続、そして83年ノーベル平和賞ソ連では85年ゴルバチョフ政権の誕生。(話は逸れるけれど87年にはすでにソ連ポーランド関係の「歴史の空白」を埋める作業も始まり、「カティンの森」事件などの見直しもこのころなのは興味深い)。そしてだいぶ飛んで、1990年にはレフ・ワレサは大統領に就任する。

筑紫哲也氏が書いていたことだがワレサは「私たちの組織は徹底した民主主義なので時間がかかります」と来日時話したそうだ。よい言葉だ。組織の構成員に上下関係はなく、徹底した話し合いで物事を決めていく。構成員は「自主自立」でいて「連帯」している。人間が人間の主人公でなくなっているのが問題だ。人間尊重こそが大切で、政権を取りにいくのではない。

こうしたワレサ氏の考えは理想主義だと批判されるだろう。それで組織を作ってもすぐに立ち行かなくなるし、たやすく権力に潰されてしまうだろう。

ところが違った。この自主自立的な活動は出版、FMラジオ、各職場、地方へとどんどん広がっていった。活動を指導するのは「連帯」の全国執行委員会である。ブリュッセルには「連帯」の対外代表機関も置かれた。組織は持ちこたえ、政府の情報独占を阻止し、民主化は少しずつ根をはっていったのである。

続きはまた次回書きます。

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写真:同じく1981年8月、ワルシャワ中心部。私の部屋の窓から見た風景。石炭を集合住宅の地下室に入れるところ。

  

 🌸今日の写真は

プレゼントにもらったお手製の手帳

20×13cm、布装、28頁

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shellさまが戻ってらしたのでルリユール製本の手帳を載せてみます。

これは娘の作品です。美しい造りで布の柄も完璧に私の好みです。

もったいなくて使っていませんでしたが、今日写真をお見せしたからこれから使おうかな~(❁´◡`❁)