ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

世界に溢れるラーメンへの情熱と愛 &BIKA(美華)のニラそば (ラーメン①) 

ラーメン愛

東京のうちの近くでも、コロナ以前はラーメン屋が大変なことになっていた。口コミの力なのか、フランス人など欧州からの観光客で埋まるラーメン屋(「ひだまり」谷中)とか、バカンスシーズンともなれば海外在住日本人が多数集結する、町の小さな中華(「兆徳」 本駒込)とか…あの情熱は何なのだと毎回待つ人の長い列を見るたび思っていた。

2007年にベルギーに住んでいた時、アパートの斜向かいがブリュッセルでは元祖的なラーメン屋やまとさんだった。当時「ヨーロッパで一番おいしいラーメン屋」と言われていたらしい。開店前から並ぶベルギー人を不思議そうに横目で見ながら「へえ、ベルギー人も列作るんだ」と通り過ぎていた私であるが、帰国前に一度だけ行ったことがある。おすすめという「みそラーメン」を頂いた。申し訳ないが特においしいとは思わなかった。

2016年に再び前を通ってみると、店主の日本人は数年前に店を閉め、一家で帰国したと聞いた。

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(写真:2016年3月撮影。美しいアールヌーボーの建物に収まるラーメン屋、違和感なし)

このときは、あとを継ごうというベルギー人青年たちが再開したばかりで、それもブリュッセルの別の地域でラーメン店を営んでいる、ベルギー人経営者が尽力してくれたおかげだとか。ともあれ良かった。内装もシンプルで温かみのある雰囲気だった。お味はどうか知らないけれど。

ヨーロッパのラーメン熱は来日観光客の増加とともに高まってきたのだろう。昔、たとえばパリにラーメン屋ってあったかな。思い出してみると1980年にはオペラ座界隈にすでに二軒あった。日本人経営で客もほぼ日本人。70年代のことは人に聞いた話しか知らない。パリ在住日本人が「中華麺とスープの組み合わせでできる料理」を食べたいと思ったら命がけという話(笑)。当時中国人コミュニティができていたパリ・リヨン駅界隈の、お目当ての中華料理店に電話をし、店の中国人に駅の待ち合わせ場所まで迎えに来てもらうのだそうだ。治安がとても悪かったから、やわな日本人なんぞ歩いて店までたどり着けないだろうということで(笑)。

そう、中華料理では「ラーメン」と呼んではいけないのだ。たとえばこれから紹介するBIKA(美華)さんは上海料理のお店、知る人ぞ知るといった小路にひっそりとある。旧名は谷中清水町、現在は一般に根津と呼ばれる地域で、私が上野へ向かう途中に通る道のひとつだ。

ニラそばが特に有名で、もちろんほかの上海料理の品々も美味だし、お店や店主小池さん自身もTV・雑誌で紹介されている。ファンも常連も多い。ちなみに今はコロナでそんなに混んでいない。(ちょっとラッキー)

以前まるさんid:garadanikkiがこのお店を紹介していて、その文章がすごくいいのでちょっと引用させてもらう。(まるさん、ありがとう❣)

garadanikki.hatenablog.com

(略)

天女が舞い降りてきたような幸せな気分になります。

豚骨スープや、こっくりした味付けの太麺そばが主流の昨今、真逆の旨さにありついた。

こんな美味しいものがあったとは。。。

ニラそばといえば、炒めたニラがどばっと乗っているものを想像しがちだけれど、

BIKAのニラそばは想像を絶する一品。・・・

ね、 全部読みたくなったでしょ!中で読んでね↑。

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「天女が舞い降りてきたような幸せな気分」に付け加えることは何もない。とはいえ、私もついでに何か感想を書いておこう。

ニラと肉あんの色のコントラストが美しい。ニラと聞いてあとずさりしたそこの貴方、これは天女のニラだから普通のと違うのだ(笑)。スープを一口のんだらもう舞い上がっちゃう。すごく上品であっさりしているけれど奥深い。鶏の頭とモミジ(鶏の足)だけでだしを取ったスープだと店主は言う。ストレートな細麺も私の好みである。

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写真:左下、絢爛豪華な螺鈿の衝立。右下、お店入り口にある睡蓮とメダカ。種類は幹之(みゆき)メダカで、我が家と同じだった)

 

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写真:五目あんかけ飯。丁寧で優しい。何が優しいかというと甘めの餡と、個々の具材がひとつひとつ柔らかく舌や胃のなかでとろけるように用意され、ご飯の上に鎮座していること。

甘めの味付けで蘇る1980年代後半の記憶がある。当時教えていた中国人学生はほとんどが上海出身で、家に招いてくれると当然ながら上海の家庭料理をふるまってくれた。味付けが甘めだったのが印象的で、私はそのころ甘味がちょっと苦手だった。

中国人は国から様々な食材(主に乾物)を持ち込んでいて驚いたものだ。乾物じゃない物ももらったことがある。あるとき学生が家を訪ねてきて、「今姉が上海から着いたんです。こっそりこれ持ってきてくれた」とにっこりして差し出す。何だろうと思ったらあろうことか上海蟹で、袋のなかでうごめいている。私はキャっと小さく声をあげ、「あ、ありがとう。お、お姉さんによろしくね」と言ってすぐさまその紙袋を冷蔵庫に放り込んだ。

あとで冷蔵庫から飲み物を取り出そうとしたら、蟹たちが我が物顔に歩き回っているではないか。バタンと閉め、夫の帰りを待った。そして夫に「大変なの。上海蟹が冷蔵庫の中散歩してる。早く捕まえて」と頼み、捕獲も調理も丸投げしたのである。

それにしても蟹をよく持ち込めたものだ。税関はそんなに緩いのか。私にくれたのは7~8匹だったと思うが、もっと持ち込んだはずで、その夜は上海蟹パーティだったのかな。不思議な笑える思い出。

 

 BIKA(美華)は信濃町駅前にあった名店

手元にある本『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』に載っていた。朝日新聞書評で見てすぐに購入した本である。

1964年の信濃町駅前の光景。左親指の所、見てね。「BIKA」「美華」の文字が見え、右親指の所にも「明治記念館」の下に「美華」という文字が見える。昔から有名な上海料理店だったようだ。

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 信濃町慶應病院は最近では辞めた首相の件で耳にするが、うちでも夫と娘の主治医のいる病院なので昔から長く足を運んでいる。しかしBIKAがそこにあったなんて初めて知って驚いた。

そこからどうして根津へ?と興味がわく。BIKAは小林さんの奥さんの実家だったのだ。オイルショックのころ、小林さんは根津の家業のタイル屋ではなく料理の道に入ることを決心する。現在の店の赤いドアは信濃町の店のドアで、両開きの片方だけ設置している。間口が狭いためだ。あの螺鈿の衝立も譲り受けたという。タイル屋は、父親が倒れたのをきっかけに商売もうまくいかなくなり廃業したのである。

タイルってノスタルジーだな。昔はタイル屋さんはあちこちにあった。若い皆さんにはわからないだろうが、かつて流し台やお風呂場・トイレによく使われていた。タイルを貼るお手伝いもしたことがある。

昨日とにほ(id:toniho)さん宅のタイルを見て、モダンな使い方に感心し、タイルへの憧れがうずうずとわいてきた。

toniho.hatenablog.jp

ちょっとお写真お借りします。とっても素敵!

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話が逸れてしまいました。今日はここまでにしてまた明日続けます。

明日は、オランダの映画監督が定期的にオランダの全国紙にラーメンや日本の料理のことを書いていると聞いて、しかもAji Tamago(半熟の味付け煮卵)の作り方など書いていると聞いて、おお、それはお手並み拝見!と思ったらすごかったという話です。

 

🌸最後にまた楽しいツイートの数々を!