すでにお話しした伝説の観光ガイド、故ファン・カウエンベルヒ氏の記念碑(下過去記事)から見たステーン城。街案内の起点と定めていた場所だった。
キスマーク と 原発テロの危機 ほか (2月の記事まとめ) - ベルギーの密かな愉しみ
ステーン城の入り口に立ち、町やカテドラルが臨める。
ステーン城はもともとアントウェルペン砦(Antwerpse burcht)で、海賊などから町を守るため 、1200~1225年の間に建てられた。当初は法廷や教会、魚市場や倉庫なども入っていたそうだ。
1520年ころカール五世(神聖ローマ皇帝であり、カルロス1世)のとき建て替えられ、steen(石という意味)という名前に変わった。刑務所に使われたり、負傷した兵士を収容する施設だったり様々な用途に使われたのち、 1842年、市が買い戻した。 だが 1880年、川岸の拡張の際、大部分を破損。 残っているところを Het Steenと呼んでいた。1889-1890年に 再び増築・修復工事を行い、その後は博物館として使われる。
2010年まで海洋博物館だったが、展示品の船などは全部MAS博物館(既出)に引越しをして、現在は閉鎖され、中には入れない。
でも市民は、天気がよければここに足が向くようだ。川を見るのが気持ちいいからね。
キリスト架刑像と遠くに、先日の肉屋ハウスを臨む。
監獄として使われていたころ、死刑囚はこのキリスト像のもとで祈りを捧げたという。
「ねえ、のぼっていい?」
だめでしょ。
入り口アーチの上の紋章、真ん中はカール五世で、両側はブルゴーニュ公国を表す。
・・・と書いてあったけど、私は紋章のことはからきしわからなくてすみません。
ただ確かなのは、カール五世は、自分の強大な力を表すため双頭の鷲を使っていること。頭が二つある鷲(英語 Double-headed eagle)の紋章というと、私はすぐドイツを思い浮かべるが、紀元前からいろいろな国家や貴族に使われている、非常に人気のある紋章らしい。
図にするとカール五世さんのはこんな風。
さてこちらは
鷲の下のが何の紋章かわからないけど、文字は拡大するとfortunata antverpiaと書いてあるな。
ググってみると、
Tシャツ、ほしい?
私は別に・・・。
最後にステーン城の前に立っている巨人Lange Wapper君。
いたずらばっかりする伝説上の男の子だって。↓写真左下。
写真:ウィキペディア
初めは小さかったのにだんだん大きくなって、ここまでの巨人になってしまったんだって。ほぉ。
おまけ
川向うからステーン城を見てみた。
資料:Steen
アントウェルペン守備線
Stelling van Antwerpen - Wikipedia