「旦那」の捨て方教えて & ピュリツァー賞カメラマン沢田 教一展 

粗大ごみに「旦那」と入力してみると

「旦那捨てたい」に神回答 横浜市のごみ分別AIがまるで人生相談 - withnews(ウィズニュース)

最近AIに関する記事が多くて、いろいろと学びます。今日は楽しい話題を二つほど。

皆さんも粗大ごみはネットで申し込みますか。私もそうで、「粗大ごみ」に入るかどうかもここでわかります。各自治体で少しずつ違いますから、引っ越したら必ずお世話になるサイトですね。

横浜市がおもしろい。資源循環局はHPにチャットボット「イーオのごみ分別案内」なるものを導入しています。横浜市 資源循環局 市民の方へトップページ

捨てたい粗大ごみの名前を書き込みます。

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ここに試しに「旦那」と入れた人に対して、イーオ君の答えはこのようなものでした。

本当に‼︎「人間は判断力の欠如によって結婚し、

忍耐力の欠如によって離婚し、

記憶力の欠如によって再婚する」

ってアルマン・サラクルーは言っていたよ。

忍耐力を鍛えてみたら、どうかな。

なんというすばらしい回答でしょう!

https://img.over-blog-kiwi.com/0/92/61/30/20170730/ob_b1e5ce_salacrou-armand-1899-1989.jpgアルマン・カミーユ・サラクルー(Armand Camille Salacrou,1899- 1989年)フランスの劇作家。

 

記事によると「イーオのごみ分別案内」は、横浜市資源循環局とNTTドコモが実証実験しているサービスだそうです。開発期間は約4カ月、NTTドコモが開発したRepl-AI(レプルエーアイ)というものを使っているとのこと。

またラインの形式にして、人々により親しみやすく、気軽に利用してもらおうと考えました。イーオ君は「ヨコハマ3R夢(スリム)!」計画のマスコットなんですって。

 

イーオ君に相談

試しに私もちょっと使わせてもらいましょう。「人生」と入れてみました。

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そうか、スヌーピーが言うのならもう一度考えてみようかな、という気になります。

次に「過去」と入れてみました。

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おや、「過去」はイーオ君にとって未知の語彙?

さっき「旦那」だったから、「嫁」はどうでしょうか。

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しまった!イーオ君を泣かせてしまいました。

ごめんなさい。もう悪ふざけはやめます。

この回答を考えているのはもちろんイーオ君ではなく、関係職員のみなさんだそうです。返答を工夫し、不愉快になることのないよう、いろいろと気を遣っているのですね。ご苦労様です。

 

大喜利β(ベータ)

ほかにもTVの情報番組で見たのですが、「株式会社わたしは」という奇妙な名前の会社が大喜利β」なるものを作っている。大喜利に答えることができる(おそらく)世界唯一の人工知能、ということです。

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大喜利β (@ogiribeta) | Twitter

 

またダジャレAI「ダジャペディア」というのもあるそうです。しかしちょっと覗いてみた限りでは大しておもしろくなかったです。このジャンルでは人間はまだまだ安泰だと思いました。

ギアさまには到底かないません!(^^)!

 

『安全への逃避』世界の眼を釘付けに

(東京日本橋高島屋にて)

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(大変混んでいます。いらっしゃるならチケットを入手してからの方がいいでしょう)

 

沢田 教一はベトナム戦争に従軍し、数々の優れた写真を残した、日本を代表する写真家です。1936年青森市生まれ。1970年にプノンペンで銃撃され、命を落としました。34歳の若さでした。

二組の母子が川を渡る『安全への逃避』で、ハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、そして1966年ピューリッツァー賞を受賞しました。

今回、若いお母さんに抱かれて写っている被写体の女性グエン・ティ・フエさん(当時2歳)も来日しました。これが初来日だそうで、感謝の気持ちを伝えたかったそうです。現在54歳のフエさんはベトナムで農業を営む、6人の子どものお母さん。お孫さんもたくさんいるようです。

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沢田教一の作品展始まる 被写体の女性も会場に | NHKニュース

NHKニュースから切り取りましたが、フエさんの隣にいるのは沢田氏の妻サタさんです。フエさんが語ります。

沢田さんは川岸に立っていて、一人ずつ私たちを引き上げてくれました。彼がいなければ、今の私はいません。生きていられるのは彼のおかげです。

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1965年9月。

彼らが住んでいたロクチュアン村はベトコンの拠点の一つだったから米軍の攻撃を幾度も受けていた。ある日、米兵が来て、地上作戦が始まるので川に入れ、と言われた。

ナパーム弾の爆撃に驚き、近所の住民と一緒にゴ・オン・チャム川に飛び込んで、泳ぎながら渡った。沢田氏は川岸で撮影して、彼らが泳ぎ着くと引き上げてくれた。米兵は銃を向けていたが、発砲はしなかった。そして米兵が去るとまた自分たちの村に戻った。(ウィキペディアなどを参考にざっとまとめました)

沢田氏は撮影した翌年にその村を訪れ、その後何回か訪問したそうです。またピューリッツァー賞の賞金の一部も届けたということです。夫人の沢田サタさんも1989年にこの地を訪れ、写真の子どもたち三人と会っています。

展覧会では写真が150点ほどありました。ベトナム戦争の初期は米兵の顔も明るく笑顔で、ギターを担いで元気に歩いています。しかし時が過ぎるにつれ、目が虚ろになり、廃人のように変わっていく…それを見るのが辛くて、涙もこぼれてやりきれない思いになりました。

ふるさとの青森を撮った一連の写真では、風景も人々もどれもいいのですが、奥さんのサタさんにはやられました。若くてこの存在感!この真っすぐな眼。沢田氏よりも11歳上、仕事上でも先輩なのですが、20歳のときにプロポーズをして結婚するのです。この大恋愛でも一回分の記事になりますが、長くなりすぎるので今日はいったん終わります。

あ、そうそう、県立青森高等学校では寺山修司と同級だったそうです。どのくらい絡みがあったのか、興味しんしんですけど。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f4/Ky%C5%8Dichi_Sawada_%281965%29.jpg/280px-Ky%C5%8Dichi_Sawada_%281965%29.jpg写真:ウィキペディア

f:id:cenecio:20170819183620p:plain森県立美術館開館10周年記念 | 青森県立美術館

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sinsintuusin

>ギャグで人が救えたらなあ!

ギアさま、もちろん救えますとも!

ただエイトマン走法でギャグを言って廻るのだけは控えていただきたい。

笑い過ぎて命が危なくなりますので(#^^#)

 

 

必殺削り人と肥後守(ひごのかみ)

今日は肥後守(ひごのかみ)という折りたたみ式のナイフについて書きますね。

みなさんもご存知ではないでしょうか。

kame710.hatenablog.com

カメキチさん、ありがとうございます。

カメキチさんのおかげで懐かしい日々を思い出しました。この「懐かしい」というのは、私が子どものころの話じゃなくて、子どもたちが小さかったころ、家では鉛筆をこれで削らせていた思い出です。

我が家は各自一本持っています。四人なので四本あります。

写真は私のです。研ぐのがうまくないけれど、今でも鉛筆はこれで削ります。

本打割込

高級登録 肥後隆義   とあります。見えるでしょうか。

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カメキチさんの思い出話によりますと、適当な竹を見つけ、この肥後守で切って釣竿を作っていたそうです。釣りの成果はどうだったんでしょうか。仲間たちと楽しかった思い出ですね。

そして当時は「鉛筆削り」という便利なものはないから、学校でもこれで鉛筆を削っていたのですが、いつしか「危険だ」ということで、子どもたちの筆箱からも文房具屋さんからも姿を消したとあります。

カメキチさんは今でも竹とんぼなどをお作りになるそうですよ。

                 
息子のちび鉛筆たち

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息子は1985年生まれです。

学校には決して持たせませんが、小学生のときから肥後守を使わせていました。

学校へは長い鉛筆を電動鉛筆削りで削ったのを持っていきます。

家で勉強するとき、絵などをかくときは、ちびた鉛筆を下の写真の「鉛筆補助軸」(または鉛筆ホルダー)に入れて使っていました。

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このナイフで鉛筆を削るのが上手で、最後の最後まで、もうこれ以上削れないというところまでやらないと気が済まない。それを中学3年まで続けた結果、アート作品の材料にもなりそうなちび鉛筆がたまりました。こうして大切にとってあります。

もっとも中学校ではシャープペンシルを使うことが多かったようですが。

 

母は完敗

そして私も息子に負けじと、できるだけ小さくなるまで頑張ってみました。が、はるかに及ばない。なのではりあうのは止めました。

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マスタード入れだったガラスのクマのお腹に、ちょびっと貯まっただけです。

しかし、鉛筆をナイフで削る最大の利点は、削っている間によいアイディア、おもいがけない妙案が浮かんだりすることです。集中を離れてリラックスしているからでしょう。

ともあれ、のどかな日々でした。

 

文房具の進化

文具屋さんにいくと目が点になります。いろいろ新しいもの、おしゃれなものが出ているからです。

たとえば先ほどの鉛筆ホルダーですが、うちは銀色のほかに金色・青のがありました。

今、ガラスケースに並んでいるのはこのような美しいものばかり。

http://gigaplus.makeshop.jp/ippitsukan/classific/oonishi_PS550/mimg.jpg

http://gigaplus.makeshop.jp/ippitsukan/classific/oonishi_PS550/img_01.jpg大西製作所 鉛筆ホルダー PS550 鉛筆補助軸 ピンク 5,940円(税込)

https://www.pen-house.net/contents/html/images/hirai-mokkou/28699_top.jpg

匠が紡ぎ出すペンシルホルダー。━ペンハウス考案、平井木工挽物所設計・制作━

https://www.pen-house.net/detail/detail28700_009.html

http://kobo-q.jpn.org/assets_c/2013/04/20130430pensilholdercapg0-thumb-588xauto-495.jpghttp://kobo-q.jpn.org/assets_c/2012/11/RIMG2959s-thumb-280x210-209-thumb-240x180-214.jpg

工房Q - ペンシルエクステンダーキャップギャラリー

鉛筆補助軸(=「ペンシルエクステンダー」)に「キャップ」がついている。

どれもこれも、大変おしゃれでまた高価でもあります。

 

フランスの肥後守 douk-douk

フランスでもよく目にする簡便で安価な折りたたみナイフdouk-douk。

ちょっと見には、あれ、肥後守でしょ?と思いますね。違います。

http://img.allw.mn/content/qh/b2/fqocv8fa56530d58a142d987271425.jpg

ウィキペディアによると

肥後守と同じく、一枚の板金を折り曲げて柄にしており、フランス軍の備品にも採用されているとのことです。

1929年の発売から構造が変化しておらず、人気が高いとありました。

〈必殺削り人と肥後守 の記事 ここまで〉

 

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いつもみなさんの猫写真を楽しんでいます。

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うちの猫です。テーブルの私の席に陣取って動きません。なにか要求があるようです。

 

そしてあのほおずきも 今はこんなに赤い実をつけています。あの?

ご存じない方、あの、東京にヒョウの降った日のことです。

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cenecio.hatenadiary.com

雨で道路が川のようになり、道路をどんぶらこ、どんぶらこ、と流されていきそうになっている、下の写真、青い鉢

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 あのほおずきです。走り寄り、「しっかりしろ」と抱きおこしてやりました。

傷は浅いぞ、と励ましてもやりました。おかげさまでこんなに元気です。

 

ハイビスカス

ギアさま(id:sinsintuusin)のお宅のも大輪でとってもきれいでした。

うちのも今咲き誇っています。

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今日は終わります。

ありがとうございました。

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追記:

isourounomitu 

居候の光さま、ほんとうですか?!みなさん、お聞きになりました?

 カメキチさんに続き、良き時代を思い出させていただきました。有難うございます。私は1~3㎝になると、顔などを彫っていました。あのナイフで。

いつかぜひブログにお願いします。

みんな~!!レッツゴーですよ。 

 

独り言↓

ああ、器用な人っているんだな…うん。

ウサイン・ボルトの道を歩み始めた ティアム選手

ナフィ(ナフィサトウ・ティアム Nafissatou Thiam)選手

 

去年のリオ五輪に続き、世界陸上ロンドン大会 七種競技で金メダル🎖

http://plus.lesoir.be/sites/default/files/dpistyles_v2/ena_16_9_big/2017/08/08/node_108333/5911597/public/2017/08/08/B9712823950Z.1_20170808114354_000+GVL9IGQGF.2-0.jpg?itok=XMrtHUlF

http://plus.lesoir.be/section/161020#_ga=2.190780907.1972968069.1502398919-1474501555.1446876288

https://images0.persgroep.net/rcs/VQdHrQKAUlSWV9SxSwvgV7XXDzg/diocontent/109765606/_focus/0.37/0.31/_fill/642/386/?appId=f215d2ebdcdad4aa3dc78550c5970d02&quality=0.90&format=jpg

Opinie: Wie verzilvert het goud van Nafi? | Opinie | De Morgen

 

去年もこの時期、ナフィのことで沸いたものですが、

cenecio.hatenablog.com

その時に載せたひとこま漫画(ベルギー仏語紙)がこちら。

去年の漫画 「スター誕生」

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http://portfolio.lesoir.be/v/le_kroll/70016+ao__t+2016.jpg.html

 

今年の漫画

ウサイン・ボルトの道を行く」

http://plus.lesoir.be/sites/default/files/dpistyles_v2/ena_16_9_extra_big/2017/08/05/node_107924/5777522/public/2017/08/05/B9712801238Z.1_20170805092205_000+GCA9I8E9C.1-0.jpg?itok=wKuljwCM

http://plus.lesoir.be/107924/article/2017-08-05/kroll-presente-hmi

8月5日付けです。漫画を描いているクロル氏、この再びの快挙にさぞ嬉しかったことでしょう。

去年は一躍ヒロインになって様々なイベントにもぴっぱりだこで、受賞の嵐で、文字通り、ベルギー国民のアイドル、「2016年の顔」でした。五輪のあとは数カ月休暇を取りましたが、今年の初めに練習を再開し、着実に調子をあげてきたそうです。

そしてベルギーは小さな国ですが、若い世代の選手育成システムが成功をおさめ(始め)ていることも表していると思います。

またここ数年かまびすしく話題となる「移民の統合」の点から見ても、成功例であり、ストロマエ(*)と並び、シンボル的な存在だと言えるでしょう。

歌手ストロマエ・世界が羨むベルギー人 &初ブログ - ベルギーの密かな愉しみ

 

ナフィは、1994年ブリュッセル生まれですが、父親が母国セネガルに単身帰国してしまい、母親の郷里であるラ・ブリュイエール(La Bruyère、赤い印)

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という小さな村に引っ越しました。4人きょうだいはそこで育ちます。スポーツのためのインフラなど望めない田舎です。学校への通学路1.6kmも親が車を持たないため、徒歩でした。(10歳くらいまでは車で送り迎えする親が多い)

まずナミュールのスポーツセンターに通ったのですが、設備が貧弱なのでリエージュに移ります。学校がひけたあと、電車で通います。幸い、よいコーチに恵まれました。ハードルのスペシャリストPlumier氏や、走高跳のSpreutel氏らの指導を受けることができました。

Plumier氏のことば:「ナフィは体脂肪ゼロ。筋肉しかない。それは頭の中も同じ」

頭の中も筋肉…というのは知性という意味だと思います。リエージュ大学で学ぶナフィは、学業と競技生活を両立させていますし、少女時代もよく勉強する子で「もう勉強はやめて寝なさい」と母親が声をかける日々だったそうです。

 

http://plus.lesoir.be/sites/default/files/dpistyles/ena_16_9_big/taxonomy_term_161023/5921962/public/thumbnails/image/170808nafi02.jpg?itok=jEju0A8J

http://plus.lesoir.be/sites/default/files/dpistyles/ena_16_9_big/taxonomy_term_161023/5921962/public/thumbnails/image/170808nafi02.jpg?itok=jEju0A8J

あの小さなお嬢さんがこんな風に成長しました。

https://images0.persgroep.net/rcs/fpmoHkp4QkCuYbNb4sOc1eyWCsU/diocontent/109679659/_focus/0.52/0.4/_fill/642/386/?appId=f215d2ebdcdad4aa3dc78550c5970d02&quality=0.90&format=jpg

Opinie: Het topsportbeleid in België is er een van versnippering, waar iedereen zijn ding doet | Opinie | De Morgen

 

現コーチ 70歳のRoger Lespagnard氏にも注目が集まっています。

https://ds1.static.rtbf.be/image/media/object/default/16x9/1248x702/3/d/d/3ddffa273396bb68dd2c66043939574a.jpg

Roger Lespagnard sur la reprise et le nouveau statut de Nafi Thiam - Athlétisme - 08/02/2017

 

お母さんもひっぱりだこ

https://avecdn.akamaized.net/Assets/Images_Upload/Actu24/2014/08/08/6db957f6-1887-11e4-b2ce-59a270a2a377_original.jpg?maxwidth=756&scale=both

http://www.lavenir.net/cnt/dmf20140808_00511707

母親(Danièle Denisty)も陸上競技の選手だったので、娘の才能は早い時期に見抜いていたそうです。家ではおとなしくて口数も少ないのに、メディアの前ではリラックスしてよく話すので、驚いていると話していました。(インタビュー記事による)

 

最後に今回の成績を挙げて、今日は終わります。

成績 優勝  合計6784点

・100m障害 13.54秒

走高跳 1.95m

砲丸投げ 15.17m

・200m 24.57秒

走幅跳 6.57m

やり投 53.93m

・800m 2分21秒42    

 

世界一美しい本を作る男 -2- アーティストが作りたいと思う本のコンセプトを完璧に実現したい

(前回の続きです)

ゲルハルト・シュタイデル この男の存在自体が文明批評 

シュタイデル社は1972年からゲッチンゲンのこの通りにある。シュタイデル氏の実家から50mくらいだそうだ。初めの一棟に次々と建物をつなげていったので、中はちょっと迷路になっているらしい。そしてギュンター・グラスが2015年に亡くなってから、彼の著作を納めるためにアーカイブを併設した。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/84/Goettingen-Duestere-Strasse-01.jpg/1024px-Goettingen-Duestere-Strasse-01.jpg

Die Düstere Straße in Göttingen, Sitz von Verlag, Druckerei und Grass-ArchivGerhard Steidl – Wikipedia

 シュタイデル社のある通り(写真:ウィキペディア

 

写真集を出すまでの長い道のり

前回も書いたようにシュタイデル氏は写真家志望だったから、写真集を出したいと切に願っていた。常に設備投資を怠らず、技術も磨いてきたのに、会社設立から20年以上たっても出さなかったのは、ひとえに彼の完璧主義にある。自分の撮った写真でテスト刷りし、書店に並ぶ写真集と比べてみて、満足できなかったのだという。

写真家がシュタイデル社でぜひ写真集を出したい、そう言って写真を差し出したくなるレベル、自分で納得のいくレベルまで高めるーそのために気の遠くなるような年月と努力が費やされたのである。そして1995年、念願の写真集が出る。

外国の写真家のビッグネームは皆さんもご存じだろうから、日本人でシュタイデル社から写真集を出している人を紹介したい。こちらのカッコいい人。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7d/TokyoPortraits4.jpeg/800px-TokyoPortraits4.jpeg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9d/TokyoPortraits5.jpeg/800px-TokyoPortraits5.jpeg

写真:ウィキペディア(2011年、東京写真美術館の展覧会にて)

鬼海 弘雄(きかい ひろお、1945年 - )氏。山形県寒河江市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。ウィキペディアをみると仏語・英語版の詳しさ・熱さに比べて、日本語版は随分とあっさり。

この人が浅草に30年以上通って、そこで出会った普通の人たちを呼び止め、写真に撮ったのがこちら。

Asakusa Portraits(浅草ポートレート

http://t0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQFRdj1U5phDLJ0crtr76gFa7OSc2gA--vIXHjzXxUWVAwa1ugf

Asakusa Portraits, Hiroh Kikai Hardcover – May 1, 2008

Gerhard Steidl Druckerei und Verlag, ←ゲルハルト・シュタイデル印刷・出版社とある)

↓鬼海さんに興味ある方、こちらの対談がおもしろい。

写真家・鬼海弘雄さんスペシャルインタビュー 第1回 ハミ出す覚悟があれば、誰でも表現できる。 – salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草WEBマガジン

 

シュタイデル社のサイトから

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Publisher - Steidl Verlag

 

ノーベル賞作家ギュンター・グラス

シュタイデル氏はたくさん読書をし、展覧会にもよく出かけて行く人だ。

1984年、あるギャラリーでギュンター・グラスリトグラフと銅版画を見た。(*ギュンター・グラスノーベル文学賞をもらうのは1999年)。

グラスの作品は『ブリキの太鼓』『猫と鼠』『犬の年』などすでに読んでいたが、彼がリトグラフなどを作るとは全く知らなかったそうだ。それで展覧会を見た後カタログを買おうとしたら作っていないという。そこでグラスに手紙を書いて、作品に感銘を受けたので何か関連書を推薦してくれませんかと頼むのである。その返事は

ーそのような本はない。あなたは印刷と出版をやっているなら、あなたができる仕事ではありませんか。

そして2年後1986年"In Kupfer, auf Stein "が出る。ところがグラスには独占契約をして

https://pictures.abebooks.com/SCHLOSSANTIQUARIAT/22408217387.jpgAbeBooks

いる出版社があって、そこから「不法な出版はやめてくれ」と苦情がきた。しかしグラスが言うには「彼らに自分の絵画作品の本をつくらないかと10回は申し出たのに、ノウハウがないからといって、いつも断られていた。君とやりたいんだ」。

その後、契約していた出版社が経営困難になり、グラスはシュタイデル氏に「著作権を買ってくれないだろうか」と聞いてきた。1993年のことだ。シュタイデル氏はグラスの世界中の著作権を買い取ったのである。

以来グラスが亡くなるまで一緒に仕事をした。つまり、本作りの様々な過程に参加するシュタイデルの流儀で。

 

私の情熱を受け取って あとに続け!

http://www.goettinger-tageblatt.de/var/storage/images/gt-et/kultur/regional/verleger-gerhard-steidl-wird-65/318262833-1-ger-DE/Verleger-Gerhard-Steidl-wird-65_pdaArticleWide.jpg

„Ich habe lebenslänglich“ – Verleger Gerhard Steidl wird 65 – Goettinger-Tageblatt.de

2015年、65歳になったシュタイデル氏(写真:地元ゲッチンゲンの新聞から)

シュタイデル社のスタッフは多国籍で、まもなくアジアからも何人か来てここで働くと話している。言語は英語と決まっているそうだ。

人を育てることにも情熱を注ぐシュタイデル氏。一人でゼロから出版社を興したのだから、他の人だってできる、後に続く人がたくさん出てきてほしいと語る。

本の未来についても「アナログは死につつある」と言ってすべてをデジタル化しようとしている人たちのビジネスモデルは西部劇のようだ。誰か追い出したい人間がいると、ライフルを手にしてその人間を撃ち、1万頭もの牛を自分のものにする、そんな感じがあると語る。

(インタビュー:世界一美しい本を作る男~シュタイデルとの旅 DVDブック 単行本 – 2015/9/18『考える人』編集部/テレビマンユニオン 編 (著))

http://www.newyorker.com/wp-content/uploads/2017/05/170522_r29995-690.jpg

Gerhard Steidl Is Making Books an Art Form - The New Yorker

そして印刷も本も死んでいない、だからこそ出版社の責務は大きい。よいデザインと印刷で上質の紙で美しい本を仕上げなければならないという。毎年2~3冊の高品質の本を買う。それが一生の宝となる。子どもが引き継いで自分の本棚を作るかもしれない。

本の出版の明るい未来を熱くかたっている。

sinsintuusin

日本の技術力の高さは様々な産業で言われていますが、本づくりが賞賛されるとは思いもよらないことでした。本は読んで楽しむだけのものでなく、観て匂いをかいで手で触って、正に五感全てを使って楽しむのですね

neputa 

"本はいい香りがするもの" 電子書籍で本をひらいたときに1番物足りないと思うのはこれかもしれない。

usausamode

本を持った時の感触っていいですよね。紙もつるつるして閉じる時、ペラペラとめくる時の音と匂いも好きです。だから本つくりに情熱を書ける人の気持ちすごくわかります!日本の本も作ってほしいー

yokobentaro

たしかに世間は、何でも電子書籍にしちゃえ! という風潮ですが、やっぱりインクの匂いのする本というものはいつまでも需要があるのでは、と思います!!!

happy-ok3 

私は、やっぱり紙とインク好きです。紙の肌触りは、それぞれちがいます。

happyさん、いつも感謝です。

bg4kids

インクの匂いにもこだわりが。活版印刷の発祥の地ドイツをも憧れるほどの日本の伝統的な紙の技術、国内では需要がなく斜陽産業となりつつあるところが心配ですね。

同感です。みなさま、ありがとうございます!!

紙は50%がドイツ、30%がスウェーデン、あとはスイス、オーストリア、スペインから購入とのこと。たまにアメリカのも買うが、ドルは変動が激しくて重版のときに困るそうだ。

いい匂いは紙だけじゃなくインクからも来る。どこで作られているんだろう、と興味があるでしょう?

ハノーバーの近く、200年の伝統を持つ家族経営のインク工場があってそこから8割を購入。使うインクはすべて植物性油をベースにしたもの。たとえば亜麻仁油は高価だがとっても上品な匂いがする。最高級のレストランが最高級の素材を手に入れると同じ事が印刷でも求められると語る。(同インタビューから)

 

https://www.pdnonline.com/prod/wp-content/uploads/2016/08/Gerhard-Steidl-V.jpg

Why Gerhard Steidl Is a Book Publishing Master | PDN Online

〈「世界一美しい本を作る男」ここまで〉

なにしろ書きたいことが多すぎて悪戦苦闘しましたが、ともあれ皆さま、チャンスがありましたらぜひドキュメンタリを見てくださいませ。

 

さて最後に私も製本(*1)をやっていたし、和紙(*2)もたくさん使っていたのだが、ヨーロッパにいてひしひしと感じる日本の製品への憧れは半端ではない。例えば質のいい和紙は簡単には手に入らない。似せた「和紙風」「なんちゃって和紙」のような紙があり、普通に売っていて、その名もsimili-japonというのである。

(*1)

ルリユール・私の製本(写真ブログより移動)+資料+世界一美しい本を作る男 - ベルギーの密かな愉しみ

(*2)

フレディ・マーキュリーと和紙・ルリユール製本 - ベルギーの密かな愉しみ

 

しかしヨーロッパの本格的な書籍修復では、よい素材を日本に求めている。欧米人にとって「三大垂涎(すいぜん)の的製品」というのが

和紙、のり、刷毛(はけ)

だそうである。時間がないので今日は和紙についてだけ触れておく。

透ける紙で、上から貼っても下の文字や絵が見えるという、なんとも魔法のような紙。高知県産の極薄和紙である。ヨーロッパの修復師は本などの傷んだ箇所をこの極薄和紙でサンドイッチするのである。

さっそくサイトへ行ってみた。

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ひだか和紙-製紙 | 土佐和紙 | 文化財・古文書修復用典具帳紙

掌に載せると手の皺がはっきり見える。

1平方メートルあたり1.8グラム。

すごいですねえ。薬品など一切使わず、天然繊維だけで極薄の紙をすく技術。そして修復するものに合わせて色をつけられるという、他社にはまねできない強みがあるという。世界中の図書館、文書館、博物館、美術館で使われているそうです。

yonnbaba

 シュタイデルさんが生まれ変わって日本にいらっしゃる頃に、日本の美しいものが滅び去っていないよう祈りたいです。

ええ、私も大きく首を縦に振っています。いつまでも日本のいいもの、優れた技術が残りますように。

(記事終わります)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

shellbody 

『人間が生きている中で一番贅沢な遊びは表現することだ』写真家 鬼海弘雄インタビューから(哲学者/福田定良の言葉) ♡

 yporcini 

 2014年にいつもの名画座でこのタイトルの映画を観ていました。アーティストが作品を作るのと同じように本という作品を作っているのだという言葉が心に残っています。

ああ、  yporciniさま、素晴らしい!封切りのころにちゃんと見ていらっしゃるなんて。お仲間を見つけて、私は今ハイタッチしたいような嬉しい気分です。いつもありがとうございます。

世界一美しい本を作る男 -1-

ゲルハルト・シュタイデル

http://eiga.k-img.com/images/extra/1513/original/01.jpg

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天才たちに愛される完璧主義の男。(予告編の最初に出てくる言葉)

ドイツ・ゲッチンゲンにある小さな出版社シュタイデル。社を率いるのはゲルハルト・シュタイデルまるでラボの研究者とかお医者さんみたいな白衣の男。一年もの間、この男に密着したドキュメンタリーを見た。

2010年の作品なので「え、今頃?」と思われるかもしれない。ご覧になったかたもいらっしゃるでしょうね。

これがまあ凄い人だった。口角泡飛ばして語りたい…んだが、私がここに書くことでは伝わらないだろうとあっさり認めたうえでちょっとがんばってみる。

 

シュタイデル社で作っている本は、ノーベル賞作家ギュンター・グラスの著作集やアメリカを代表する写真家ロバート・フランクの写真集など多数。しかし普通の出版社じゃない。編集から装丁、印刷、出版まですべてゲッチンゲンの自社で、自社の敷地内でやるという徹底主義だ。出版に携わっている人から見たら羨ましくてたまらない、夢のような出版社。なのにシュタイデル氏は日本の和紙や伝統を羨ましがり、来世は日本に生まれたい、なんて言うのである。

本を作る前に欠かせないのが、著者やアーティストと直に会って対話を持ち、議論をすること。略歴だの世間の評判だのではなく、直接当人に会って話すため旅をする。ニューヨーク、ロサンゼルス、パリ、カタール、どこまでも。そしてこうした付き合いを長期に渡って大切にしている。

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紙やクロスなどの見本、途中までできあがった本などをぎゅうぎゅう詰めにした重いトランクをひきずって、何もわざわざ出かけて行かなくても、と思う。しかし顔をつき合わせて打ち合わせをすれば、数カ月かかるところが数日で済むのだという。それにすべての決定権はシュタイデル氏が握っているわけで、確かな知識と情熱、こだわり、アイディアなど、映画では次々と本作りの秘密が明かされる。

電子ブックのご時世にあって、この丁寧なコミュニケーションには驚かされる。日本の商業主義ではとっくに忘れられているものだろう。あえて職人魂と言おうか。

 

本はいい香りがするもの

映画のなかでたびたび耳にすることば、それは「いい匂い」「匂いを嗅いでみて」「触って」といった五感、身体感覚を大事にする表現だ。そう、みんな忘れている。本は手で重さを感じ、紙の質感を確かめ、パラパラめくり、紙とインクのかぐわしい香りを楽しむものでなければならない。ああ、あそこでいろいろな紙の匂いを嗅いでみたいなあと思った。シュタイデル社出版の本のコレクターは世界中にいるそうだ。

また、うるさいものと思い込んでいた印刷機の音も、シュタイデル社で聞くとリズミカルな音楽のように聞こえてくるから不思議だ。シュタイデル氏は社内を常にキビキビと動き回っている。打ち合わせをしていたかと思うと、印刷機のそばに、原稿を見たり、スタッフのようすをチェックしたりと。

社員は42人、確かな技術を持つプロ集団。一年に出版する本は200冊。刊行点数としては120冊が理想的だから減らしたいのだと言う。また会社を大きくする気はないそうだ。とにかく良質の出版物にこだわる。量より質。そしてギュンター・グラスブリキの太鼓』(撮影時2009年はちょうどブリキの太鼓』出版50周年にあたり、新装版が出た)のようなベストセラーで儲けた分は、利益を重視しない作品に回すのだと語っている。自分で意識しないうちに独自のマーケティングモデルを作っていたとも。

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上は映画の中でギュンター・グラスが筆を持ち、『ブリキの太鼓』と書かされているところを切り抜いた。まるでお習字の時間の児童みたいに何度も書かされる。先生であるシュタイデル氏はなかなかOKを出さない。ああ、やっと…と思ったら、今度はシュタイデルと書いて、と指示している。ここのSを直して…etc。

ギュンター・グラスはこの6年後に亡くなる。

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シャネルのデザイナー、カール・ラガーフェルドとの付き合いも長い。

 

18歳から本作りに

ゲルハルト・シュタイデルとはどういう人だろう。1950年生まれにしてはお若い。インタビュー記事()によると、家は貧しくて教育費も出ないほどだったから自分でお金を稼いだということだ。どうやって?

14歳のときにお姉さんが、コダックのレチナ(Kodak Retina) 35ミリフィルム用カメラをプレゼントしてくれた。写真というものが現実の複製もできれば、芸術表現もできると気が付き、写真家になろうと思った。現像やプリントのほか、シルクスクリーンエッチングリトグラフの制作や販売などをしたり、夏休みにアルバイトをしたりしてお金を貯めた。起業してよい年齢18歳になったときライセンスを得て、印刷機などを買い、年々設備投資をしていった。

写真家志望のシュタイデル氏だったが、共同経営をしていた仲間を見て、彼のような才能は自分にはない、アーティストとしてはずっと三流のままだ、と痛感し、技術屋としてやっていこうと決断する。22歳のときだ。しかしそれまでに創作のために学んだ知識は、その後出版でも大いに活かされていると言う。

*出典:世界一美しい本を作る男~シュタイデルとの旅 DVDブック 単行本 – 2015/9/18
『考える人』編集部/テレビマンユニオン 編 (著)

 

日本人は血にインクが流れている

インタビューで最も印象的なところである。インタビュアー中島祐介氏が

「もし生まれ変わるなら、日本で生まれて同じ仕事をしたいとおっしゃっていましたね?」と向けると、

ー日本人は血にインクが流れていると思う。ドイツ語のインクにはインク自体のほかに、「インクが流れている」というと「美しい詩や文学を作る」という意味がある。日本人は墨の書や切手など文字や印刷に関してよいセンスがある。印刷技術が発明されたのは中国だが、日本人が更なる高みに持っていった。だから次の人生で何をするかと聞かれれば、日本人になって同じ仕事をしたい。

(ざっとです)

http://steidl-movie.com/img/b2_pro.jpg

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映画予告編

www.youtube.com

監督:ゲレオン・ヴェツェル(『エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン 』) ヨルグ・アドルフ
出演:ゲルハルト・シュタイデル、ギュンター・グラスカール・ラガーフェルドロバート・フランク、ジョエル・スタンフェルド

原題:『How to make a book with Steidl』 2010年/ドイツ/88分/
協力:凸版印刷株式会社 印刷博物館、limArt、IDÉE  配給:テレビマンユニオン 配給協力:Playtime  宣伝:平井直子

 

映画公開に合わせ、シュタイデル氏はこのようなコメントを寄せている。

日本は、紙や表紙用の布など、世界で最も美しい本のためのマテリアルと技術を有する国です。色、印刷紙、印刷機など本当にすばらしい技巧の伝統を持っています。この豊かさを知っていますか。

 

https://img.cinematoday.jp/res/T0/01/82/v1377835424/T0018214q1.jpg

〈世界一美しい本を作る男 ここまで〉

長いので一旦切り、あすに続きます。

 

 

f:id:cenecio:20170806201027j:plainうちの娘

 

追記:①クーリエジャポンの記事

http://courrier.jp/blog/30628/

記事内のインタビュアー中島佑介とは

日本唯一のシュタイデル社公認書店「POST」のオーナーで、

当書店では、シュタイデル社の本を300冊以上扱っています。

 

dotplace.jp

二つ折りの恋文ー蛾も仲間です! ヘッセ『少年の日の思い出』

 先日NHKダーウィンが来た」を見ていたら巨大な虫たち、擬態する虫たちを紹介していた。 ご覧になったかた、いらっしゃいますか。

cgi2.nhk.or.jp

蛾!

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30cmくらいもあるというヨナグニサン(Attacus atlas)の迫力にあらためてびっくり!「ヨナグニ」からわかるように与那国島で発見されたからこの名がついたらしい。世界最大の昆虫と言われているらしい。いろいろな植物の葉をむしゃむしゃ食べまくるらしい。

・・・なのに寿命はとっても短く、オスで5日、メスで5~9日ということだから、なんだかなあ、という気持ちになる。

美しくて珍しい蛾といえば、ヘッセの短編『少年の日の思い出』を思い出す。中学の多くの教科書に載っているらしく(私の教科書にはなかったが)、日本では知名度抜群の話だということである(1931年発表で、邦訳は高橋健二)。内容を簡単に紹介するとー

 蝶集めに夢中な少年がいて、ボール紙で標本箱を作り、蝶を保存して楽しんでいた。あるときコムラサキを捕まえたことが嬉しくて、自慢したくなった。中庭の向こうには先生の息子エーミールが住んでいる。「非の打ちどころがない模範少年」であるエーミールの蒐集は本格的で、破損した翅をにかわで修復する技術まで持っている。そのエーミールはコムラサキを見るや「せいぜい20ペニヒ程度」と言い捨てたので、以後少年は蝶を見せることはなかった。

 あるときエーミールがクジャクヤママユを手に入れたことを知った。どうしても見たくてたまらない少年は、留守の部屋にそっと入りこみ、展翅板の上にあったクジャクヤママユをはずし、持ち帰ろうとする。そこに女中がやってきたため、あわててポケットに押し込む。はっと我にかえり、罪の意識を感じて元の場所に戻そうとするが、蝶はポケットの中でつぶれていた。

 母の勧めで謝りにいくことに。エーミールに正直にありのままを話した。弁償として何でもあげようと提案するが、エーミールは軽蔑したようにこう言うだけだった。きみが蝶をどんなふうに扱っているかわかったと。このあと家にもどった少年は、蝶の標本をひとつずつ指で押しつぶし、収集の日々と別れを告げるのである。(終わり)

 

ところで蝶といっているが、クジャクヤママユは蛾である。ドイツ語ではNachtpfauenauge、直訳するとNacht(夜の)+pfauen(クジャクの)+auge(目)となる。昆虫好きで知られるドイツ文学者・翻訳家の岡田朝雄氏が「クジャクヤママユ」という和名をつけたそうだ。

f:id:cenecio:20170802155248p:plainウィキペディア

上のクジャクヤママユの図は、「ヘッセが少年時代に飽かず見ていた19世紀末の銅版画図鑑から採ったそのものである。」詳しくはこちら→(少年の日の思い出 - Wikipedia

 

駆除か 観察か

e-chan (id:umanomimini-nendo)さまはここ数日、蛾の幼虫のことを書いている。蛾シマケンモンのぷっくり太った幼虫が2匹、最初はトネリコにいたのに、1匹がオリーブの方に移ってきたらしい。

umanomimini-nendo.hatenablog.com

キャー、大変!普通の女子ならここで駆除に動くはずが、e-chanさまは落ち着いたものである。

 ホウキの柄でツンツンすると、素早い動きを見せるシマケンモン

     面白い生き物です。

とおおらか。

山田ガーデン (id:y-garden) そこへ山田さまが

 これだけ葉を食べられても、やさしく見守るe-chan様。神様のよう(*^.^*)
"蛾と蝶に違いはない"という言葉に、胸がチクッといたしました(>_<)

ええ、私もそう思う (*^.^*)

id:yporciniすると今度は、一度見たら絶対に忘れないアイコンのyporciniさまが

 シマケンモンの幼虫って、パッと見た時はサボテンかと思ってしまいました。
成虫は、決して美しいものじゃないけれど、夜開く花などにとっては、蛾も大切な虫なんですよね。

もう感涙ものです。「夜開く花などにとっては、蛾も大切な虫」ーよくぞ言ってくれました。何、この心広き女子たちの集まり!もう私は仲間を見つけたようで嬉しくて今日はどうしてもいろいろ書きたいことがある。

実は私、ベランダでヒョウタン栽培しながら、ウリキンウワバという蛾も育てていたことがある。憎き害虫と呼ばれ、普通の人は退治に余念がないウリキンウワバだが、ヒョウタンも収穫したし、蛾の一生も観察できたし、とても満足だった。

1990年代にはニューヨークで蝶だけでなく蛾も寄ることのできる植物を育てよう、という運動があった。各人ベランダで夕顔など、夜花咲く植物を育て、蛾が花の蜜を吸いに来たり受粉したりができるようにと。

 

うちのトネリコには スズメガ

e-chanさまのお宅と違って、うちには毎年スズメガシモフリスズメ( Psilogramma increta)が来る。

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右:蛾 シモフリスズメ。7cmくらいになる。むしゃむしゃ葉を食べるが、葉はたくさんあるので心配しない。

左:オンブバッタもよく来る。

この種類の蛾は土の中に潜ってさなぎになるので、蝶のように観察をしたことはない。

スズメガの仲間には、ステルス戦闘機みたいなかっこいいセスジスズメもいる。

ところが

シマトネリコは枝葉の部分(2階まで伸びていた)を伐採してしまったのである。理由は先日(7月19日)の雹の攻撃。天気ヒョウ変!ウヒョーどころか、ドヒャーでした。 - Konijntje

東京の一部地域はその日激しい雹に見舞われ、雹は草木を倒し、ガラスや屋根を打ち破り、車のボンネットをボコボコにしていったのだ。(雹の降り積もった写真を載せている)

この時トネリコの柔らかくよくしなる枝が折れたり裂けたりしてしまい、上半分を切ったわけである。もうシモフリスズメは当分お目にかかれなくて残念だが、トネリコは成長が早いので大丈夫。

 

カラスウリの花

歩くと良い出会いがある - ほのぼの日記

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/miyotya/20170731/20170731200044.jpg

みよちゃんさまにまたわがままを言ってお写真を貸していただいた。カラスウリの花三輪が咲くのを観察して写真も撮ってくださった。

 午後7時55分、きれいに咲きました。

おもしろい糸状の純白な花びらが印象的でとってもきれい。たしかカラスウリも、オシロイバナ同様、スズメガが受粉の媒介をする。スズメガホバリングするので停まるところがなくても大丈夫。

 

ナミアゲハチョウの観察記録

d.hatena.ne.jp

もうひとつ、みよちゃんさまの凄いもの、まだ知らないかたにぜひともお見せしたい。

ナミアゲハチョウの観察記録」本当にすばらしい。写真もきれいですし、レイアウトもお上手です。宝物ですね。

 

最後にわがやの最近のナミアゲハ

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きょうだいは仲良く柚子の葉を食べて、順番にさなぎになり、一日違いで飛び立っていきました。左下:抜け殻

 

追記:

yokobentaroさま、どうぞどうぞ、記事や写真、よろしければ何でもお使いください。

蝶と蛾の違いはとっても難しい。「蝶は羽を畳んで休み、蛾は広げたまま」ーこの逆もあるそうです。私は、蝶は触覚の先っぽが「こん棒」、蛾ノコギリ形やその他の形」と昔ならったんですが、e-chanさまの記事によるとそうともいえないんですって。

 

jerichさま、おもしろすぎる!

ちょっと一部を引用させていただきます。(ブックマーク欄)

教科書に載ってました!で、少年がその夜に見た夢を作文にしろという宿題が出て、「君は僕の蝶を潰した。だから君が蝶になれ」・・・

 

手作りの贅沢と最良をすべての人に ーヴァージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』展ー

竹中工務店ってすごいと思う。

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先日、東陽町東京メトロ東西線)からすぐのところにある竹中工務店本店に『ちいさいおうち』展を見にいってきた。

竹中工務店と絵本?どんな関係があるの、と思うでしょう。竹中工務店のギャラリーのサイトはこちら。Gallery A4 ギャラリーエークワッドと読む

展覧会を企画したGallery A4は、2013年に公益財団法人となり、メセナアワード2014ではメセナ大賞を受賞するほど高い評価を得ている。活動方針として

建築文化の発信」を基底に据え、専門的視点に留まることなく、広く一般の方々から子供たちまで、幅広い層を対象に、愉しみながら建築文化の理解を促すことを心がけてきました。これからもこの方針を念頭に、創意工夫を凝らした企画を実現させていきたいと考えています。

このようなコンセプトなので、ちいさいおうちも「建築文化」の一つと捉えており、子どもたちのために「ちいさいおうち」を作ろう!という工作ワークショップや読み聞かせのイベントなど、工夫を凝らした企画を用意していた。

 

『ちいさいおうち』1942年)

アメリカの絵本の古典中の古典、バージニア・リー・バートン(Virginia Lee Burton, 1909- 1968年)の作品である。邦訳は 石井 桃子さんで1954年発行。

皆さんも子どもの頃読んだり、あるいは現在小さなお子さんがいらっしゃるかた、読み聞かせをしたりしたのでは?この本は児童向けの範囲をはるかに超えており、大人こそ読むべきなんじゃないかと思っています。


ちょっとピンタレスト画像をお借りして、トーリーを知らない方にもおおよそ見当がつくように。(もちろん全部の絵ではありません)

https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/564x/43/00/a6/4300a6dc0d2af1e274a2ec2185ab0287.jpg

What will happen to the Edith Macefield house? : TreeHugger

お話の主人公はちいさいおうちで人格を持っていて、常に絵の中心に描かれている。周辺が都市化・工業化していき、表情も次第に変わっていく。

大都会の騒音と汚染と窮屈のなかで暮らすちいさいおうち。田園ののどかな日々を思い出し、あそこに帰れたらなあと夢見るが、ひとりではどうしようもない。

ところがあるとき、ちいさいおうちの前を通りかかった人のおかげで、また田園の生活に戻れることに。その人はなんと……。

「いなかでは、なにもかもが たいへん しずかでした」。

この一文で物語はハッピーエンドに終わる。あらためて表紙の絵(アイキャッチ画像)を見てみる。おうちを取り囲むひな菊、太陽、木々、小鳥たちは自然と平和と幸せの象徴だろう。

 

デザイナー バートンの世界

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/8/8b/Black_and_white_headshot_of_author_Virginia_Lee_Burton.jpg写真:ウィキペディア

バートンの残した7冊の絵本はすばらしいものだが、絵本製作は彼女のほんの一部でしかない。自然を慈しみ、古き価値あるものを大切にする、地に足のついた生き方は、ターシャ・テューダーや前に紹介したマリ・ゲヴェルスを思わせる。野菜を作り、庭仕事に励み、ジャムやコンポート作り、羊の飼育や猫たちの世話、大好きな料理や裁縫…もちろんそこに大切な家族や友人・隣人たちが加わる。その世界が根本にあって、そこから滋養を得てバートンの世界はどこまでも広がっていったのである。

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私はデザイナーとしてのバートン、職人集団「フォリーコーブ・デザイナーズ」(The Folly Cove Designers)を育て上げた指導者としてのバートンを尊敬してやまない。

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 写真:ヴァージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』展より

  

バレーを習い、ダンスに夢中だったバートンはけがをした父の看護をすることになり、こちらの夢はあきらめ、同じように好きだった美術の方に進むことを選択。(教師だった男性と結婚する話はのちほど)

絵を描き、彫刻をし、木口木工版画などの制作のかたわら、乞われて絵のクラスを持つことになる。そのレッスンからずぶの素人の主婦だった人たちが、アメリカ中に知れ渡るデザイナーズ集団へと成長していくようすはワクワクする成功物語である。

展覧会では彫られたリノリウム板とプリントされた布などが多数飾ってあった。テーブルクロス、スカート、エプロンなどの製品のほか、布地としても売り出され、人々は気にいったデザインの布を何ヤードと注文して買っっていったそうだ。

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これはバートンがデザインクラスの卒業生たちに贈った、いわば「修了証書」。創作の過程がユーモラスにダイナミックに描かれ、細部も凝っていておもしろい。

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私がとっても気にいっている「うわさばなし」Gossips。発想が秀逸。アメリカの小さな田舎町の、クスっと笑える日常である。

 

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繰り返し題材となる「ブランコの木」

 

もうあれもこれも紹介したいのですが💦キリがないので興味を持ったかた、ネットでたくさん見られますのでどうぞ。

 

ダンス・曲線の美

なぜこんなにバートンのデザインが好きなんだろう、と考えてみると、リズミカルな動きと曲線、そしてユーモアと明るさだと思う。長く親しんだダンスからの影響は大きいだろう。舞台で動きをデザインするように、一枚の絵の中にもっとも調和のとれた動きをおさめてみせる。しかも絵本の場合は言葉が大切で、当初は手書き文字だったようだ。一つのストーリーが表紙から見返し(ここに絵を描く人は稀)、本文(絵と言葉の調和)、最後の見返し、裏表紙まで連続して完結する。

バートンにとってデザインは本当の意味で「自己表現」であり、人生のすべてを注ぎ込んでいると思う。

また題材を身近なものに求めるところもいい。

細部へのこだわりも徹底しており、直しを何度でも気のすむまでやるため、編集者はバートンの手から原稿を「もぎ取らねばならなかった」という。

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下「フォリーコーブ・デザイナーズ」(The Folly Cove Designers)の本拠地。もとは納屋だったそう。

http://2.bp.blogspot.com/-sOmxQc5Dqpk/TxW_f7rhAtI/AAAAAAAAB4M/HvxECtbRM5c/s1600/Folly+cove+shop.JPG

Deborah Velásquez: Virginia Lee Burton, An Artist Mom

 

ロビンフッドの歌」

倦むことなき研究のたまもの、そして驚くべき細密画の作品『ロビンフッドの歌』にはため息が洩れる。

展覧会は下の写真のように絵だけであるが、本には楽譜とテキストがついている。中世の彩色写本を思わせ、豪華で美しい。

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興味のある方はこちら→『ロビンフッドの歌』The Song of Robin Hood (英語) ハードカバー – 2000/8/28https://www.amazon.co.jp/Song-Robin-Hood-Anne-Malcolmson/dp/0618071865

 

バートンの個性的な家族たち

父親はなんとマサチューセッツ工科大学の初代学部長である。母親は芸術家。両親から才能を受け継ぎ、恵まれた子ども時代を送った…と書きたいところだが、ある日、母が24歳年下の男性(マサチューセッツ工科大学の学生だった)と同棲するため、家を出てしまう。のちに二人は結婚するのだが、その自称発明家で変わり者のカール・チェリー(Carl Cherry)とは数年は貧乏な生活だった。ところがチェリーは本当に発明家だった。第二次大戦中に航空機生産に革命を起こすことになる「チェリー・リベット」という鋲(びょう)を発明し、億万長者になったのだ。ただ彼は戦後すぐに亡くなってしまったそうだが。バージニアは母親とのちに和解する。

ジョージ(George Demetrios )はボストン美術館学校で、土曜の朝だけデッサンクラスを受け持っており、バージニアは生徒だった。ジョージはギリシャからの移民で、15歳のとき、襟の折り返しに名札をつけてアメリカに上陸した。英語は全く話せなかった。道で靴磨きをしていたが、客のいないときは通行人の顔を描いて楽しんでいた。それをたまたま見た人がスケッチに感心し、奨学金を受けて美術学校に行けるよう取り計らってくれた。学校では大変な評価を受けて、重要な賞をもらったり、フランスへ留学したりした。さらに彫刻のほうに舵を切ると、これでも名声を得て、ボストンに自身の名前のついた絵画彫刻学校を設立するのである。

二人の子どもたちのことは長くなりすぎるので、残念ながら紹介できない。

最後にバートンが日本に来たことを。『ちいさいおうち』の翻訳が出て日本で大好評だったため、日米文化協会は1964年、バートンを招待した。石井桃子氏の主宰する「かつら文庫」を訪れたり(子どもの阿川佐和子さんがその場にいたとか)、松岡享子氏(翻訳家、児童文学研究者)と一緒に旅行したりした。富士山の近くの漁村で過ごした4日間の思い出を「浮世絵の中で暮らしたみたい」と語ったそうである。

ヴァージニア・リー・バートン ここまで〉

 

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桔梗はもう終わりなんですが、最後の白と紫がひとつずつ咲いていました。ほおずきが色づきました。

山田ガーデンさんがおっしゃるとおり、マリーゴールドはこの暑さにもめげず、いつも溌溂としています。朝、こちらの眠気を覚ましてくれますね。

 

sinsintuusin 

ギアさま、お子さんとお孫さん、もしかして知っているんじゃないかしら。

『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』なんか図書館で人気の本です。

いたずらきかんしゃちゅうちゅう|福音館書店

 

anneneville 

アンヌさま、おっしゃる通り、ディズニーアニメになったのですが、バートンは全然気にいらなくてがっかりしたんですって。話がずいぶん変えてあったようです。

東京は催しが多すぎて、たいてい行きそびれます。期間が短いからね。

暑さの折り、お気をつけ遊ばせね!

河童忌 田端の王様・芥川龍之介

河童忌

7月24日は芥川龍之介が自殺して亡くなった日、あれから90年です。softwind さまはちゃんと取り上げて下さいましたhttp://kihaseason2015.hatenablog.com/entry/2017/07/24/000200

私もその日に何か書こうと思っていたのですがそびれてやっと今日になってしまいました。芥川の命日を河童忌と呼ぶのは、自殺の前に書いた小説が『河童』だから。(いろいろな文学忌がありますが、太宰治の桜桃忌も有名ですね)

http://www.eonet.ne.jp/~nagasaki/kappa/ryukapp2.jpgNagasaki-ken's Kappa Densetu

芥川が住んでいた田端は多くの文人や芸術家が集まり、約1キロ四方に100人ほどがひしめくという、実に独特な芸術家村を形成しました。ざっと名前をあげると、室生犀星菊池寛久保田万太郎堀辰雄瀧井孝作中野重治佐多稲子、平塚らいちょう、田河水泡竹久夢二岡倉天心…。「ポプラ倶楽部」というテニスコートや「天然自笑軒」(芥川が披露宴を行った)という料亭など社交の場があちこちにあり、人々は下駄ばきで行き来し、互いに切磋琢磨していたそうです。

そこで「芥川は田端の王様であった。眩い存在であった。誰もが彼を愛さずにはいられないほど彼は才学に秀で、誰にも優しく、下町人特有の世話好きの面もあり、懐かしい人だった。」(『田端文士村 』近藤 富枝)

田端に越してきた萩原朔太郎は、室生犀星と一緒にあいさつに行こうと思っていたら、芥川がいきなり訪ねてきたエピソードを綴っている。丁寧にお辞儀をして頭をあげたら芥川はまだ畳に頭をつけてお辞儀を続けていた。それで自分もあわてて「お辞儀のツギ足し」をしたと。芥川は萩原朔太郎が移ってきたのが大変嬉しかったのだという。

 

田端文士村散策ツアー

田端駅前に立つアスカタワー1階には「田端文士村記念館」が入っていて、様々な催しをやっています。田端文士村記念館

今年2017年の命日は巣鴨の慈眼寺へお墓参りツアーがありました。私は参加していませんが、お孫さんの芥川耿子(てるこ)さんとともに、70名の参加者がいらしたそうです。ところでsoftwind さまが家族のことを詳しく書いています。

子供
芥川比呂志(長男) - 俳優
芥川多加志(次男) - 最も文学志向が強かったが、1945年(昭和20年)4月13日にビルマ(現:ミャンマー)で戦死[20]。
芥川也寸志(三男) - 作曲家。



芥川耿子(比呂志三女) - エッセイスト、詩人、童話作家
芥川貴之志(也寸志長男)- ファッションデザイナー。
芥川麻実子(也寸志長女)- メディアコーディネーター。

 

子供の名前は、それぞれ親友の菊池寛の「寛」(比呂志)、小穴隆一の「隆」(多加志)、恒藤恭の「恭」(也寸志)をもらって漢字を替えて名づけたものである。

お孫さんたち、皆活躍されていますね。

田端文士村のまち散策には去年参加しました。初めにレクチャーがあって、そのあと二班に分かれて学芸員のガイドで地域を歩きます。路地や坂の多い土地で、ガイドがいるのがどれほどありがたいか…。

だいたいこんな感じですよ。華やかに旧居跡が散らばっています。多いでしょう。

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印象に残っていることのひとつはこの不動坂です。(下の写真)

芥川は自宅から不動坂をおりて、田端駅に行き、東京大学へ通ったのですが、手紙に

「雨のふるときは下駄で下りるのは大分難渋だ。そこで雨のふるときには一寸学校がやすみたくなる」と書きました。

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へえ、この坂が?そんな大変な坂じゃないと思うけど。普通そう思うでしょう。

・コラージュ写真下:不動坂(今は階段)

・真ん中:現在のJR山手線・田端駅入り口(東京にお住まいでない人、小さくてびっくりするでしょう)

・写真上:駅を背に下の線路をのぞき込んだところ。

そこで学芸員さんが教えてくれます。昔は上から線路までが一続きの坂道だったそう。なるほど結構な坂道です、それなら愚痴をこぼしたくなるのもわかります。雨や雪の日は滑って危なかったでしょう。

 

イマドキの文豪

ところで先ほどの地図の裏側がこちら。

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右が芥川、左が森鴎外です。この地図は文士村記念館と文京区「森鴎外記念館」と文豪ストレイドッグスというマンガのコラボなんです。(森鴎外についてはいずれの機会に)

文豪ストレイドッグス』とはウィキペディアによると

原作:朝霧カフカ、作画:春河35(さんご)

ヤングエース』2013年1月号より連載中。

太宰治芥川龍之介中島敦といった文豪がキャラクター化され、それぞれの文豪にちなむ作品の名を冠した異能力を用いて戦うアクション漫画である。
主要な登場人物はほとんど全員が文豪と同じ名前と誕生日。各自の能力や人物設定も文豪自身のエピソードや作品にちなんだものが多い。
この作品が生まれたきっかけについて、原作者の朝霧は「文豪がイケメン化して能力バトルしたら絵になるんじゃないかと、編集と盛り上がったから」と述べている。

news.walkerplus.com

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上の記事からちょっとお借りしましたが、原稿や手紙や初版などお宝がいっぱいです。イラストの絵葉書も売り出し、新聞などで宣伝したおかげで若い層の集客に効果があったそうです。最近は文庫本の表紙に人気漫画家の絵を採用することが多いですよね。

 

去年は復元模型も見にいきました。

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<事前案内>「田端文士村記念館」リニューアルオープン|東京都北区

芥川龍之介の養父が田端に建てた家で、土地面積は約200坪。2階の8畳間が書斎で、夏目漱石の「木曜会」にならい、日曜日を面会日にしていました。多くの友人が集まって文学サロンとなっていました。

この家を30分の1スケールで復元しています。書斎の乱雑に置かれた本や手紙や机の上の諸々から、室生犀星が贈った庭のつくばい、ステッキ、物干しざおの浴衣など、大変に細かい。

椎の木に登っている龍之介、縁側で座って眺めている長男比呂志、三男の也寸志はお昼寝中…といったミニチュア人形もおもしろい。(こちら産経新聞によい写真があります。芥川の自宅模型が話題に 改装の田端文士村記念館 - 読んで見フォト - 産経フォト

 

 自殺した夏も暑かった

今年も酷い暑さですが、芥川の亡くなった昭和2年も35℃だったといいます。內田百閒(うちだ ひゃっけん)はこう書きます。

芥川君が自殺した夏は大変な暑さで、それが何日も続き、息が出来ない様であった。余り暑いので死んでしまったのだと考え、又それでいいのだと思った。原因や理由はいろいろあっても、それはそれで、やっぱり非常な暑さであったから、芥川は死んでしまった。

芥川は河童の絵を何枚も描いたようですが、画家で友人の小穴 隆一は、晩年の絵は草書のような枯れて疲れた河童になっていた、といい、久保田万太郎

「生前、どうしてああ好んで河童の絵を描いたのか…畢竟(ひっきょう)かれはつねにかれの自画像が…哀しい自画像が描きたかったのである」と書いています。(引用はそれぞれ個人全集から)

 哀しい自画像だったとは…。

河童忌 田端の王様・芥川龍之介 ここまで)

 

アゲハ蝶と朝顔

外の朝顔は今年は二階まで紐をはりました。

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カマキリのお洋服

今日、土用の丑の日 - ほのぼの日記

クリナムの上に毎日カマキリがおりますが、今日は脱皮した殻が残っていてラッキーでした。

カマキリの脱皮した美しい殻を載せていらっしゃいますので、ぜひご覧になってください。みよちゃんさま、いつもありがとうございます。

 

 追記

id:marverickjpさま、ありがとうございます。

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www.youtube.com

田端文士村記念館ではこのフィルムの全部が見られます。入館無料です。

 

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yokobentaro さま、アニメ見てたんですか?うちの夫はあの葉書がなくなるといけないから、とわざわざ買いにいったんです。

 

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sinsintuusinギアさま、ぜひ河童でブログ記事書いてくださいよ。なるべく早くね!

anneneville アンヌさま、自殺の原因はいくつもあって簡単にはここに書けないんですが、「暑くて…」あんなフォローのしかた、悲しみの鎮め方もあるんだなと心に響きました。

壁絵・ストリートアート この奥深き世界

自分が絶対興味を持たないだろう、と思うもの、ありますよね。

たとえば私だったらラップなんて詩吟と同じくらい遠いものです。ある日突然、ラップにはまってラッパーさんの追っかけになっている、なんてあり得ないです。ラップファンの皆さんには申し訳ないですけど。

たとえばグラフィティ (graffiti) なんかも…。グラフィティというのはほらあれ、スプレーなどで壁に書かれた絵や文字のことです。

http://www.asahi.com/kansai/travel/news/image/OSK200811140042.jpg

(地下鉄新大阪駅の車両)朝日新聞より

10年位前、二人組の外国人が大阪を中心に、電車などに落書きを繰り返し、器物損壊罪などで起訴されたことがありました。ロシア、英国、チェコポーランドなどでも同様の落書きをして回ったそうで、「日本の電車には落書きがなく、目立つと思った。日本人にアピールし、有名になりたかった」と供述したそうです。

asahi.com(朝日新聞社):国際電車落書き団、列島縦断13件 「有名になりたい」 - 関西交通・旅ニュース

こんな変な字、どこがいいんだろう。落書きなんぞ甚だ迷惑、しかもよその国にきてまで…。かつての私はそんな風に思っていました。

もちろん東京などでもちょっとした落書きはあります。でも壁や塀や、公共の乗り物や建物の壁面を使って大きな絵や字を描く― そういう発想がそもそもない。

ところが人は変わるもので、ベルギー滞在以降、ストリートアートとしての壁絵に俄然興味を持っています。ブリュッセルでは壁絵の写真もずいぶん撮り、当ブログと写真ブログに載せてあります。おそらく50枚近くはあるはずです。

 

今日はひとつ取り上げてみましょう。

男の貌。

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ヘミングウェイみたいな…。左頬に窓が来てるね、などと思いながら、しばし足を止めます。ブリュッセルナミュール通り(Rue de Namur)の絵で、私は王立美術館の入り口を背にして写真を撮っています。

昔、この緩やかな坂を上って通りを渡ったところに住んでいました。懐かしい坂を行きますと

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おや、なんと顔が二つあったんですね。老人の日焼けした厳しい顔です。

そして特徴的なのが白い部分。一見白髪・白鬚に見えますが、よく見ると混じりあうように多数の白い文字が、それもカリグラフィーペンでお習字したような美しい字です。書かれているのは全部フランス語の単語。

誰が描いたんだろう。すると右下に赤色でpropaganzaとある。プロパガンダではなくプロパガンザ。たぶんこれが製作者のサインだろうと思い、ネットで調べます。

https://www.facebook.com/propaganza.belgium/

 

プロパガンザ、ブリュッセルで活動しているアーティストのグループでした。そして下の男の横に小さい窓があって、Spearとサインがありますね。これも調べてみると、このグループを代表するSpear氏の作品であることがわかりました。

↓素晴らしい作品がいっぱい!!↓↓

www.facebook.com

 

 

もうこうなると調べるのが楽しくて、Spear氏をどこまでも追いかけます。

制作風景もfacebookで見つけました。

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もちろんブリュッセル市の許可を得て制作しています。

こちらも制作風景。ボリビアだそうです。(チーム制作の作品も混じっています)

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https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/10675787_903873096311707_7804225934356616266_n.jpg?oh=e4534fd2ffe2d5ab6075f96e3aa538a7&oe=59FDAE76

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/12717551_1113452595353755_6931548341958720209_n.jpg?oh=f6069ea1939c024e35d3b4d92082317e&oe=5A110B7E

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最後の写真なんか、もうため息が洩れますね。

 

今回はブリュッセル在住のアーティストを紹介しましたが、世界中には様々なタイプのアーティストがいて好みも分かれます。また神出鬼没なバンクシーなど話題に事欠きません。以前扱いました。

cenecio.hatenablog.com

 

エル・ボチョが来た

でも日本では壁絵は馴染みがないですよね。そう思っていたら、5月の連休のころ確かjerichさまが壁絵の写真を挙げていたなと思い出し、さきほど日付けを聞いてきました。許可を頂いているので紹介します。

こちら

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/jerich/20170507/20170507080005.jpg

途方に暮れて - キャラメル箱の庭

jerichさま、感謝いたします。写真素材との出会いってありますね。それを皆に見せてくださってありがとうございます。

いろいろな角度で撮れるわけですが、下から見上げるようにして撮っていて、左側の女性の唇や瞳の存在感が増していますね。

この作者はEl Bocho(エル・ボチョ)というベルリン在住のストリートアーティストです。(写真を見たらカッコいいドイツ人だった。でも顔は隠したがる。)

独特なラインとオレンジ・黄色・ベージュ、たった三色でこんなにも豊かで迫力満点の世界が広がる。エル・ボチョカラー(と呼んでいいかな)がとても気に入っています。

追記:質問にお答えして、あの壁面の上には「シェアースピリット」(SHARE SPIRIT)というブティックが入っているビルがあります。美しい建物です。(東京都渋谷区鉢山町14−10)http://www.sharespirit.jp/

 

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/14572897_1133343936746739_2745545209464437840_n.jpg?oh=203ef45456325e5936bc0c928be934d2&oe=5A11727A

https://ja-jp.facebook.com/elbochoberlin/

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石川さゆりさんとお知り合い。CDカバーを手掛けたそうです。

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/14600943_1133341193413680_2840248162396785152_n.jpg?oh=e37d6f15effe2aef12b24c1af0b99a1e&oe=59F55546

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去年の秋、個展がありました。

EL BOCHO「BERLIN TOKYO」

104GALERIE(東京都目黒区青葉台 3-22-1 目黒ハイツ 104)

 

来日中、東京でストリートアクション中のエル・ボチョ氏

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/14632993_1133342756746857_2754875442821977867_n.jpg?oh=8d6850ca2eb80778a6c37e34f01cf4c6&oe=59C33D27

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/14632993_1133342756746857_2754875442821977867_n.jpg?oh=8d6850ca2eb80778a6c37e34f01cf4c6&oe=59C33D27

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/14908376_1133342143413585_5285496088121058166_n.jpg?oh=ec2f0eb635fbca860457a1d8122a7a52&oe=5A0FFFE5

渋谷交差点でのパフォーマンス。

 

今日はここまで。

またおもしろいものを紹介いたしますね。

七月の園芸家 マラルメ・詩人の庭 -2-

日が空いて間が抜けてしまいましたが、前回の続きです

 

七月の園芸家

『フランドルの四季暦』フランドルの四季暦 :マリ・ゲヴェルス,宮林 寛|河出書房新社

 の中でマリ・ゲヴェルス(1883 -1975、写真)は七月という月を高らかに謳いあげるのですが、その中に青空について語るくだりがあります。私はそこを読んで以来、今日は青空にどんな形容詞をつけよう、と空を見上げて考えるのです。

f:id:cenecio:20170720095357p:plain http://literairgent.be/content/images/2XX99XDZ-1748.gif

写真:マリ・ゲヴェルス 出典:Gevers, Marie - Literair Gent

ある日、文学(かぶれの)青年がこう言います。

マラルメ以後、青空という単語を使うことは不可能になりました。なにしろ、この単語の美しさを存分に味わうことのできる読者は、ほかならぬマラルメの詩を知っているからこそ、青空の美を享受しているわけですし、詩を読まない一般人には、言葉の美はそもそも理解しようがないのです。今さらそんな単語を使って何になるでしょうか」

ここに出てくる『青空』(L'azur)はフランスの詩人ステファヌ・マラルメ(1842-1898)が22歳の時に書いた詩のことです。(フランス語原文→

http://poesie.webnet.fr/lesgrandsclassiques/poemes/stephane_mallarme/l_azur.html

マラルメの初期の詩篇ボードレールの影響が大きいと言われています。この詩は、理想の象徴のような青空と、詩が書けず苦しむ自分とを対比させているのだと思いますが、どうでしょうか。

さて、マリ・ゲヴェルスは文学青年にすぐさま反論します。青空とわれわれの間に、たとえ天才の作品だったとしても、詩を介在させる必要はないでしょうと。 そして”L'azur”という言葉は四大元素(この世界の物質は 水・空気または風・火・地の4つの元素からできているという思想)のうちの空気と、色彩であるの両方を意味する類まれな単語であるといいます。たとえば、という単語が茶色の意味を兼ねることはないし、同様に青緑も別々の単語ですから。

さらに、”L'azur”の意味にもの意味にもなれば、透明の意味にも、や、解放希望の意味にもなることができると続けます。

(引用 p146)

またなんと多彩な青でしょう。空の青にあれだけの幅があることは、それだけで一つの奇蹟です。おもいつくかぎりの修飾語をあてはめることができますし、選んだ修飾語次第で青空は動き出し、震え、波打ちながら、刻々と変化していきますが、だからといってでなくなるわけではありません。

試しに修飾語と青空を並べてみましょう。…(略)

 こうしておもしろい実験が始まり、マリ・ゲヴェルスならではの「青空論」が展開していきます。残念ながら長くなるのでここまでにしますが。

ちなみに『フランドルの四季暦』については、去年すでにマミーさまが素晴らしいレビューを書いてくださっています。やっと。 - こたつ猫の森

マミーさん、断りもなく勝手にすみません🙇

 

園芸家 ステファヌ・マラルメ

マラルメは詩人として、最大の賛辞に包まれ、生前はもちろん、現在でもその栄光と影響は増すばかりです。極限までの完璧さにこだわり、詩の可能性を追求した人生でした。あの破天荒なヴェルレーヌランボーと同時代人ですが、生活スタイルは正反対で、リセ(日本でいう高校に近い)の英語の教師をして家族を養いながら、詩や評論を書き、翻訳をし、社会の問題にも目を向けた人でした。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2f/Mallarm%C3%A9_Nadar.jpg/200px-Mallarm%C3%A9_Nadar.jpg1890年ころのマラルメウィキペディア

パリの自宅で火曜日に開かれた「火曜会」Les Mardistesというサロンには、文学者や知識人ら錚々たるメンバーが集まりました。アンドレ・ジッドやポール・ヴァレリーといった著名なフランス人20人以上のほかに、リルケやイェイツ、ツヴァイクなどです。晩年の頃には参加者が多すぎて、マラルメを師と仰いでいる若者たちにはなかなか近寄りがたくなっていました。こんな証言もあります。1897年12月のある火曜会、フォンテーナスのことば。

火曜会は人々多く集まって、かえってマラルメの深いきびしい思考を聞き難くなっていたが、この日はめずらしく来会者少なく、話題は各芸術及び芸術家にわたり、天啓を受けた気がした。

マラルメ筆まめ非常に面倒見がよい人でした。だから人々はパリの自宅のみならず、フォンテンブロー近くのセーヌ川沿いにあった別荘にもよく訪ねてきました。

その別荘は現在マラルメ資料館(http://www.musee-mallarme.fr/)

となって公開されています。私が訪ねたのはもう20年以上前のことです。現在でもサイトで見る限り、基本はほとんど変わっていないようですが、工夫をこらした特別展示や子供たち向けワークショップが目を引きます。

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入り口。プレートがかかっています。Musée départemental Stéphane Mallarmé

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華美でなく、大きすぎず、居心地のよい家です。個々の部屋は興味のある方はサイト内で見ていただくとして

f:id:cenecio:20170720173435p:plain見取り図(サイトから)

 

マラルメ家のお宝のひとつだったというものをご覧ください。「日本のキャビネット」(Le cabinet japonais)。

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出所ははっきりしないようですが、当時のジャポニズムの影響でしょうか。日本のものは人気だったんですね。でも私には日本と中国の折衷のように見えますが。

 

それにしても高校の英語の先生で、パリのアパルトマンのほかに、川辺の別荘まで持てるなんて驚きです。最初の詩集は45歳のときとずいぶん遅いうえ、47部限定の私家版だったのです。詩や評論、英語の参考書も書いていましたが、裕福ではなかったはずです。

ともあれ大切な家族のために、週末や休暇をみなでのんびり過ごすべく、この家を購入したのでしょう。もとは馬も泊まれる宿屋だった建物です。馬がセーヌ川の川べりを歩きながら観光用の船を曳いていくレジャーがありました。

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マラルメにとって庭いじりは大きな楽しみでした。手紙の数々がそれを物語っています。朝、自分の洗面を済ませるより前に庭に出ていました。花のおめかしのほうが大切というわけです。水遣りやアブラムシの退治や剪定など、細やかな心遣いで植物と野菜の世話をしながら、そうしたことをひとつひとつ手紙に綴り、離れている娘や妻に知らせてやりました。

 

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マロニエは育ちすぎてうまく木陰を作ってくれないが、どうしたものだろうね。庭師より娘の意見の方を聞きたがりました。

そろそろ薔薇が咲くよ。早く見にきておくれ。嵐のせいで牡丹の花びらが散ってしまった…etc。

 

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家の中から見た庭。奥のほうに菜園があります。

51歳で退職の許可が下りてからは56歳で亡くなるまで、多くの時間をここで過ごし、詩作に打ち込みます。また友人たちもよく訪ねてきて、さきほどの大きなマロニエの木陰はいわば「夏のサロン」となりました。

私が訪ねた20年ほど前の7月も花盛りでした。花の種類は多すぎて覚えていませんが、前庭の小さい薔薇がとても印象的だったし、名前も知っています。

最後に、薔薇好きな読者のみなさまのために、マラルメのお気に入りを紹介します。

自分で写真を撮っていないため、ピンタレスト画像から借りています。

Ghislaine de Féligonde

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②The Fairy

https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/564x/69/fe/b0/69feb034dc08d4b8458673a9cda7d643.jpg

③New Dawn

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④Jacques Cartier

https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/564x/a4/37/74/a43774f55d741605e0680195eae7aa02.jpg

ほかにもまだ数種類、大輪の薔薇もありました。

ああ、 うっとりしますね。薔薇の薫りに包まれて家族と過ごす時間…。

 

おわり