ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

ドイツのカーニバル・じゃんけん・テロの脅威にユーモアで応戦(+じゃま猫)追記:2018年のカーニバルも激しい! 

①カーニバル 2016 いつも過激!

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http://www.demorgen.be

ドイツ、デュッセルドルフのカーニバル。風刺たっぷりの山車が登場することで有名なのだが、ちょっとこれはひどいと思う。普通に見たら、一国の独裁者が国民に圧政をしいているようにみえるだろう。でもこの人ヤロスラフ・カチンスキは右派議員の一人にすぎないはずだが。

あれ、大統領だったんじゃ…。それは双子のきょうだいレフのほう。あの不可思議な5年前の事故(事件?)。レフと妻、議員や軍人ら90人を乗せた飛行機がロシア領土内で墜落し、全員が死亡したのである。酷い事故だったな。もちろんカチンスキ氏もお怒りだとポリティコ紙が伝えている。 

2枚目の写真は難民の波に文字通り呑まれるメルケル

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3枚目はイジりがいのあるトランプ氏。

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 カーニバルは何でもありなんですね。

②ベルギーにおけるじゃんけん

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わかりづらいかもしれないが、ベルギーの地図で、南の半分、すなわち黄色がワロン(フランス語地域)。北半分のフランドル地域において、「じゃんけん」のことをどう言うか調べたもの。

①blad-steen-schaar すなわち葉っぱ、石、ハサミ

なのか

②schaar-steen-papier ハサミ、石、紙

なのかである。

地図のオレンジが①の地域、左右に分かれている。赤が②の地域だが、おもしろいことに首都ブリュッセルからアントウェルペン州全体を含む細長い地域である。

子供たちにインタビューしたところ、両サイドとも自分たちのほうが発音しやすくていいと言っている。出身が異なる者同士のじゃんけんは息があわなくて難しいらしい。

もうひとつおもしろいと思ったのは、

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勝ったチョキはパーの紙を切る真似をすること。

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(写真: アントウェルペン 私の部屋からみた朝焼け)

 

③テロの脅威にユーモアで応戦 

すごく楽しめます。み~んな可愛い💛

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National emergency? Belgians respond to terror raids with cats | World news | The Guardian

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④「じゃま猫って知ってる?」

テレビから聞こえてきた。なんのことはない、文字通り、飼い主の邪魔をする猫のことだった。

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そうした写真をアップして人々は笑いあっている。でも本音は、自分の家の可愛い猫を見せたいだけなのかも。上の写真はうちの猫がまだ赤ちゃんのころ。勉強中のコピーのうえで眠り込み、老眼鏡もとられてしまった。

ガーデニングをする人のお宅では猫は飼わないって本当かしら。土をいじったり掘り返したりして植物をだめにするから、というのだけれど。うちは外へはださないから、考えたことがなかった。部屋の観葉植物を食べて困る、とこぼしている人がいたけれど、それはしつけの悪い猫ちゃんなんじゃないかと思っていた。

我が家の猫は「それはだめよ」というとちゃんとわかる。小さいときによく叱ったから、あ、またお母さんに怒られるからやめよう、と思っているみたいだ。

🌸わがやの猫のテレビ狂時代。

猫番組にだけ反応した。

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気になってしかたないらしく、裏側も見ていた。

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だんだん興味がうつり、

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ジャガイモとじゃれてみたり

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でもやっぱり箱入り娘かな。ワレモノ注意。

 

追記:2018年2月13日

2018年のドイツのカーニバルは?

こちら雨雲さんが伝えてくれています。お借りします。

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https://twitter.com/N74580626/status/963170241252503553

のずさんが呟いています。4枚目に対し

AfDの「Wollt ihr den totalen Zwerg?(諸君らは完全な小人を望むか?)」がヤバ過ぎ。

何がヤバいって、ゲッベルスの「総力戦演説」、「諸君らは全面的な船倉を望むか?」(Wollt ihr den totalen Krieg?)というナチネタのパロディーだからです。確認してみないと分かりませんが、党首の身長を揶揄しているのでしょう。

アントウェルペン中央駅2。

昨日に続き、今日は駅の中を見ます。

アントウェルペン中央駅 -1- 駅を外から - ベルギーの密かな愉しみ

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列車が着いた。わあ、きれい!と思う。何度来てもそう思う。

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「出口」って書いてあるけど、駅舎への入り口でもある。終着駅だからみんなここに向かうのだ。実をいうと裏から出ることもできる。日本と違って改札がないから。ユダヤ人は皆後ろの出口を使っている。自宅に近いからだろう。前に「シナゴーグ」のところで書いたけど、アントウェルペンには約2万人のユダヤ人が住んでいる。 

今あそこで、おじさんが三脚立てて写真を撮っているね。邪魔しないように通ろう。

階段を降りていくと切符売り場のカウンターが見える。左にインフォメーション。(以前アントウェルペンの観光案内所・WIFIを求めて・書店 ほか - でお話しした)

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 振り返ると。

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階段右側の細い溝に、自転車のタイヤをはめて、上まで転がしていける。凄いアイディアだよね。

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ウィキペディアより

駅構造
石に覆われたターミナルの建物と待合ホール上の巨大なドームはベルギーの建築家Louis Delacenserieが設計したもので巨大な鉄(高さ44m、長さ185m)とクレメント・フォン・ボガードによるガラスで構成されている。当駅はベルギーの鉄道建築でもっとも素晴らしい例として広く見なされている。

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小学生のグループが先生の指示を聞いている。 

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ガシャポン 右上ドラゴンボール

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構内のロッカー。

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8か国語の中に日本語がある。大きいロッカーは5ユーロで、中型スーツケース2個はゆうに入り、さらに小型のものも1個か2個入る。やり方は説明に従えば簡単だが、コツをひとつ言うなら、ドアをバンとしっかり閉めないと鍵がかからないこと。静かに閉めてはだめ。バンと強くやってください。するとカチャリと音がして、支払うべき金額が表示されるしくみ。 

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ウィキペディアより

線路の配置
レベル +1 (元の駅) ドーム状のトレイン・シェッドの下に6本の終端式の線路がある。3本ずつの2群に分かれておりその間の開口部から地下が見える。
レベル 0 チケットオフィス・商業区域
レベル −1 (道路面より7m下) 4本の終端式の線路がある。2本ずつの2群に分かれる。
レベル −2 (道路面より18m下) 4本の線路がある。中央の2本は街の下のトンネルにつながる(高速列車と高速国内インターシティーサービスに使われる)

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明るくて美しい駅。終着駅の暗さはない。

世界の鉄道駅トップ10には、いやトップ5には毎年必ず入っている。TOPの選ぶ基準にもよるので、何位とかはあまり意味がないと思う。ロンドンのセント・パンクラス駅やニューヨークのグランドセントラル駅なども、いつも入っていますね。

金沢駅アメリカの雑誌で「世界で最も美しい駅14選」に選ばれていました。金沢駅、写真だけでも一度見る価値がありますよ。

アントウェルペン中央駅 -1- 駅を外から 

アントウェルペンにはカテドラルが二つある」と言われる。。一つは聖母大聖堂、もう一つはこの中央駅である。さしずめ鉄道大聖堂といったところ?

アガサ・クリスティー推理小説シリーズ「エルキュール・ポアロ」は、「名探偵ポワロ」としてイギリスでTVドラマ化された。ポアロ氏はベルギー人で、第一次大戦中イギリスに疎開していて、そこで様々な事件を解決するという話だった。

その中に「ブリュッセル中央駅」が出てくる回があるのだが、実際はアントウェルペン中央駅を使っている。何故?ブリュッセルのは地味すぎるから?確かに首都の中央駅としては風格に欠けるかな。

 

アントウェルペン中央駅の駅舎は四方形で、一辺(①)は当然プラットホーム側であり、線路がのびている。高架下の車道から見てみよう。住まいの近くだ。駅舎の茶色の美しいドーム、プラットホームを覆う赤い屋根が見える。左にはダイヤモンド街&ユダヤ人地区

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線路脇のこの不思議な構築物、前にも写真を乗せたが、飾りなのか意味があるのかはわからない。

四辺の別の一辺(②)は動物園に面している。

残りの二辺は一辺が広場 :het Koningin Astridplein アストリッド女王広場③、もう一辺が通り:Keyserlei 皇帝通り④に面している。どちらも飲食店やホテルなどが多く人で賑わっている。Keyserleiは、まっすぐ行けば目抜き通りMeir(メール)、そして旧市街に繋がり、スヘルデ川に出る。 

新聞のweb版から拝借した写真。

f:id:cenecio:20160128082613j:plain© photo news.

左の森が動物園。緑地のあるところが「アストリッド女王広場」③である。以前はただ駅前広場という名だったが、1935年にお化粧直しをして、当時人気だった女王の名前をつけたそうである。一応こちらが駅の正面だ。

 

バスの停留所

ここでちょっと話はずれるが、バスについて。この広場から、ブリュッセル空港直行のバスが出ているのだが、これがとっても便利。一時間に一本、10ユーロ。鉄道だと一時間に二本でているが、駅の難点は広い構内の移動だと思う。旅行客は大きな荷物を持って、あ、失礼!と肩をぶつけたりしながらエスカレーターを上り下りし、何番線だっけときょろきょろ捜し、よっこらしょと列車に乗り込む。荷物は足元に置くか網棚に乗せるか。切符もあらかじめ買っておかなければならない。

直行バスは、自分でスーツケースを荷物室に入れ、運転手に10ユーロを渡し、好きな座席に座る。5分くらい走ると、アントウェルペン郊外の大きなホテルの前で一度とまり、客を拾う。そのあとはまっすぐ空港へ。45分だった。乗客は見たところ全員ベルギー人かな。自家用車で人を乗せてきて、バス停の前で降ろしていた。私は列車が大好きなのだが、バス移動が思いのほか快適で楽チンなので感心した。 

で、アストリッド女王広場③だ。駅に向かって左側は現在工事中だが、アールヌーボーのきれいな建物が並んでいる。有名なダイヤモンド博物館もここにあるのだが、ただいま閉館。近く旧市街に引っ越すらしい。

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動物園の入り口。ラクダが目印。1843年設立のヨーロッパで2番目に古い動物園。年間100万人以上の来園者があるという。

緑地をはさんで駅の向かいには、ホテル(AstridPark  Plaza Hotel)と水族館がある。駅前に動物園&水族館というのは珍しいねえ。それから中華街の入り口の門も。

 

昔の絵葉書 アストリッド女王広場

f:id:cenecio:20160203132030j:plain 次にKeyserlei 皇帝通り④のほうも見てみよう。

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Middenstatie (中央駅)と書いてある。美しいドーム。

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 ありがたいことに鉄道に詳しい人が、日本語のウィキペディアに解説をつけてくれていた。次回は駅の中をご案内します。

 

追記*動物園側からの写真(4月10日)

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ステーン城  Het Steen 

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すでにお話しした伝説の観光ガイド、故ファン・カウエンベルヒ氏の記念碑(下過去記事)から見たステーン城。街案内の起点と定めていた場所だった。

キスマーク と 原発テロの危機 ほか (2月の記事まとめ) - ベルギーの密かな愉しみ

 

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 ステーン城の入り口に立ち、町やカテドラルが臨める。

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ステーン城はもともとアントウェルペン砦(Antwerpse burcht)で、海賊などから町を守るため 、1200~1225年の間に建てられた。当初は法廷や教会、魚市場や倉庫なども入っていたそうだ。

1520年ころカール五世(神聖ローマ皇帝であり、カルロス1世のとき建て替えられ、steen(石という意味)という名前に変わった。刑務所に使われたり、負傷した兵士を収容する施設だったり様々な用途に使われたのち、 1842年、市が買い戻した。 だが 1880年、川岸の拡張の際、大部分を破損。 残っているところを Het Steenと呼んでいた。1889-1890年に 再び増築・修復工事を行い、その後は博物館として使われる。

2010年まで海洋博物館だったが、展示品の船などは全部MAS博物館(既出)に引越しをして、現在は閉鎖され、中には入れない。

でも市民は、天気がよければここに足が向くようだ。川を見るのが気持ちいいからね。

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キリスト架刑像と遠くに、先日の肉屋ハウスを臨む。

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監獄として使われていたころ、死刑囚はこのキリスト像のもとで祈りを捧げたという。

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「ねえ、のぼっていい?」

だめでしょ。

 

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入り口アーチの上の紋章、真ん中はカール五世で、両側はブルゴーニュ公国を表す。

・・・と書いてあったけど、私は紋章のことはからきしわからなくてすみません。

ただ確かなのは、カール五世は、自分の強大な力を表すため双頭の鷲を使っていること。頭が二つある鷲(英語 Double-headed eagle)の紋章というと、私はすぐドイツを思い浮かべるが、紀元前からいろいろな国家や貴族に使われている、非常に人気のある紋章らしい。

図にするとカール五世さんのはこんな風。

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さてこちらは

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鷲の下のが何の紋章かわからないけど、文字は拡大するとfortunata antverpiaと書いてあるな。

ググってみると、

www.redbubble.com

Tシャツ、ほしい?

私は別に・・・。 

最後にステーン城の前に立っている巨人Lange Wapper君。

いたずらばっかりする伝説上の男の子だって。↓写真左下。

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f:id:cenecio:20160202133401j:plain写真:ウィキペディア

 初めは小さかったのにだんだん大きくなって、ここまでの巨人になってしまったんだって。ほぉ。

 

おまけ

川向うからステーン城を見てみた。

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資料:Steen

 アントウェルペン守備線

Stelling van Antwerpen - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9b/Forten_rond_Antwerpen.png/450px-Forten_rond_Antwerpen.png

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Nationaal Gedenkteken van het Fort van Breendonk

www.fortengordels.be

劇場地区へ 朝市とオルタカフェ

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ブルラ劇場。

可愛い建物でしょう?初めて見たとき、これが劇場?お芝居見に行くのが楽しいな、と思ったが、実は市の劇場は後方にある建物だそうだ。これは建築家Pierre Bourlaの苗字をとって「ブルラ」と呼ばれている。ネオクラシック様式の900席の劇場。絨毯商人の建物があった場所に1827年建設開始。1829年にお披露目の予定だったのに、ベルギー革命(独立)のために遅れて1834年にオープンした。当時は「王立フランス語劇場」と呼んでいたという。

ゆったり建っているように見えるが、

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 このように繁華な町中にある。この辺はカルチェラタンと呼ばれているようだ。

裏には私の大関心事、有名なビアカフェがあるのだ。

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De Duifkens  Graanmarkt 5

マスコットの猫ダリダがいるというのが気になって一度入ってみたいのだが、閉まってたり地元民でギッシリだったり。敷居が高い…。

こんなお店も

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シャネルのアントワープ店。このへん高級ブチックが多い。

 

Horta Grand Café

そしてこの劇場地区には重要な遺産がある。オルタが建て、残念にも1965年に取り壊されたブリュッセルMaison du Peuple(人民の家)が、ここアントウェルペンの地で第二の生を受けたのである。市民の憩いの場であり、観光名所でもある。

住所:Hopland 2  2000 Antwerpen

Maison du Peupleというのは、アール・ヌーボーを建築に取り込んだ先駆的な建築家ヴィクトール・オルタ(Victor Horta1861 - 1947)の代表作のひとつで、当時のベルギー労働党のために作られた。ちょっと古い絵葉書を見てみよう。

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この巨大な建築物の中に、労働者のために作られたありとあらゆる設備が入っている。

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この絵葉書に見る鉄の骨格をそのまま使用して、オルタカフェは作られた。

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枠組みはばらしたあと番号がふられ、長い間Tervurenというブリュッセル近郊の町に保管されていた。そしてビール醸造Palmが、オルタの作品を十全に生かし、人々の集まる場を、とプロジェクト案を提出、2000年に完成を見た。

 

美しさにキョロキョロしてしまう。

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一階と地下はカフェ・レストラン。二階の「アールヌーボー・ホール」は、会議、レセプション、結婚式、周年記念行事、展覧会、新年会、見本市、ファッションショーなど多目的に。

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そしてこちらが市劇場、Stadsschouwburg Antwerpen

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日曜市の日で、天気もいいので市民でいっぱいだ。

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小さな店主さん、どう?売れてる?

 

片づけを始めた劇場広場と市劇場。

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市場はもっとこじんまりしているほうがいいなと思う。

5年くらい住んだパリの朝市が好きだった。広い並木道の中央緑地に、週に二回、20店ほどテントが並ぶのである。顔見知りになると、いろいろ味見もさせてくれ、子連れだと必ずおまけもつけてくれて、お得で楽しいひとときを味わえた。自宅の庭で育てた白アスパラガスだけを売る、とっても可愛いおばあちゃんの姉妹など、今でも顔やしぐさが目に浮かび、懐かしい。

パリにはもう行かないだろう。80~90年代、平和でいい時期に住んだ。よほどの用がなければ行かないだろうが・・・うーん、誰かの結婚式に招待されるとか、そうしたらイソイソと飛んでいくかな。

ただやはりテロの不安はいつになっても頭から去らないだろう。

 

 

食べ放題の店 アマデウス 

 カイロレン現る?

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すみません、ゴミ箱でした。カイロレン様に似ていたもんで…。シマシマのところ。(カイロレンがわからない方はググってください。実は私、映画はみていません)

今日も元気に街歩きから始めます。

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 アントウェルペン唯一のスコッチパブだったが、二年前Stadswaag地区に引越したそう。理由は工事の騒音が深刻だったからとか。今は何かに使っているんだろうか。趣があるのにな。  

本日休業を示す粋な方法。

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 Billie's Bier Kafétaria ビリーさんのビアカフェ

Kammenstraat 12 

夕方からしかやっていないので時間が合わなくて、いまだ入れないでいる。横の通りといい、店の構えといい、雰囲気抜群だね。上階貸します、って出ている。

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どうということはないのだが、ビワの木。昔何本も育てていたので懐かしい。

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 上の建物のレンガの壁面。三色がおもしろい。

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リラックマハウス

パウロ広場(Sint-Paulusplaats)にある可愛いおうち。レストランと書いてあるけど、やっていないみたい。

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食べ放題のアマデウスに興味しんしん

リラックマハウスのすぐ近く、こちらAmadeusは、例の学生向けガイドブック()に載っていた店で、ぜひとも行ってみたいと思って、何度も前を通るのに開いていない。よく見たら夜だけの営業だった。

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王立美術館地区 と Mampokoでランチ - 

 なんのことはない。2号店があるじゃん。しかももっと中心寄りだし。ガイドブックだけじゃなく、WEBも見ればよかったのだ。

2号店は 砂糖通り9番地。

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ということで、スペアリブ食べ放題が売りの「アマデウス」に行ってみた。まず内装にびっくり。大繁盛。そして人々は黙々とスペアリブに喰らいついている。

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こちらがスペアリブとジャガイモ。

これだけならまあイケルかな。

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ところが「お代わりどうですか?」とジュージューのリブとジャガイモを運んでくる。当たり前だが、自分で取りに行くわけではなく、給仕が来る。そして何度も来る。断ってもまた何度も来るのである。他の客を見ていると3本くらいは平気みたいだ。 

ありがとう、でも私は本当に無理なんです。

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驚いたことにワインが凄くおいしかった。おもしろい体験をしたなと思った。

正しくは「食べ放題」ではなく「スペアリブとジャガイモのおかわりし放題」だった。 

 感熱紙なので見にくいけどレシートも貼っておこう。

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上から生ビール2杯、グラスワイン3杯、スペアリブ二人前。合計で43.05ユーロ。チップとして2~3ユーロ置いたような気がする。

 そしてこの店はゲントにもブリュッセルにもあることがわかった。たくさん食べられる若い人にはピッタリかも。

 

追記1.:リラックマハウスは営業を始めた。(3月)

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 追記2.ブリュッセルアマデウス。ここでも度肝を抜くインテリアだ。まだ開店前だが、外の入り口からしてこれだから!

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どひゃ~!

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 その隣のビアカフェ アマデオ

f:id:cenecio:20160410175727j:plain ではまた。

アントウェルペン港-2- クレーンと水先案内  

港で見かけるかっこいいもの、

それはクレーン(Havenkranen)である。

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勿論日本にもあるけれど、形が全然違う。こちらのは生き物みたいだ。

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また驚いたことに750年以上の歴史を持つという。

去年はこんな本も出た。

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750年以上の歴史を持つ港湾クレーン。(1263-2015) 

こんな長きにわたり、つつがなくアントウェルペン港とともに立ち働き、その発展を支えてきたクレーン。最初は人力で動かしていたがその後、蒸気、水圧、電気へと技術も革新した。またクレーンの台数も、1680年から1912年の間に、17基から300基に増えたという。1931年の時点では595基あったというから、その情景を思い浮かべるのも難しいくらいだ。

アントウェルペン市はクレーンのコレクションも世界一で、18基を所有しており、そのうちのいくつかは博物館で見ることができる。

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青の9号クレーン、これは海洋文化遺産に指定されている。

正式名称はDrijvende stoomkraan nr. 9 (ID:99073)https://inventaris.onroerenderfgoed.be/ivm/varend/99073オランダ語

 

MAS博物館前の広場

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 港の風景

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MAS展望台から撮影。

 調べものを通して、世界中には大勢のクレーンファンがいることも教わった。船舶オタクに港湾設備オタクたち・・・不思議な世界だな。私もこれから港に行くたびに学んでいこう。 

 向こうに見えるあれ、何だろう。

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ネオゴシック様式

その建物を最初に見たのはMAS見学に来たときだ。

cenecio.hatenablog.com


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水際に建っているのだから水や船と関係があるのだろうな。でもまさか倉庫ではないだろう。 

水先案内業務を取り仕切るオフィスビル

1895年にここタヴェルニエ埠頭(Tavernierkaai)に建てられて以来、なんとまだ現役の建物だという。

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昔の絵葉書で見てみよう。高い塔はもちろん船を監視するためだ。

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ちっとも変っていない。

水先(案内)人は、大きな船が港や湾、水路などに入るとき、ほかの船とぶつかったりしないよう、港の状況や気象や船舶について詳しい知識を持つ人間が、上手に誘導してやる仕事で、重要かつ責任ある専門職である。

水先(案内)人は、またの名を「無冠の外交官」ともいうらしく、広範な知識も乗船経験も必要で、難しい試験にも合格しなければならないのだ。そんな大変な仕事とは恥ずかしながら全然知らなかった。  

 *こちら日本水先人連合会のHPです。http://www.pilot.or.jp/

 

これは水先案内ビルの近くで見かけた愛の錠前。

パリの橋のが有名だけど、重さのせいで問題になり、除去されましたね。

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船の保管場所。屋根がレースみたい。

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展望レストラン。メニューを見たら目が飛び出るほど高かった。

f:id:cenecio:20160410175140j:plain 港の風景、今日はここまで。

 

その後、再びクレーンについて書きました。

cenecio.hatenablog.com


アントウェルペン港-1- Red Star Line

レッドスターライン

とはニューヨーク(またはフィラデルフィア)とアントウェルペンの間を航海した船舶会社の名前である。1872年設立、1873年に初めてアメリカへ航行し、1935年に株の大暴落を受けて倒産するまで400万人もの人をヨーロッパから「約束の地」へと運んだ。

そのレッドスターライン博物館を訪ねた。

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移民を希望した人、あるいは余儀なくされた人、そうした実在の人物やその家族を個別にスポットライトを当てて、写真や書類、所持品などを丹念に収集し、解説をつけている。このように展示方法に工夫があり、見学者もいっとき一移民となって、海上の生活や検疫などを、生き生きとバーチャル体験できる。

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船にはBelgenlandなど、国や地域の名前がついていて、実に数多くの、規模も様々な船が航行した。

裕福な旅客用の豪華客船もあった。重厚な家具調度品が置かれ、中国製の陶磁器などがテーブルに並び、プールや児童の遊び場など、現代の豪華クルーズ船と似た感じだ。

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アインシュタイン

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貧しい移民や政治亡命者に交じって、アインシュタインアントウェルペンからアメリカへ渡った。

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↑説明書き:ドイツ出身のアインシュタインは1930年ベルゲンランド号、1933年ウェステレンランド号の乗客だった。

 

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売店には美しいノスタルジックな絵葉書がたくさん売っていた。このコレクションもなかなか凄いのだが、お見せできなくて残念だ。 

 旧大陸と新大陸を結ぶ船、これもアントウェルペン及びヨーロッパの大切な歴史なのだが、ここに来るまでは恥ずかしながら全く一度も考えたことがなかったな。アメリカへの移民がどうやって大洋を渡ったかなんて。どれだけの苦労があったか、それどころか受け入れ先のアメリカで「もうこれ以上の移民はNO!」という運動が始まり、移民にも厳しい時代がやってきて…。

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 美しいポスター Red Star Lines, Cruise Ships, Ocean Liners, USA, 1930 (37,79 €)

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資料:

deredactie.be

ブルスBeurs 絢爛のアントウェルペン商取引所

商取引所・ 証券取引所

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証券取引所というと、東京やニューヨーク、ロンドンやパリをすぐに思い浮かべると思うが、アントウェルペンは16世紀ヨーロッパの通商と金融の中心だった。私の説明よりもまず下の抜粋部分を読んでいただきたい。 

取引所の歴史(ウィキペディアより)

商取引の中心地にある中央集会所は、古代ギリシャ古代ローマの時代から国家や都市の経済生活にとって不可欠なものであった。そこには著名な商人たちが、特定の時間に規則的に集合した。中世では、定期的に開かれた市が取引のための公の会所となった。
近代的な取引所が最初に設立されたのは、13世紀のイタリアとフランドル商業都市であった。ブルッヘの名門ブルセ家(注:Huis ter Beurze)に多数の商人が毎日集まり、取引を行うようになった。そのためブルセが、取引所を意味するドイツ語のdie Börseやフランス語のla bourseの語源となっている。しかし、このような商人集会所は今日の取引所とは大いに趣を異にしていた。
現在のような取引所が最初に設立されたのは、ブルージュの商権を継承したベルギーのアントウェルペンである。1531年に設立されたアントウェルペン取引所では、商品それ自体よりもその受領書、さらに、為替手形、預金証書、各種の公債などの証書が取り引きされていた。
16世紀には、このような取引所がヨーロッパの多くの商業都市に設立された。たとえば、リチャード・グレシャムは1538年にアントウェルペン取引所を手本に同様な取引所をロンドンに建設するために尽力したが、失敗した。しかし、彼の意志はその子トーマス・グレシャムにひきつがれ、1566年ロンドンに取引所を設立した。この取引所は1571年に王立取引所と改称された。
1549年にはフランスのトゥールーズに取引所が開設された。そのほか、ハンブルクアムステルダム、パリにも開設された。アメリカでは1791年に24人の事業主がニューヨーク証券取引所の前身である協会を設立した。1848年には、アメリカ初の公的な商品取引所としてシカゴ商品取引所が設立された。日本では1878年東京証券取引所の前身である東京株式取引所が開設された。

(太字、注、ともに私がつけたもの)

 

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私の好きな散歩コースにある、Oude Beurs(旧取引所)地区は今はモダンな建物に変わってしまったが、1353年にはすでに商人たちが集まって取引を行っていたという。それは"De Borze"と呼ばれていた。通りでいうとWisselstraat(交換通り)の角だったらしい。1515年にそこからすぐのHofstraatに引っ越した。

当時アントウェルペンには、貿易業者と為替手形を取引する仲介業者が集中し、経済の一大拠点となっていた。人が入りきらず、建物が手狭になったので、 1531年 メール( Meir)通りと Lange Nieuwstraat の間に新しい取引所 Handelsbeursを建設した。建築家はアントウェルペン市内の多くの建築物を手掛けた、当時超人気の Domien de Waghemakere である。

 

Handelsbeurs

ブラバント後期ゴシック様式のこの集会所には四本の細い通りから入る。すなわち

① Israëlietenstraat

②Korte Klarenstraat,

③Borzestraat

④Twaalfmaandenstraat

↓写真はの道。犬は、右手前のブチックがこの日たまたま置いていたもの。テーブルと椅子が出ていることもある。

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この新しい取引所は、1583年火災にあう。直後に再び同じ設計で建て直された。が1858年にも火災に。このときも元の設計図が守られたという。

中央ホールは51×50メートル、柱廊38本、四方形のパティオを屋根付きのギャラリーが囲んでいる。1565年に建てられたロンドンの取引所はアントウェルペンにならい、四方形の広場を取り入れている。

 

海運取引所 Schippersbeurs

 

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ここが海運取引所の入り口で指定文化財である。

 

現在工事中で入れないため下記のサイトで美しい写真を堪能していただきたい。

オランダ人のRaym氏のサイト、惚れ惚れする写真がいっぱいです!キャノンのカメラ・レンズがごひいきなんですね。↓こちら。

http://raym.deds.nl/urbex/cdc_centre_du_commerce.html

 

オランダのニコンクラブのサイト。こちらも素晴らしい。

http://www.nikon-club-nederland.nl/forum/viewtopic.php?t=56579

こんなきれいな写真が見られるなんて本当にしあわせだな。

 

この地域の今後。

Handelsbeurs 商取引所のほうは修復し、かつての輝かしい姿に復元する。市民の出会いの場となり、小規模のイベントが開催できる。

Schippersbeurs 海運取引所はレストランに生まれ変わる。

そのほか Marriottというホテルチェーンの豪華ホテルができる。部屋数は112室、地下には駐車場を完備し、 293台収容でき、もちろん近隣の住民も使えるとのこと。 予算は3500から4000ユーロを見積もっており、2017年末ころ完成予定だという。

参考:Inventaris Onroerend Erfgoed

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