ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

コロナ禍の大学② 犬だって「罪と罰」くらい読むゾ。

前回に続いてまた大学関連です。

ドストエフスキーを知らなかった東大生

きけ わだつみのこえ』という遺稿集は実はちゃんと読んだことがない。先日爽風上々さまがその遺稿集自体ではなく、「戦争体験」の歴史を扱った本を紹介してくださり、勉強になった。その中に映画化の話もあり、「きけ わだつみの声」は最初は1950年、次は1995年と二度映画化されたという。

sohujojo.hatenablog.com

私が反応した箇所は

 (1995年の映画は)あくまでも「若者へのわかりやすさ」ということを意識して作られているので、若干の違和感が年長者には感じられました。

興味深いのが登場人物は皆ラグビー出身とされていることです。

1950年の第1作の映画では登場人物はモンテーニュの原書を講読するような教養を持つという描写でしたが、すでに大学キャンパスから教養というものが消えていた1990年代では、その方が学生らしく見えたのでしょうか。

 「戦争体験」はしょせんは「断絶」せざるを得ないものかもしれません。

(*太字は私)

興味深い。

講義で読んでいるのはモンテーニュ随想録、エセーのことだろうか。確かに戦前の学生は超エリートだったし、原書を読み、外国語も複数やるのが普通だった。1995年の映画でモンテーニュはさすがに無理というものだが、ラグビー部というのにもビックリ!

大学キャンパスから教養というものが消えていた1990年代。辛辣であるがおっしゃる通り真実である。教養の崩壊はもっと前からだと思う。80年代は既に言われていたし、バブルの頃に拍車がかかった印象がある。

昔、東京にマヤコフスキー学院という語学学校があって、ロシア語や他のスラブ語を習いたい若者が詰めかけていた。当時は個人が経営している語学講座(ドイツ語やフランス語など)が大きな都市なら幾つもあった時代だ。

80年か81年だったか、スラブ語研究の先生が笑いながら「マヤコフスキー学院ってスキーの学校だと思った人がいるんだよ。可笑しいね」と言った。私は内心そうかな?マヤコフスキー知らなくても全然大丈夫、と思った。詩人だったっけくらいの知識しかない私であるが、ロシア語関係でなければ知らなくてもいいと思った。

ところで、はてなの仲間ペレック (id:Nietoperek)さんはマヤコフスキー学院でポーランドを習ったという。また最近twitter上で、その学校でロシア語の教師をしていた人に遭遇してコメントをやり取りした。(いろんなところで意外な結びつきが楽しい!)

しかし、

ドストエフスキーを知らないのはまずいだろうと思う。これはだいぶ古い話だが石田英敬氏が岩波書店の『世界』(2002年11月号)という雑誌に寄せた文章の中に書いてあることだ。エピソード自体はそれより2年前、つまり2000年のことだという。

ちょっと抜粋する。

研究室でひとりの大学院生を相手にバフチンの「ポリフォニー」論についてRoutledgeのCommunication Theoryのハンドブックを教材に説明していたときのことだ。その院生がとつぜん「先生、ドストエフスキーって誰なんですか?」と私に訊いたのである。マンガの三コマ分ほどの長い沈黙とそれに劣らぬほど深い溜息の後、私はついにその日が本当にやってきたことを理解した。その日がやってくるであろうことはもう随分前から予想されていた。あらゆるところにその兆候はあった。…(*)

 

私の夫は雑誌を読んだあと嘆息し「どこも同じだね。だけど東大の院生というところが衝撃だ」と呟いた。大学関係者はもう何年何十年も嘆いている。学生の教養・素養のなさについて。私は日本人教員だけじゃなく外国人、仏人やオランダ人教師の嘆きも受けとめなければならない。うんざりしてよく逃走する(笑)。今は石田氏のあの2000年よりはるかに劣化している。

つまり相手(学生)も当然知っている、共有しているはずの知識があって初めて講義や意見交換は成り立つ。高校まで勉強してきて一定の知識や教養はあるはずなのだ。

普通の会話だってそう。「ほら、チャップリンみたいな…」と言って「誰それ?」と返されたらまあがっかりだが、別の例を出せばよいだけだし、小さな子どもは知らないだろうから、相手に合わせて話を進めていく。

しかしドストエフスキーは大学生だったら当然知っている、何冊もとは言わないが一冊くらい読んだことがあるだろう、という前提なわけだ。

もしかしてあれもこれも知らないかもしれないな、今の学生は。まさか「これ、知ってる人どのくらいいる?」なんて聞いて挙手させるのか。いやいや、それは大学じゃない。

読書離れといわれて久しい。とにかく本を読まない。本を読む体力というものがあって、ずっと読んでいないと読めない、集中できないのだ。「余暇に読書はしたことがないですよ。読書なんて現代国語の教科書と入試対策問題でじゅうぶんですから」と言いきった学生を知っている。それで恥ずかしくもなんともないのだ。

コロナでオンライン授業が中心であることは利点も大きいかもしれない。学生は自分の知らないことはどんどん調べればいい。歴史の、地理の、文学史の教科書を参照すればいいのだ。対面の授業だったら置いていかれることも、自宅学習なら穴を補填したりしながら自分のペースで進んでいける。

 

罪と罰』をよむグルミット

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1995年フランスに滞在していたとき、家族で『ウォレスとグルミット』(Wallace and Gromit) の新作映画を見にいった。私たちはこの英国のクレイアニメのファンでそれまでの作品は全部見ていた。

(上の写真はその後帰国してから買った本(1997年)

映画の中でグルミットが牢屋で『罪と罰CRIME AND PUNISHMENTを読んでいるシーンがある。

その著者は誰か。

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FIDO 

DOGSTOYEVSKY

とある。もちろんFyodor Dostoyevsky(フョードル・ドストエフスキー)をもじっている。フランスの観客はここで大笑い。うちの子どもたちは10歳(上の子)だったから当然わからない。「ねえねえ何で笑ったの?教えて」と小声で聞いた。「後でね」と返した。

クレイアニメなのに目配せ的なおもしろさが満載。例として映画:

The Bone Identity→ (元の映画The Bourne Identity)

The Dogfather→ (元はThe Godfather)

グループ名:Red Hot Chili Puppies"→ Red Hot Chili Peppers

The Beagles →The Beatles

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そしてまた石田氏の東大生の話に戻る。夫と私が夕食時にこの話をしていると、それを横で聞いていた長男(当時はもう高校生)が言ったのだ。「ああ、それじゃ『ウォレスとグルミット』を見ても笑えなかったね」と。

*興味のある方はこちらで全文が読める→石田英敬 blog

今日はここで終わります。

みなさんいつもコメントをありがとうございます。

本当に学びが多いし、その後調べ直して自分の仕事に生かせたこともたくさんあるんです。知り合いでコメント欄だけ読みに来る人までいる(笑)。あの人凄いね、この人おもしろいね、ファンになったよなどと言ってくれます。自分が褒められたわけじゃないのにめちゃめちゃ嬉しく自慢に思っています。

10月からどうしても忙しくなるためちょっとお休みしますが、あと数回連続して書きますね。

ではまた!