ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

胸を打つ海外のホームレス支援 &排除アート 貧困と孤独-2-追記

前の記事イグルーをホームレスに!そしてホームレスは靴と足のケアが大事。貧困と孤独-1- -の続き。カテゴリー「貧困と孤独」を新しく作りました。

寒くなると毎年気になるのは、近所のノラ猫たちと顔見知りのホームレスの人々のこと。でもそう思うのは私だけじゃないんだな。前回頂いたコメントからもわかりました。

この季節になるとホームレスの事は特に気になりますよね。他人事ではないです。

夜は延々と歩き続け、昼間に眠るホームレスの人も居ると何かで読んだ気がします。寒さのためでもあり、夜に寝ていると暴行される危険回避のためでもあり…。

この時期になると Podiatryを学んでる学生たちが靴や靴下の寄付を集めてホームレス支援のチャリティなどに持っていきます。

ヨーロッパでの路上生活者に対する支援の輪は凄いと思います。こんな事を知ると日本人って本当に優しいのだろうか?と自問自答します 

 (抜粋ですみません。お名前は出しませんでしたが、ありがとうございました)

冬になると声掛けをしたり温かい飲み物を届けたりするブログ主さんも何人もいらっしゃる。他の人と情報と経験を分かち合えるのはいい。というのも、路上生活者でシェルター行きを望まない人はかなりいるからだ。人の世話にはなりたくない、過去を知られたくない。それぞれの事情を汲むべきだが、雪や霙の夜は、あの人は温かくしているだろうかととても気になる。

上のコメントにある「暴行」に至ってはもうかれこれ20年前くらいからだろうか、多発した時期もあった。道頓堀に投げ込まれて亡くなった男性もいた、「世の中の役に立っていないから死んでも仕方がない」と供述した少年たちの野宿者殺人未遂など、非情な事件が社会を震撼させた。しかし現在でも襲撃は絶えないそうだ。実態調査によれば特に夏に多く発生し、加害者は若者と10代の子どもたちで、殴ったり蹴ったり花火を押し付けたり…と深刻だという。

別の意味でショックだったのは、今年初めTVニュースで見たのだが、大阪の街の夜回りにイギリス人青年が参加していたことだ。欧米の人たちはフットワークが軽いから「あ、自分も手伝います」という感じなのだと思う。まあそれにしても、私などが外国に住んでいるとき「時間あるからイベント手伝いますよ」というのとはちょっとわけが違う。

今でも最も強く心に残るのは、釜ヶ崎(あいりん地区)のこども夜まわりという活動のことだ。2年前に見たドキュメンタリ映画『さとにきたらええねん』釜ヶ崎 こどもの里 - ベルギーの密かな愉しみのなかで、「さと」の子どもたち(中学生)が、ホームレスの人々に声をかけ、温かい飲み物やおにぎり、時には無料の医療券を配っていた。あの光景が忘れられない。

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Grand froid : quand les citoyens se mobilisent

海外の試みもおもしろい。そしてとても温かい。行政に頼らず、個人や小さなグループ単位の活発な支援活動がある。少し紹介してみたい。

上の写真はイグルー(前回記事見てください。発泡スチロールの個人用シェルターのこと)に食べ物などを届ける活動。 家で温かい食事を作って持っていく。

下の写真は「誰の物でもありません。必要な人、どうぞお使いください」という札をつけ、温かい衣類などを街頭に置く活動。すてきなアイディアだけど、雨にうたれたらもったいないなと私は思ってしまう。(*追記

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Contre le froid et la neige, les Cergyssois accrochent des vêtements chauds dans la rue pour ceux dans le besoin

他にリヨン(フランス)では「一晩お泊めします」という活動も。自宅に空き部屋のある市民があらかじめ登録しておく仕組みらしい。これは日本では考えられないなと思う。またちょっと話が逸れるが、これの別バージョンで、移民してきたばかりの人、特に若者、身寄りのない未成年を家庭に受け入れる活動もある。言語習得がスピードアップし、社会に溶け込むための細かいお手伝いができるという。

 こちらはホームレス専用の自動販売機(イギリス・ノッティンガム

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ホームレス専用自販機、英慈善団体が設置 無料で必需品提供 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

日常生活で必要とするものが入っていて、ホームレスの人には取り出すための専用のキーが与えられている。たとえば水や栄養補助食品、靴下、生理用品、歯磨きセットなど。新鮮な果物やチョコレートやサンドイッチなどは、食料廃棄の削減を目指すスーパーやフードバンクなどが提供しているということだ。

一日の利用は三回まで。上限を設けたのは、自販機への依存を防ぐため。自販機はあくまでもホームレス支援策を補完するものだからである。

 

共感、体験、そして改善策を考える。

フランスは他の面でも先進国だと思う点がいくつかある。まず寒空の下で路上生活を体験してみる議員さんたちの試み。本当に一晩過ごしてみるのだ。きついだろうなあ。

(日本でも議員のみなさん、一泊の避難所生活はいかがですか?改善点が山のように出てきますよ)

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Des élus dorment dans la rue: au grand froid les grands coups de com'? - L'Express

またホームレスの数の調査でもパリ市民の本気度がわかる。以前、国土省副大臣が「ホームレスは50人くらい」などとボケたことを言い、マクロン大統領の党「共和国前進」に所属する議員が「彼らは自ら路上生活を選択しているのだ」などと問題発言をしたことがあった。パリに住んでいたらそんな数で収まらないことは私でもわかる。何か政治的意図があるのでは、と批判が集中した。そこからがフランス人は早い。

ハッシュタグ「連帯の夜」(#NuitdelaSolidarité )のもとに集い、ボランティア1700人と職員300人が350のグループに分かれ、夜のパリを3時間歩いて調査したのである。

下はパリ市長アンヌ・イダルゴさんのツイートで、各区のホームレス人口が記載されている。

のちに 緊急収容施設に入っている672人を合わせて、3624人と発表された。

地図にあるパリの広さは、東京でいうと世田谷区くらいの大きさだと言われている。郊外を含めずにこの人数。

東京23区と大阪ではそれぞれ1千数百人という調査がある。行政のほかに市民団体ARCHなど幾つかのグループがボランティアを募って行っている。(東京新聞にも「夜の調査員募集しています」の記事が載る)

夜見えにくい河川敷では昼間に調査、あとは夜間に市街地を回って数えるそうだ。しかし、日本のホームレスの生活スタイルは多様で複雑。ホームレスは働いている人が多い。このことは来日した外国人が一様に驚くことでもある。

都市部では昼間は廃品・空き缶回収などをしたり、ツテで小さな仕事をこなして、夜テントや段ボールの家に戻る人たちがいる。図書館や公共施設で過ごす人もいるし、いわゆる「ネットカフェ難民」も多いため、正確な数の把握は難しいそうだ。路上で定住する人が減ったからといってホームレス人口が減ったわけではないのである。

 

排除アート

都市部に住んでいればお気づきの方も多いと思うが、路上で生活させないために行政はいろいろな手をうってくる。たとえばよく見かけるベンチ。横になれないように一人分ずつの仕切り(ひじ掛け)がついている。あるいはお尻が全部乗らない半分の幅、しかも傾いていたりする。また座ったり寝転んだりができないように、地面にたくさんの鋲が打ち込まれた広場など。

「社会的困窮者の追い出し」を目的とするデザインは多種多様で、東京では至る所に見られる。一般に排除アート排除アート - Wikipediaと呼んでいる。(これに対し「アート」などと付けるのは止めてくれ、という声もあがっている)。英語では「敵対的建築」(Hostile architecture)というらしい。ところで素朴な疑問だが、北海道や沖縄にはこうしたものがあるんだろうか。

下の写真2点はウィキペディアから借りてきた海外の例。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Boulons_anti-sdf_sur_un_perron_%28Marseille%2C_France%29.jpg/800px-Boulons_anti-sdf_sur_un_perron_%28Marseille%2C_France%29.jpg

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e3/Two_Park_Benches.JPG/800px-Two_Park_Benches.JPG

新宿にあるオブジェ。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5d/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88_2007_%281808421202%29.jpg/800px-%E6%96%B0%E5%AE%BF%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88_2007_%281808421202%29.jpg

東京五輪に向けて、駅や通路、公園、河川敷などに定住できないようにますます厳しくなるのかな。大阪万博もあるし。上野公園や代々木公園にテントを張っている人たちはどこに行くんだろう。以前段ボールハウスの入り口に造花を一輪さしているのを見て、心が和んだことがあった。

さてもう長くなったのでまた次回。まだまだ続きますよ。

 

*追記

12月22日今朝見つけたツイート。

 

https://bloximages.newyork1.vip.townnews.com/standard.net/content/tncms/assets/v3/editorial/5/d3/5d33f480-2824-57ac-89f2-195cba667473/5c1c1b7d443fc.image.jpg?resize=1200%2C800

追記:12月26日 くつしたプレゼントの会

www.kanaloco.jp

 全文引用

クリスマスイブの24日夜、路上生活を余儀なくされている人たちに靴下を贈る活動が横浜市中区の寿地区を拠点に行われた。貧困からホームレス状態に陥り、寒さや飢えなどから亡くなる人も毎年相次ぐ。繁華街が最も輝き彩られる聖夜、野宿者を取り巻く現実を知り社会が抱える問題に向き合おうと、女性美術家が立ち上がった。

 「くつしたプレゼントの会」を企画したのは、横浜でアート活動を続ける竹本真紀さん(42)。寿地区での支援活動に長年参加しており、凍(い)てつく路上で野宿している人から「厚手の靴下が欲しい」との声を受け、2015年にプロジェクトをスタートさせた。

 「支援という形ではなく、親しい友人に贈るようにプレゼントしよう」。会員制交流サイト(SNS)でそう告知したところ、3回目となった今年は30人余りから真っさらの靴下約80足やお菓子、カイロなどが寄せられた。

 竹本さんの呼び掛けで集まった市民ら約10人は24日午後8時20分ごろ、大きな袋を抱えて寿地区を出発。関内駅横浜スタジアムの周辺、みなとみらい(MM)線馬車道駅のコンコースなどを巡った。

参加した女性の一人は、クリスマスケーキやフライドチキンを求めるカップルたちが列を成すイセザキ・モール近くの地下通路に、段ボールの「家」がずらっと並ぶ光景に息をのんだ。

 男女30人ほどが暮らしていた。路上生活者は寒さだけでなく、華やかな街の雑踏や人々からの好奇の視線からも逃れようとしている現実を知った。

 プレゼントには竹本さんが制作した赤ずきん姿のキャラクター「コトブキンちゃん」が登場する漫画や、寿地区で年末年始に行われる炊き出しなどの支援活動「寿越冬闘争」を紹介するチラシも入れた。70人ほどに配り、寝ている人には枕元にそっと置いた。

 横浜スタジアムは、2020年の東京五輪で野球・ソフトボールの競技会場となる。観客席の増設工事が続いており「いつ強制排除されるのか不安」との声も上がっているという。

 竹本さんは「ホームレスの人たちは行き場がなく、年々高齢化が進んでいるのが実情。このプロジェクトを通して身近な路上で暮らす人たちに思いを寄せる人たちが大勢いることが伝わってほしい」と訴えている。

 

追記:2019年4月

toyokeizai.net

追記:2019年9月

 

イグルーをホームレスに!そしてホームレスは靴と足のケアが大事。貧困と孤独-1-

イグルーを贈ろう。

皆さんはイグルーと聞いてすぐわかるんだろうか。私がイグルーという言葉を知ったのはけっこう遅い。大人になってからだ。ああ、あれはそういう名前だったの。氷や雪の塊をドーム形に積み上げた、北極圏に生きる人たちの家の名は。(*1

ところがうちの子どもたちとなると、小さいときから知っていた。ピングーのおかげだ。朝の登校前にTVでやっていたスイスのクレイアニメピングー - Wikipediaで、大人が見てもおもしろくて私も毎朝楽しみにしていた。

下の写真は、ピングーたちが自分たち専用のイグルーを作っているところで、あとで中で遊ぶのだが、

https://vignette.wikia.nocookie.net/pingu/images/7/76/BuildingIgloosPromotionalPhoto.jpg/revision/latest/scale-to-width-down/640?cb=20170915191930

ピングー一家も狭いながらも一軒家イグルーに住んでいる。内装もとっても素敵!

https://i.pinimg.com/originals/c3/a2/51/c3a251c33c26d52c4b3a5e0472eec04f.jpg

さてここからはフランスの話だが、前の冬、寒波のフランスではホームレスの人々にイグルーhttps://www.iglou.fr/を提供しようという活動をしていた。ピングーたちのと違って氷製ではなく、発泡スチロールでできている。軽くて組み立ても簡単。

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https://positivr.fr/abri-isotherme-sdf-invention-iglou/

https://positivr.fr/wp-content/uploads/2018/02/abri-isotherme-sdf-invention-iglou-une-696x364.jpg

あなたが寄付をすると、必要としている人に届けてくれるのだ。そして冬が去ったら回収する。

寝るところがない?それならシェルターなどの施設に行けばいいだろうと思うかもしれない。だがホームレスの人たちにもいろいろな言い分があるのだ。顔を見せないようにしてインタビューに答えた人たちの話を聞いていると、もっともだなと思う。

まずシェルター内では喧嘩や盗難が絶えない。精神的な疾患が疑われる人、夜中に大声を上げたり暴れ出す人、病気なのか咳が止まない人など。ほかにはアルコール中毒麻薬中毒の人たちもおり、不穏な雰囲気である。さらに不法移民も混じり、言葉の通じない外国人も少なからずいるのだとか。

路上生活を始めたばかりの者にとっては非常にハードルの高い場所だという。食事ももらえて暖かいところではあるが、もう二度と行かない、外の方がましだと話していた。

イグルーを発案した人は凄いなあ。プライバシーを守れるし、個人主義のフランス人(ヨーロッパ人)にぴったりだと思う。↓こちらが開発者のジョフロワ・ド・レイナル氏。イグルーの内部は外気温プラス15度まで上がるんだって。バツグンの断熱効果だ。

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もちろん路上生活を抜け出して次の一歩へ進むことが大切なのだが、ともあれまず冬を生きのびてから。

 

誰でもあっという間に路上生活者に。年越し派遣村の衝撃

そのことを理解したのは10年前だ。それ以前はまったく考えてもみなかった。日比谷公園に「年越し派遣村」ができたときのこと。セーフティーネットもなく滑り台のように転げ落ち、路上生活者になってしまう可能性は誰にでもあるということ。また自己責任だなどと切り捨てられていく。そんな世情について多くを学び、また大きなショックも受けた。いったん路上に出たら仕事を探すのは容易でない。何よりも精神的にも体力的にもまいってしまう。あの頃は湯浅さんたちの活動に目が釘付けだった。(*2

あれから日本も少しは進展があった。ビッグイシューの活動、とりわけ空家を住まいにする取り組みや、路上生活脱出ガイド(東京、大阪、ほか各都市)路上脱出・生活SOSガイド | ビッグイシュー基金も必要な情報が細かく分かりやすく示され、すばらしいと思う。実際路上で生活をする人も減っていると聞く。しかし現在は貧困問題が深刻さ、複雑さを増し、失業などとも合わせ、広い視野で見ていかなくてはならない段階にきたと思う。

ホームレスの問題に戻るが、こちらの女性を見ていただきたい。

https://pbs.twimg.com/media/DC2R4h4XUAA_6uJ.jpg

フィンランドの元大統領ハロネンさん。私が以前(*下の記事)、ハリセンボンの近藤春菜さんにそっくりと書いたら、皆さん同意してくださったが(笑)、その元大統領がホームレス!…なんてわけなくて、これは救世軍のキャンペーン(2017年)なのだ。誰でも運が悪ければ、失業や病気などで電気・ガスも止められ、ホームレスになってしまうかもしれない、という広告に一役買ったハロネンさんである。

cenecio.hatenablog.com

フィンランドはホームレスの問題に長く取り組んできた先進国だ。ハウジングファーストハウジングファースト - Wikipediaという試み、つまりまず「安定した住まいを。住まいは権利」という理念のもとに支援してきた。ここでは長くなるので触れないが、日本でも関連本が出版されている。

*追記:フィンランド クリスマスチャリティディナー

yle.fi

 

ホームレスの人にとって、靴と足は最も大切な問題。

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Les pieds, talon d'Achille des sans-abris - L'Express

フランスのメディアから学ぶことは多いのだが、今日はあとひとつだけ支援の取り組みを紹介したい。 それは私が考えてもみなかった視点だ。

歩くことは生きのびること。ホームレスの生活はとにかく歩く。長く歩くので靴がすぐに傷む。そればかりでなく、足に合わない靴を履いていることが多いため足に問題を抱える人が多い。へたすると手術や切断も余儀なくされることも。

ここで立ち上がったのが専門医たちだ。フランス語でPodologue(足専門医)という。ホームレスの人が自分からすすんで「足が痛むんです」とやってくることはほとんどないので、医師は研修生たちを連れてみずから町に出ていく。この仕組みを考え出したのは赤十字だそうである。出張足診断とでもいうかしら。(フランス語:Maraude podologue)。フランスは凄い。とにかく脱帽!

今日はここまで。また次回続けます。

 

終わる前にちょっと素敵な話を。
日本と違って海外では、ホームレスの人が犬を連れているケースをよく見かける。ベルギーでは圧倒的に大型犬だったが、よくしつけられていて吠えることもなかった。

これはブラジルの話。あるときホームレスの男性が入院した。すると飼い主のことを気遣ってか、4匹の犬が病院の入り口に現れた。そのあと座り込み、ずっとおとなしく待っている。

https://static.boredpanda.com/blog/wp-content/uploads/2018/12/homeless-man-hospital-waiting-dogs-chris-mamprim-3-5c1213b551008__700.jpg

Image credits: Cris Mamprim

Homeless Man Goes To The Hospital, Staff Soon Realize That He’s Not Alone | Bored Panda

飼い主の男性が回復に向かうと、 看護師さんらスタッフは犬たちを中に入れてやった。そうして4匹でご主人を迎え、一緒に退院していったという。

チャンスパパ (id:chancepapa)さんはじめ、犬好きなはてなの皆さんにもうひとつ。

こちら、壺をひっくりかえしてなんともいえない表情のワンちゃん。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/50/Ptolemaic_roundel_from_a_mosaic_floor_decorated_with_a_dog_and_a_gilded_askos%2C_from_Alexandria%2C_Egypt%2C_c._200-150_BC.jpg/800px-Ptolemaic_roundel_from_a_mosaic_floor_decorated_with_a_dog_and_a_gilded_askos%2C_from_Alexandria%2C_Egypt%2C_c._200-150_BC.jpg

これがなんと紀元前200~150年、エジプトのモザイク画だというからビックリ。微塵も古さを感じさせない、生き生きした犬の表情!黄金の壺は葡萄酒を入れるものらしい。中にワインが入っていたのかしらね。あ、ヤバいって思ってる?

(出典はウィキペディアAncient Greek art - Wikipedia)

 

ではまた。

註 *1

 *2

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追記:12月17日

イェリク (id:jerich)さまのコメントで知りました。

イグルー 犬舎」というものがあるそうです。

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そうだったんですね。犬好きな人はみんな知っていたり?イェリクさま、教えてくださり、ありがとうございました。

黄色ベスト運動も終盤?マクロン任期第二幕も目が離せない。黄色ベスト-2-追記:是枝裕和監督

怒りの集積所、黄色ベスト運動は…。

前の記事:マリアンヌの壊れた顔も象徴 &北海道の女子高生がフランスで主役だった話 黄色ベスト-1- -続き。

毎日黄色ばかり見ていてさすがに飽きた(笑)。

ところで皆さんも安全ベスト(反射ベスト)をお持ちだろうか。私は町内会の夜回り当番の時「はい、これ着て!暗い夜道、目立つようにね」と手渡されるので、おとなしく着用している。

思い起こせば、ベルギーにいるときはよく見かけていた。例えば子どもたちの自転車での登下校。

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https://www.hln.be/

この写真はネットからちょっと借りてきただけだが、確かベルギーでは子どもが夜道を自転車で走るとき着用が義務だったな。あとでオランダ人に聞いてみたら「いや、オランダでは別に義務じゃないよ」と言っていた。あんなカッコ悪いもの着たくない、とも。それでも自家用車の中に何枚か携行しているそうだ。それは義務化されている。

ベルギーの子どもたちは早くから慣れているから抵抗がないんだろうか。カッコいいデザインやキャラクターをくっつけたら人気が出るのでは?ヘルメットにはものすごい種類の形やデザインがあるのだから。自転車王国だもの。

さて、黄色ベストさんたちは一応成功を収めたのではないだろうか。

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大統領の演説を聞く人々

大統領はあのデモは正当なデモ、正当な要求だったと認めた。無節操な暴力行為は非難したが、自分の責任も認め、次のようなことを約束している。最低賃金は1カ月あたり100ユーロ(およそ13000円)引き上げるほか、残業代を非課税にする。年末の特別手当などを出す。2000ユーロ以下の年金は非課税にするなど。(←全部じゃなかったかも)

(参考:フランス2 大統領演説のビデオEmmanuel Macron)

フランス2ではいろいろな立場の人にインタビューしていた。最初にこの運動を始めた黄色ベストのひとりが、自分はこれで一旦降りると言った。しかし報道によれば半数以上の人たちがまだデモを続けると言っており、12月15日もデモが呼びかけられている。燃料税引き上げに抗議して始まったデモは、これまでため込んだ不満が一気に爆発し、今や反政府デモ、マクロン政権の改革にNOを突き付ける運動に変わっている。

 ところで「2000ユーロ以下の年金は非課税にする」の話だが、ニュースの中でインタビューに応えていた男性もこれより少し低い額だった。2000ユーロは26万くらいだ。日本でこの額もらえる人はどのくらいいるだろうか。日本ではそこに課税されてうんと減る。いや、そもそも年金もらえるんだろうか。 

マクロン人気からマクロン任期第二幕

第二幕?大丈夫かな。支持率は20%を割ったらしい。私は 10月にコロン内相が辞任したとき、もう危ないんじゃないのと思った。コロンさんはマクロン政権に対し、謙虚さが足りないと批判していた人。大統領に何か言える最後の人だったかも。他にも閣僚は何人も辞めていった。

一番のショックは、国民の人気が高かったエコロジスト、ニコラ・ユロ環境相だ。この夏に「もう嘘をつきたくない」と言って辞めた。なんと大統領にも奥さんにも告げず、ラジオで辞意を表明、というのだからもうびっくりだ。→https://ovninavi.com/demission_hulot_ministreenvironnement_derugy/

フランスのことを心配してもしかたがないが、あと2~3点書いておこう。

日本でもデモや抗議集会には、弁護士さんやお医者さんがボランティアで来てくださる。ありがたいことだ。何かあったらすぐ相談できる。

黄色ベストのデモではこんな風だった。 

画像

pic.twitter.com/WnU06kHiw9

ボランティアの弁護士さんたちが黄色いベストを着て「憲兵隊とトラブルがあったらご相談ください」と言っている。

お医者さんは赤い十字のついた白ヘルメットをかぶっている。あの激しいデモの中ではきつい仕事だろう。 

https://medias.liberation.fr/photo/1178834-whatsapp-image-2018-12-08-at-180338.jpg?modified_at=1544291097&width=960

 Libération 

オランダ紙の撮った写真が気にいっている。

①楽しい黄色ベストファッション。

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 De Volkskrant

②連帯を表すために、窓から黄色いベストを提げるマルセイユの集合住宅。

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https://nos.nl/

 

オランダでは政治家もベスト着用でデモ行進

https://nos.nl/data/image/2018/12/09/518052/xxl.jpg

Nederlandse politici dragen gele hesjes warm hart toe | NOS

フランスと同じ12月8日にデモがあった。日本の新聞には「ベルギー・オランダに飛び火」と、まるで悪いことのように書かれているが、両方ともフランス国民に連帯の気持ちを表す行進だった。ブリュッセルでは一部暴れた人たちがいたようではある。しかし報道の偏りには注意が必要。日本では暴徒の映像ばかり流しているが、あの多くは壊し屋(Casseur)でこれまでも様々なデモに現れては破壊行動に走っていた。また便乗して窃盗・放火に加わるグループも黄色ベストではない。政府系BFMhttps://www.bfmtv.com/のTVカメラに向かって、偏向報道に抗議する黄色ベストたちもいたとメディアが伝えている。

オランダのデモ参加者はおよその数だが、首都アムステルダムで200人。ロッテルダムマーストリヒトでそれぞれ200人、ハーグで100人。写真でわかるように平和的なデモだ。逮捕者は三人でその理由は花火を打ち上げたからと、なんとものどかである。もちろんオランダ人だって社会に不満はある。格差や貧困、移民問題はヨーロッパ、世界中で共通の問題だ。しかしルッテ首相自らこう述べている。「私たちはみんな黄色いベストを着ているのだ」と。

政府、政治と国民の距離が大変近いのがオランダの特徴だ。皆で国の問題を考えようという風土と歴史がある。よく議論し、違う意見や価値観も尊重する。それは小学生のうちから学ぶのだ。また格差があるといっても、フランスや日本に比べたら貧富の差は非常に小さいと思う。政治に大きな不満はないだろう。国連の『世界幸福度ランキング2018』でも第6位。(①フィンランドノルウェーデンマークアイスランド⑤スイス。日本は50位にも入っていません)

むしろ世界中で一緒に考えなければならない環境問題や原発や動物保護などに関心が高いようだ。

 

オランダといえば猫ボート

50 jaar De Poezenboot

運河に浮かぶ、猫カフェならぬ猫専用の船が今年50周年ということで、大きく報道されていた。↓水面に船の窓からの灯りがうつって美しい。

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 だいたい50匹ほどが暮らしている。全部保護した猫だが、二つのグループ、定住猫と里親募集猫とに分かれる。

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ちょっと写真を2枚切り抜いてみた。左カスミちゃん、すごい貫禄だな。日本名がついているのはこのカスミだけ。10歳のペルシャ猫で、性格は見た目と違ってすごく優しいんだって。もう2回引き取られたけどそのたびにボートに戻ってくるので、以来ここで幸せに暮らしているのだそうだ。右ジスカちゃんは、うちの猫に似ているのでなんとなく載せた(笑)。猫で和んだところで今日は終わります。

🌸前の記事 

cenecio.hatenablog.com 

追記:12月13日

 追記:2019年1月 

"street medics"救護班

https://twitter.com/afpfr/status/1087111527889543171

 

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高輪ゲートウェイはイヤだ &グッチのダサ可愛セーターが衝撃。

12月8日、真珠湾攻撃の日だ。それについて書くわけではない。水道民営化とカッコ付きの「移民法」もろくに論議もせず未明に通ったようだ。まもなく夜が明けるフランスの本日8日のデモもかなり心配だ。あとでニュースを追うことになるだろう。今日はまたフィギュアスケートのグランプリファイナル・フリーがあるので、私としては落ち着かない。

そうしたこととは全然関係ない話題で行こう。

東京にお住まいでない皆さんには何の関心もないと思うが、今山手線の新しい駅名で大騒ぎしている。環状の山手線(*京浜東北線も同じところを通る)の田町~品川駅間に新しい駅ができるというので名前を公募していた。

1位は「高輪(たかなわ)」、2位は「芝浦」、3位は「芝浜」…と続く。私などはどれもいいじゃん、芝浜なんて落語にあるからおもしろいな、と思う。ところが選ばれたのはまさかの130位「高輪ゲートウェイ。公募なんて形だけだったんだろうか。しかもカタカナが付く名前は山手線の駅のなかで初めてだし、かなり浮いた感じ、しかもダサい。

駅名撤回の署名運動も始まったようで、「高輪門」あたりで折り合うのはどうか、などといろいろな意見が飛び交っている。(*1)

その中、くらげさんという方のツイートが話題で、うちは家族でそれを肴にワイワイと楽しんだ。山手メトロポリタンループラインというもの。

https://pbs.twimg.com/media/Dtkn21QU4AAsbaF?format=jpg&name=4096x4096

元々ある駅名にその地域の特徴を生かしたカタカナ語を付与している。

今見たら1000件以上の返信がある。何と言ってもかわいそうな駅「田端ナッシング」。なんか恨みでもあるのか。ナッシングどころかここは鉄道好きの聖地ですぞ。駅前にJR東日本の東京支社もあれば、尾久車両センターもあるし、駅前のホテルメッツにわざわざ宿泊して通過する新幹線たちを一日中眺めている人だっているのだ。

別のアイディアはこちら。

のすけさん:

他にもご指摘ありますが、田端(尾久)には古来より北日本、東日本方面への列車基地も御座いますので「ナッシング」よりは「レールウェイズベースメンツ」か「レールウェイズサンクチュアリ」が適切かと存じます。

Candy Apple Redさん:

田端JRビレッジ。何にもないのは主要なところはJRの施設なため。近隣の田端文士村にもかけてある。

‏いやあ、お二方ともすばらしい。

他にもツッコミを入れたい駅はあるのだが、ちょっと我慢して、最後に山手線の形状についてひとこと。丸い円ではない。焼き芋(さつまいも)を想像してみてほしい。ほかほかの焼き芋に一口かじりつく。すると食べたところは平らになるよね。山手線はそんな形をしている。平らになったところは池袋~田端駅。

山手線を横に貫く中央線というものがある。私の感じでは中央線の上半分(山手線の内側)は徒歩圏内である。自転車があればもっと早く移動できる。たしか村上春樹も小説のなかで、お茶の水から駒込あたりまで歩いていた。昔は皆よく歩いたものだ。

 

ダサ可愛!アグリー・セーター( Ugly Christmas Sweater)

この時期、クリスマスシーズンになると理解できないことのひとつに、海外のアグリー・クリスマス・セーター熱というものがある。フランスにはダサいセーター選手権まである(*2)。毎年いつも思っていた。高いお金出してこれ本当に買うの?と。買うらしい。それを着てパーティもするらしい。ダサければダサいほど高値がつくとか。12月12日は「アグリー・クリスマス・セーターの日」だとか・・・。

2018年バージョンの一例がこれ。

Ugly Christmas Sweaters | Funny Xmas Sweaters for Men and Women

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セーターの由来は、

手編みのプレゼントは欧米人にとって子供時代の恐怖体験の一つである。
欧米では、たいていの人間が「おばあちゃんからのクリスマスプレゼント」として、着るのが恥ずかしい悪趣味な手編みのセーターをもらった経験がある。

それはたいてい、雪だるまやトナカイ、クリスマスリースやクリスマスツリーをでかでかと、または大量に編みこんであり、クリスマスらしい赤や緑の派手な色をしていて・・・アグリー・クリスマス・セーター - Wikipedia

なんと19世紀から存在しているらしい。現代ではその悪趣味さ、過剰さを楽しむジョーク・グッズのようなものだという。しかしそこそこのお値段はするのに、おそらく1~2回しか着ないのに…もったいないなと思ってしまう。

編み物が好きな私としては考えさせられもする。以前編んで贈った編み込みのセーターは誰かの迷惑になっていないか。特にキャラクターものだ。フランス人の少年に贈ったハドック船長の編み込みはマズかったり?(ハドック船長はベルギーのBD作家エルジェの「タンタンシリーズ」に登場する)。あれは、これは、どうだったろう…ああ、キリがないので考えるのはやめる。

最近私の度肝を抜いたセーターを紹介しよう。

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グッチ(Gucciビバ!バレーボール インターシャ セーター ¥ 140,400 (税込)

しかもメンズである。

http://cdn.buzz-plus.com/wp-content/uploads/2018/08/gucci-sweater.jpg

名前が「ビバ! バレーボール インターシャ セーター」。

井出智香恵さんの人気スポ根バレーボール漫画「ビバ! バレーボール 」から取ったらしい。この漫画は集英社の「りぼん」に1968年から連載された。私は全然知らないけれど、皆さんのなかにご存じのかたがいらっしゃるかも。

イタリアといえば、『アタッカーYOU! 』アタッカーYOU! - Wikipediaが大人気だったと聞いたことがある。

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↑フランス ↓イタリア

http://www.fumettologica.it/wp-content/uploads/2014/09/milashiro.jpg

日本の漫画やアニメはまずフランスに上陸し、そのあとイタリアにも広がっていくのが普通だ。この漫画は、田舎の少女だった葉月優がバレーボール選手として成長していく物語で、1984~1985年までテレビ東京系で放映。フランスではラ・サンク(La Cinq)という新しくできた局で放映されるや、フランスに一大バレーボールブームを巻き起こし、小学生女子のバレーボール人口が急に増えたという。

そしてイタリアではこの漫画のおかげで、バレーボールのプロリーグが創設されるきっかけになったというから、漫画&アニメは侮れない。

今日はここまでです。ではまた~!

*1 

*2 こちらフランス大使館さんのツイートが楽しい。

 追記:嬉しいことにオランダ紙は私と意見が一緒。醜いセーターでなく、美しいセーターを贈ろう、ですって!左のペンギンのセーターがいいなあ💛

https://pbs.twimg.com/card_img/1297368109771235328/r7mtw7p4?format=jpg&name=small

https://t.co/noWIBirncw

 

マリアンヌの壊れた顔も象徴 &北海道の女子高生がフランスで主役だった話 黄色ベスト-1-追記:2019年3月

マリアンヌ(Marianne)破壊の衝撃

フランス共和国の象徴マリアンヌ。顔を襲撃される。これも危機に瀕したフランスの象徴→追記:2019年3月

https://ichef.bbci.co.uk/news/660/cpsprodpb/EB08/production/_104586106_mediaitem104586103.jpg

https://www.bbc.com/japanese/46422570

フランスのデモがとんでもないことになっている。11月17日に始まった燃料税の引き上げに反対するデモ。特定の政党や労働組合が主導しないデモ、リーダーのいない珍しいデモである。黄色いベスト運動とも呼ばれており、右翼も左派も入り混じった集合体のその本音は、マクロン大統領に対する抗議、または辞任を要求するデモらしい。

国民の75%がデモに理解を示しているということだ。しかしその過激さは市街戦を思わせ、破壊された街の映像を見るとため息しか洩れない。

この週末は凱旋門が荒らされた。凱旋門は、シャンゼリゼ通り、シャルル・ド・ゴール広場にあって、夏はフランスがサッカーワールドカップで優勝したので、あそこには数万もの人々が集って大盛り上がりしたのだ。普通なら今の時期、シャンゼリゼ通りはクリスマスの飾りつけで眩いほどの豪華さのはずだが。

凱旋門は大理石でできているからそう簡単には壊されない。↓落成1836年の門のマリアンヌ(レリーフのこと。小さくてすみません)は、革命のさなかの市民たちを鼓舞している。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8d/Paris_July_2011-30.jpg/800px-Paris_July_2011-30.jpg

エトワール凱旋門 - Wikipedia

しかし凱旋門内部のマリアンヌは顔をやられた。最初の写真のとおり。デモ隊は内部に押し入り、多くの物を破壊した。そのついでにマリアンヌのマケット(縮小模型)を襲ったのだ。なんという顔だ。凄みが増して、痛みに苦悶し、激怒し、叫び声をあげているかのようだ。

マリアンヌといえば、フランスの象徴、共和国の擬人化(の一つ)である。硬貨にも描かれ、数多くの名画のモチーフとなり、なかでもドラクロワの「民衆を導く自由の女神」は有名で、皆さんご存知だろう。

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Street-art et déco contemporaine pour l'interview de Macron sur TF1 - L'Express

ちなみにマクロン大統領になってから現代風のマリアンヌが執務室の壁を飾る。左のイラスト。シェパード・フェアリー作。

しかし今やこの傷ついたマリアンヌの顔こそが、今のフランスの象徴かも。

 追記:2019年5月 完全に修復できたようです。

 

週末の衝突をまとめた映像をtwitterから借りてきた。

黄色いベストたちとは関係ない人も混じっているのだろう。便乗して暴れたい壊し屋(Casseur)たち、デモともなれば毎回現れる得体の知れないアナーキスト集団(?)なども…。

マクロンさんは民意が見えない人だ。企業や金持ちの方ばかり見て、常にビジネス優先。ずいぶんと呑気だなという印象を当初から持っている。大統領選で「右派でも左派でもない」マクロン氏に投票した人の多くはルペン阻止だったというのに。当選後すぐに反マクロンデモが起きたことからもわかる。フランス国鉄のストも数カ月にわたった。さすがに今回はこたえたようだ。燃料税増税は先延ばしにするかな、どうだろう。

*追記:さっき入ったニュースによればフランス時間4日に増税の延期を発表とのこと。

フランス2のニュースを見ていると、今回の暴動とさえ呼べるデモは、これまでの積もり積もった国民の不満、憤懣がピークに達した感じを受ける。インタビューに応えた人が言う。ここまでやらないと政府には届かないんだ、どれだけ国民が怒っているか見てもらえないんだよと。マイクを向けられた人は皆熱く喋る。いや怒る。怒鳴る。もう限界なんだという切迫さが伝わってくる。

朝日新聞朝刊(12月2日)からひとつだけ引用すると

デモに参加した、パリ郊外に住む年金生活者のメレ・ダニエルさん(70)は「私の年金は、家賃が払えない48歳の娘の仕送りに消えていく。大統領は庶民の惨めな暮らしぶりがわかっていない」と憤った。

日本と被る。苦しい状況は。ただ日本人は怒らないし、デモもしない。

 

こちらは、右翼も左翼もごく普通の市民も一緒になって、国歌であり革命の歌である「ラ・マルセイエーズ」を歌っている映像。↓(フィガロ紙から)

 

おとといのフランス2Violences à Paris : quels regards portent l'Italie, l'Allemagne ou le Royaume-Uni ?では、イギリスにいる特派員が「黄色いベスト運動は、右派左派両方からの抗議という点が、Brexit(英国のEU離脱)に投票した人たちと相似形をなすのでは…」というようなことを言っていた。

ニュースの後はてなブログを開いたら、偶然ぴったしのタイミングでReikoさんが消えることのない光を求めて 『ヨーロッパ・コーリング』『いまモリッシーを聴くということ』(ブレイディみかこ) - 快適読書生活という記事を書いていた。ブレイディみかこさんといえば、Yahoo! ニュース個人ブログに記事が載るので私もタダで読んでいる。その記事をまとめ、『ヨーロッパ・コーリング』というタイトルで出ている本を紹介してくださったのだ。

「いまや、それは階級政治だ。ギリシャ危機はファイナンスや債務返済の問題ではない」(ケン・ローチ)の記事は当時読んでいる。国民投票の1年前、まだ2015年の記事なのに今読み返してもおもしろい。

当時、ギリシャに共感を寄せる様々な動きや反緊縮ムーヴメントがあって、EUのボスたちにとっては邪魔だったのだ。

(引用)

英国でEU離脱を訴えているのは移民制限を訴える右派のUKIPだが、緊縮や今回のギリシャ問題では英国の左派もかなりEUに反感を抱き、失望している。このまま右と左の両サイドから徐々に浸食されていけば、EU支持者はどのくらい残るのだろう。

ギリシャを世界の笑いものにして勝ち誇っているEUは、自分たちの足元に深くて暗い墓穴を掘っているかもしれない。

今まさに「深くて暗い墓穴を掘っているかもしれない」な。Reikoさんも同じ箇所を引用している。

他にもおもしろい記事がたくさんあるがキリがないので。たとえば『「勝てる左派」と「勝てない左派」』など大きくうなづくものだ。ネットで読めるので興味のある方はぜひどうぞ。私は熱烈に「勝てる左派」を待望する。

 

北海道の女子高生がフランスで主役だった話

Twitterを見ているとおもしろいことに遭遇する。フランスは今年春から夏にかけて3カ月以上も毎週鉄道のストライキをやっていた。というのは、赤字をなんとかしなくちゃいけないので、政府がありとあらゆる改革案を押し付けてきたから。民営化とか赤字路線を削るとか、また鉄道市場への他国の参入を認める、国鉄職員の優遇制度を一部廃止・・・とにかくものすごくたくさんの締め付けを。それに反発してストは長引いた。

あるフランス人が「日本では女子学生一人のために電車を走らせているよ」とツイートした。これがちょっとバズったのだ。

この話、みなさんご存じだろうか。私は当時ベルギーにいて大きな話題だった。だから記事にもした(2016年1月18日→)北海道の秘境駅・クマのぬいぐるみCM・見向きもされないジョニー・アリデー - ベルギーの密かな愉しみ

北海道の旧白滝駅を通る路線が廃線になる予定。その駅を利用する乗客はたった一人。それは高校生の原田華奈さんで通学に使っている。それなら彼女が卒業するまで待ちましょうということに決まった。実にいい話だ。ベルギーでは仏蘭語両方のTVと新聞で報道された。異例の取り扱いだと思う。

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 フランスでも報道があったので男性はこれを引用し、これこそ公共交通機関のサービスさ、とツイートした。

 19,521件のリツイート 22,309件のいいね179件の返信があった。

この反響に対し、ルモンド紙が手を上げ、この女子高生の特殊ケースについて詳しく解説した記事を掲載 (2018年3月19日)。ま、それでフランスのみなさんも納得したみたい。

www.lemonde.fr

 でもこの話いいですよね。私は泣いたもん。

 今日はここまで。またね~!

🌸次の記事

cenecio.hatenablog.com 

🌸 参考:まとめ記事もあります。

たった一人の女子高生の卒業と同時に廃止になる駅が「なんか涙出てくる」と話題に - NAVER まとめ

追記:2019年3月

Queenとマレーネ・ディートリヒ&マルクス兄弟 フレディ-3- &トリビアなど

今日はいろいろな話題です。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』は大ヒットらしい。一人で数回も見に行っては細部についてSNS上で意見交換している人たち。ハッシュタグ#もっとクイーンが好きになるトリビアにもQueen愛と興奮と熱狂が渦巻いている。第三次クイーンブームが来たんだなと実感している。また、この私のささやかなブログでも、前に書いたクイーンの記事2本に、合わせて1万以上のアクセスがあって、正直驚いている。

上記ハッシュタグや皆さんのブログから私も多くを教わった。貴重な豆知識の数々や私が思いもつかなかった視点・分析があって時間を忘れてしまう。ほどほどにしないと日付けが変わってしまうので要注意だ。

 

マレーネ・ディートリヒ

https://www.fashion.at/culture/marlene3-2003.jpg

https://www.fashion.at/culture/marlene3-2003.htm

イギリスの写真家ミック・ロック氏https://www.mickrock.com/がフレディにこのポーズをさせて写真を撮りたかったらしい。フレディ一人のモノクロ写真もあるし、勿論この「クイーン II」の有名なジャケットも。

https://pbs.twimg.com/media/DsH2g7EVYAANkmm.jpg

https://www.amazon.co.jp/Freddie-Mercury-Magic-Mark-Blake/dp/1495030113

ファンなら当然のごとく知っていたことかもしれない。でも私は映画の中で部屋の壁にディートリヒが貼ってあるのを見て「おや、もしかして?」とやっと気がついたのである。そうしたらハッシュタグの中の人が解説してくれていた。ありがたいことである。

すぐに夫に教えた。というのも夫と義父はマレーネの大ファンで、映画はほぼ見ているだろう。レコードも持っているし、何より1974年に中野サンプラザでコンサートがあったとき、二人で最前列で聴いている。同じ列には坂本九さん由紀さおりさんら日本のスターが席を埋めていたとか。ちなみにディートリヒは1970年大阪万博のときにもコンサートを開いている。

https://i.gzn.jp/img/2017/06/21/marlene-dietrich-legacy/007.jpg

ディートリヒの写真は↑こちらのほうが断然有名だと思う。しかし我が家で馴染んでいるのは、『間諜X27』(1931年 )のフランス版ポスターである。

f:id:cenecio:20181125162543j:plain1985年パリ

今アルバムからスキャンしてきた。1985年の長男と壁に貼られた『間諜X27』。なぜ映画のポスターが家にあるかというと、あまり大きな声では言えないが、ある日、雨風のせいで剥がれかかっているポスターを「このまま下に落ちてしまったら可哀そうだから」と夫が持ちかえったのである。昔はポスターは壁にじかに糊で貼ってあるだけだった。

こうしてうちの子どもたちはマレーネ・ディートリヒを見ながら、そしてもうひとりの大女優、リリアン・ギッシュリリアン・ギッシュ の美しいモノクロ写真を見ながら育ったのである。

 

マルクス・ブラザース(Marx Brothers)

みなさんご存じだろうか。若い人に聞いてみると、チャップリンは見たことがあってもマルクス兄弟は知らないらしい。

うちにはコレクションBOXがあり、昔ビデオカセットに録画したものを合わせるとほとんどの作品がある。

『オペラは踊る』(1935年)は20年くらい前にNHKで放映された。それを録画したのがあってつい最近娘と一緒に見たのは、クイーンとの縁を教わったからである。

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A Night at the Opera

 『オペラ座の夜』『華麗なるレース』がマルクス兄弟と密接な関係があるとは!

”A Night at the Opera” 名前が同じなのは知っていた。クイーンのほうは『オペラ座の夜』、マルクス兄弟のほうは邦題『オペラは踊る』。しかしクイーンのメンバーはアルバム制作中、気分転換に映画『オペラは踊る』を見たこと。またクイーンが1977年にロサンゼルスにいたとき、グルーチョ・マルクス(1890年 - 1977年グラウチョと書くことも)と会ったことは初めて知った。グルーチョは自宅にランチに呼んでくれたそうだ。

1977年というのが驚き!グルーチョが亡くなる年ではないか。(写真:youtube

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QUEEN Drummer ROGER TAYLOR - “We Sang “’39” For GROUCHO MARX” - Bravewords.com

www.youtube.com

(↑ロジャー・テイラーがいきさつを語っている。私は英語の聞き取りが苦手なのでいつも英字幕を表示する)

*クイーンネタはここまで。下におまけがあります。

 

そのほかの話題です。

1.107歳の自転車乗り

去年105歳のフランス人男性が現役の自転車選手、という記事を書いた。ウルトラ超高齢者のフランス人自転車乗り・オバマクッキー・鉄道の話 - ベルギーの密かな愉しみ

このマルシャンさんは翌年106歳で「引退」した。そして今年もお変わりなくとてもお元気で、先日107歳のお誕生日を迎えたそうだ。そんなことが大きなニュースになるっていいね。

1911年生まれのマルシャンさんは、1914年第一次世界大戦の始まりに、プロイセンの兵士がとんがった頭立のついたヘルメット「ピッケルハウベ」をかぶって、自分の町に入ってきたのを見たと話している。

2.風呂敷

https://pbs.twimg.com/media/DqsORo5WwAYvdYM.jpg

風呂敷がパリを席巻した。

ああそれ、テレビで見たわ~という方もいらっしゃるのでは?そう、今年は日仏友好160年ということで、70くらいの企画を立て、日本文化を広く紹介している。こちら公式twitterをどうぞ。ジャポニスム2018 (@japonismes2018_) | Twitter

あるとき、パリ市庁舎前にこのどでかい風呂敷が出現した。写真はパリ市長イダルゴさんのTwitterからお借りしている。

 おしゃれで究極のエコバッグである風呂敷。いろいろな人がデザインしたり

https://pbs.twimg.com/media/Dq3zkuBVAAE-t57.jpg

街なかの彫像に持たせてみたり

https://tabizine.jp/wp-content/uploads/2018/12/215015-03.jpg

バゲットを包んだり

https://pbs.twimg.com/media/Dq66ckmWkAAWDTO.jpg

 大盛況だったらしいですよ。

今日はここまで。

 

🌸メモ: 東京新聞朝刊11月28日

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🌸トリビア集その2

メモ みなさんのtwitterから

 

www.youtube.com

#スター千一夜 

石ノ森章太郎 

卒業後の進路欄 

先輩のハトさんありがとうございます。

ロジャーの女装  

 

Myomian ラプソディ Nyemama Myomami 🎶

 

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www.youtube.com

www.youtube.com

 

 お料理本まで?

http://www.freddiemercurysroyalrecipes.com/bundles/applicationapplication/images/books.png?1538378355

フレディ・マーキュリー という薔薇 

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51ZEK%2BxOTWL._SX425_.jpg

https://www.amazon.co.uk//dp/B0026MH3SC

 記事

gendai.ismedia.jp小栗 勘太郎
headlines.yahoo.co.jp

 引用

最後に、この音盤のタイトルについて。

 ある夜、録音の途中で意見の対立からどうにもならなくなり、最低の気分になっていました。片田舎のロックフィールド・スタジオゆえに、繁華街に繰り出すこともできません。が、プロデューサーのベイカーの別荘が近場にあったので、そこで休憩となりました。たまたま、居間のビデオ・デッキに入っていたのがマルクス兄弟の映画『オペラ座の夜』だったのです。険悪な雰囲気だったのがこの喜劇で一気に場が和んだといいます。それで、この音盤のタイトルが『オペラ座の夜』に決まったのです。この展開もクイーン的です。

 今週末は、ロック・ミュージックの進化を体現する音楽の絵巻『オペラ座の夜』を徹底的に聴き倒してみてくださいませ。

小栗 勘太郎 :音楽愛好家

www.youtube.com

 Queen Live Aid 1985 - BackStage

www.youtube.com

 エイズについてheadlines.yahoo.co.jp

 引用

エイズと芸術活動

 フレディ・マーキュリーの他にも構造主義から出でたポスト構造主義者として名高い哲学者ミシェル・フーコーポップアートの旗手だったキース・ヘリング、スタジオ写真の鬼才ロバート・メイプルソープなど多数の有名無名の芸術家がエイズで死亡している。彼らの多くは同性愛者か薬物常用者であったが、同時に高い知性で自分の病気の状態と予後を理解しており、エイズが晩年の芸術活動に何らかの影響を及ぼした可能性がある。どの人も現在だったら助けられるのにと思うことしきりである。

◯早川 智(はやかわ・さとし)医師

🌸ジャマイカのラプソディ Jamaican Rhapsody

www.nicovideo.jp

🌸子どもたちの学芸会仕立てというイギリスのCM!

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マーク・マーテル

🌸この一連のツイートがおもしろい(2019年2月3日) 

 

日本のドンキホーテ・山本太郎の闘い#BEYONDTHEWAVES(ベルギー映画)

今日は、ベルギーのアラン・ドゥ・アルー(Alain de Halleux)監督のドキュメンタリ映画”BEYOND THE WAVES”(2018年)を紹介する。主役は参議院議員山本太郎氏。ベルギーでは今年の2月に封切られ、日本では昨日25日、京都大学で初の上映という運びとなった。残念ながら私はいまだ見られていない。東京の上映も満席で受け付けてもらえなかったので。次回に期待している。

*追記:11月28日 キャンセルが出たので行けることになった。12月1日見てきます。

普通映画を見たらレビューを書くのだろう。私が見てもいないのに今日この記事を書くのは、自主上映を促す一助となれば、と思ってのことである。

しかもこれは4月に書いた記事に加筆・修正したものである。当時Facebooktwitterに載せてくださった多くの方々に心からお礼を申し上げたい。ありがとうございました。(前記事は削除しました🙇)

 

山本太郎の闘い

かつて俳優だった山本太郎。趣味はサーファー、乗り。タイトルの”BEYOND THE WAVES”もここから来ている。人生を謳歌し、お気楽な生活を送っていた男は2011年3月、波は波でも東日本大震災津波によって目を覚まされる。そして福島原発事故を契機に反原発運動を開始し、芸能生活とも縁を切る。2013年には参議院議員選挙に東京都選挙区から無所属で出馬して当選した。その後は日本社会の歪み、様々な問題を提起し、議会でも街頭でも抗議活動でも日々奮闘している。高い強固な壁にぶつかっていく・・・といっても山本の場合比喩ではなく、本当に警察のバリケードに向かっていくこともある。その様子はまさに「ドンキホーテ」の姿に重ねられ、「原発に戦いを挑む日本のドン・キホーテDe Japanse Don Quichot die tegen kernwapens vecht | De Tijd

というタイトルのオランダ語レビューがあり、私のタイトルもそこから取った。

原発運動の山本は、ひときわ目立つ特異な存在として、福島のドキュメンタリ映画を撮っていたアルー監督の目に映っていた。のちに山本のもとに赴き、企画を持ち込んでこの映画が作られる。山本の強烈な個性と行動力、熱い想いや怒りと共に沖縄までも追いかけていく。

アルー監督は『チェルノブイリ・フォーエバー』『福島へようこそ』などの作品ですでに幾つもの賞に輝いている人で、1957年生まれの61歳。ルーヴァン・カトリック大学で原子化学(Sciences chimiques /nucléaire)の学位を取る。その後ベルギー国立高等舞台芸術学校(INSAS)を卒業した。

 

ベルギー版の予告編

www.youtube.com

Sphinx cinema 2018/01/22 に公開)

ベルギー版の映画紹介をざっくり訳しておく。(原文オランダ語

BEYOND THE WAVES山本太郎という男の輪郭を描き出す。もと人気俳優で現在国会議員、日本人としては非典型の男。彼の日々の闘いを通して、日本という国の姿が鮮やかに描き出される。それは、ナショナリズムが勢いづき、外国人排斥が声高に叫ばれ、再軍備を狙う日本の姿である。そうした流れに抗う男の目に映る日本の一面を映し出す。

太郎の闘いに伴走しているうちに見えたもの、それはわれわれ自身の姿、鏡に映し出された像ではないのか。日本はベルギーとかけ離れた遠い国なんかじゃない。われわれは自分で思っているよりもずっと山本太郎に近いのだ。

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アラン・ドゥ・アルー監督

Alain de Halleux - Réalisateur(-trice) - sur Cinergie.be

https://www.cinergie.be/picture/personne/original/images/personne/_d/de-halleux-alain/1.jpg

 サイト内にあるお写真。↓猫と一緒のがすごくいいと思う。

https://www.cinergie.be/picture/personne/original/images/personne/_d/de-halleux-alain/alun.jpg

 

フィルモグラフィー

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『福島へようこそ』予告編

www.youtube.com

『福島へようこそ』ポスター

http://img.over-blog.com/353x500/4/91/86/69/WTF_Poster_1.2.jpg

福島へようこそ Welcome to Fukushima - MESSAGE IN A BOTTLE

↑サイト内で全編が見られる。

 

京都大学での上映会(2018年11月25日)

iwj.co.jp

引用

 福島原発事故後、俳優から参議院議員となった山本太郎氏の活動を描いたドキュメンタリー映画 “Beyond the Waves”(ビヨンド・ザ・ウェイブス)の日本初上映会が2018年11月25日(日)、京大11月祭開催中の京都大学吉田南キャンパス(京都市左京区)で開かれ、上映後、監督のアラン・ドゥ・アルー氏と出演した山本太郎氏が来場者の質問に答えた。京都大学社会科学研究会ピース・ナビが主催、ビヨンド・ザ・ウェイブ自主上映連絡会が共催した。

映画上映に続き、スカイプを使って監督と会場を繋いで質疑応答があり、山本太郎氏もいらして質問に丁寧に答える、しかもそれをTwitcasting録画で見られるという、実に充実した企画である。委員会の皆さんに心から感謝します。お疲れさまでした。

東京では専修大学にて12月1日、尼崎市2019年1月14日、ほか熊本、広島でも上映予定。

 

監督のお話(質問に答えて)

忘れないようにちょっとメモしておこう。

チェルノブイリの映画『チェルノブイリ・フォーエバー』が完成した2週間後に福島の事故が起こった。日本の友人からドキュメンタリ映画を撮ってほしいと頼まれたが、もう原発は嫌だ、こりごりだと断った。しかし何度も懇願され、ついに折れて『福島へようこそ』を作った。そのとき太郎さん(*このように呼んでいる)に出会う。

日本での映画制作において印象的なことは?と聞かれ、こう答えている。日本では排他的な風潮が、とか国粋主義が高まり…などと思っていたのに、ベルギーに帰国してみたらヨーロッパも同じだった。それが驚きだった。世界中で同じ現象が起きていたのだ、それを理解するのに「日本」が役にたった。理解が自分のなかで一層深まることになった。

問題は人々が真実を見ようとしないことだ。向き合わないことだ。否定する。たとえば放射能は見えないが、結果や影響は見えるのに見ようとしない。私が伝えたいことはみな太郎さんが言っている。彼は社会の様々な問題を直視し、人々にも目を向けさせる。

https://www.campingdelaplagebenodet.com/usermedia/photo-636247393468802741..jpg?dummy=0&crop=true&w=600&h=390

砂の城の喩えが印象的。

砂の城は一生懸命作っても波にさらわれ、なくなってしまう。だが作っている最中はそんなことは考えない。波になんか負けない、勝つぞという心意気で作っている。少なくとも子どもはそういう気持ちを持っている。

それと同じことが映画制作にも言える。自分が選んだこの道で世の中を変えたいと思っている。変えるつもりで作っているし、変えようと闘っている。勝ち負けは関係ない。勝ちにはこだわらない。いつでも闘うのだ。

太郎さんも同じで、ファイティング、闘うこと自体に意味を見いだしている。太郎さんに聞いてみたら、俳優業でサーフィンやっていた頃より今の方が幸せだと言っていた。私も同じ。太郎さんは毎日何時間も仕事をしている。私もそうだ。私も太郎さんと同じように幸せだ。(ざっとこのような内容です)

 

🌸映画「ビヨンド・ザ・ウェイブス」の自主上映に関するサイトはこちらです。

https://btw.tokyo/wp-content/uploads/2018/09/web_cover.jpg

ビヨンド・ザ・ウェイブス自主上映連絡会 | あなたの町のビヨンド・ザ・ウェイブス自主上映会をお手伝いいたします。

 

🌸専修大学上映会 ポスター

楽しみです。

https://pbs.twimg.com/media/Dp1Hl3vWkAAVUI0.jpg

アッシュ監督のツイート(上映当日、たまたま通路挟んで私の右側に座ってらした)

ツイッターから拾いもの。どなたかわからなくてすみません。 

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Queenフレディ・マーキュリーの日本愛やボディガード氏の話など フレディ-2-追記:クイーン阪神淡路被災地へメッセージ

*前回映画『ボヘミアン・ラプソディ』観た日は祝祭日。フレディ-1- -の続き。今日は写真が多いです。2019年9月の追記もあります。

 

ボディーガード氏に感謝。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中に、フレディの邸宅「ガーデンロッジ」内部が出てくることは前にお話した。(1986年に東京で金箔模様の和紙を100万円分爆買いした話など。前回記事参照)

壁に貼ってある「金閣寺舎利殿御守護」というお札は観客、それも日本人だけが笑えるところだ。他にも浮世絵や薩摩焼など日本で買いあさったものがたくさん飾ってある。

ついでに庭も見せてもらいたかったが、映画セットのためだけの造園はさすがにお金がかかり過ぎるんだろうか。しかし実際の写真はあるので、ちょっとファンサイトからお借りしてこよう。

↓この俯瞰した写真はありがたいなあ。邸宅は20数室も部屋があるんだそう。

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Primeiro Fan club do Queen No Brasil: Garden Lodge, Logan Place 1 - O lugar onde Freddie Mercury morava

桜が咲いてきれい。チェリープラムかな。池には錦鯉が泳ぎ、石灯篭もあったそうだ。こじんまりした日本庭園を作りたかったのだろう。

1986年にはパートナーのジムと二人だけで日本を訪問した。あちこちで大量の買い物をし、そのせいでホテルの部屋は品物で溢れたと読んだことがある。

そのとき小石川後楽園を訪れ、庭づくりの参考にしようと写真をたくさん撮ったらしい。なんと小石川後楽園とは!我が家と同じ区にあって自転車で簡単に行ける距離だ。86年はもう私は帰国していたのに。ああ、知ってればなあ…なんて想像して胸をときめかせてみる。

ありがたいことに、そのときの秘蔵写真を公開してくれた方がいる。初来日から最後の滞在まで公私7回にわたりボディガードを務めた、警備会社「東京パトロール代表取締役伊丹久夫さんだ。記事はこちら。QUEENフレディ・マーキュリーの大盤振る舞い 日本人ボディーガードが明かす (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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ちょっと引用してみると

メンバーはボディーガードを大切にしてくれました。私たちと通訳だけが招かれて食事をすることも多く、おかげで京都の吉兆や博多の屋形船などでご馳走になりました。来日のたび、プレゼントもいただきました。カルティエの置時計、ライター、カフスなど。フレディさんは『イギリス人は、信頼を置く人にはカルティエを贈るんだ』と言ってました。離日する日に空港に向かう車で店に寄って『イターミ、腕時計を選べ』と言われ、一番安いのを指さしたら、『こっちにしろ』と一番高い時計を買ってくれました。

 82年の西武球場公演でのこと。ビップルームに呼ばれて行ったら、豪華なケーキがありました。私の会社の設立10周年を祝うサプライズパーティーだったんです。『イターミには内緒だぞ』とスタッフに命じて、ホテルオークラにケーキを作らせ運んだそうです。

この証言からフレディの人となりがよくわかる。伊丹さんはフレディからもらった腕時計をいつもつけているそうだ。彼が亡くなったときはどんなにかショックだっただろう。

 

庭師が羨ましい。今彼はどこに?

さて、ロンドンに戻るとフレディはガーデンロッジの庭づくりに取り掛かる。そのために日本人庭師を雇うのである。高原竜太郎さんという方。このとき22歳。

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Primeiro Fan club do Queen No Brasil: Garden Lodge, Logan Place 1 - O lugar onde Freddie Mercury morava

(写真:上と同じファンサイトから借りている。他にもいろいろな写真がある)

高原氏は山口県萩市出身1964年生まれ。実家は生花店を営む。現在の京都造形芸術大学を卒業後イギリスに渡る。帰国後は「踊る生け花師」という異名をとり、生け花・パフォーマンス、フラワー・アーティストとして活躍している方のようである。

イギリスやスコットランドでパフォーマンスを行っているときに、フレディ邸の庭園を制作してくれないかと頼まれたらしい。それにしても凄いラッキーな出会いだこと。羨ましいな。いろんなお話聞かせていただきたいところだが、最近の消息は調べがつかなかった。

 (追記:高原氏、こちらで熱く語っていらっしゃいます。2019年9月8日記事(*'▽')☞「フレディ邸で一番偉いのは猫ちゃんでした(笑)」──フレディ邸の日本庭園を造った男・高原竜太朗トークイベント・リポート | NEWS | MUSIC LIFE CLUB

 

邸宅は、フレディのパートナーだったことのある、そしてフレディが最も厚い信頼を寄せる女性メアリーが家具ごと相続したという。内部が見られるのは嬉しい。MARY’s PHOTO IN THE HOUSE | FREDDIE MERCURY Special tribute

https://freddiemercury4ever.files.wordpress.com/2009/09/mary4.jpg?w=314&h=423 

こちらはパーティの準備をしているフレディとメアリー。
fuckyeahmercury: Freddie hosting a dinner party... - random thoughts: queen, life, and everything

写真:Terence Spencer(1977)

https://66.media.tumblr.com/416f664d2f5fca18186367be7dccc634/tumblr_n68s7gC55g1qdslbvo4_500.png

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fuckyeahmercury: Freddie hosting a dinner party... - random thoughts: queen, life, and everything

とっても幸せそう!このころすでに壁には浮世絵などがたくさん。

 

2年前に“Dangerous Minds ”が、Queenの来日時の写真や切り抜きを集めて特集している。1975年と76年の来日のようすがよくわかる。3枚だけお借りしよう。

dangerousminds.net

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見た事のない写真もたくさんあった。武道館コンサートのチケットの写真まで。興味のある方、ぜひ中をどうぞ。

 

テレグラフ紙記事。フレディのお母さんにインタビュー。フレディのアルバムを見せながら語るJer Bulsaraさん。

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https://www.telegraph.co.uk/music/interviews/freddie-mercurys-mother-losing-dear-boy-didnt-have-say-anything/

お母さんは2016年に亡くなった。

 

ほかにもTwitterは宝の山で、見るのが楽しくて泣いたり笑ったりでほかのことが何もできない(笑)。ちょっとだけ挙げてみる。

 

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 ツイートしてくださるみなさん、本当にありがとうございます! 

ペプシのCM

Britney Spears, Beyonce & Pink - We Will Rock You (Pepsi)

ブライアンとロジャーが出ています。探してみてね。

www.youtube.com

ハッチポッチステーションハッチポッチステーション - Wikipediaの名物コーナー

子どもより大人たちがはまっていたというグッチさんの名人芸。うちも子どもを押しのけて私が堪能した。

www.youtube.com

ジャマイカ❣❣❣

 凄いね、ピカちゃん。フレディが見たら喜ぶだろう^^

 

ちょっとずれるけれど、

北海道の9歳ドラマ―よよかさん、恐るべし!

クイーン”Stone Cold Crazy”をカバー👍 

💛ブライアンからのメッセージ 💛

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🌸追記:なんと  クイーンのみなさんが 被災地へのメッセージをくださっていたことが判明。1995年1月30日。ジョンもいるのが感激です。

 追記:2019年3月11日

 クイーンメンバーに改めてお礼を申し上げます。

 

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cenecio.hatenablog.com

🌸追記:2019年2月25日

www.asahi.com

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https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190219003194.html

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https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190219003233.html

 追記:3月1日

追記:おお、来た~!ボヘミアン以前のクイーンのドキュメンタリ

 

« Queen Behind the Rhapsody » : le Queen d’avant « Bohemian Rhapsody »

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毎日1ダースもの歌を作ってるよ。

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映画『ボヘミアン・ラプソディ』観た日は祝祭日。フレディ-1- &トリビア集

クイーンの歌を聞くことは自分の大学生時代にタイムスリップすることだ。1975年の来日は大騒ぎだった。テレビ、新聞、雑誌・・・クイーン狂想曲だった。「ビートルズ並み」と言われたけれど、私はビートルズのことは不思議なくらい覚えていない。

それで行ってきました、フレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』。朝一の9時半なのに、お年寄りから小学生くらいの子連れ夫婦、学生らしき若者がいっぱい来ており、熱気がむんむんしていた。この映画は私たちの平凡な日常にプレゼントされた祝祭のようなものだからね。お祭りに参加するのに年齢は関係ないし、どんな楽しみかたをしてもいいわけだし、映画評論家が低い点をつけても全然気にならない。

www.youtube.com

私は別にクイーンの熱狂的なファンというのではない。それでも公開日を楽しみにし、お祭りが近づいてくるのを日に日に感じていた。感じる?それは過去記事フレディ・マーキュリーと和紙 ルリユール製本 - ベルギーの密かな愉しみをのぞきに来る人が次第に増えてくることでわかるのだ。フレディが和紙を爆買いしたエピソードを書いたのだが、それもフレディが訪れた東京日本橋の和紙専門店「はいばら」の前に立ったとき、突然思い出したことである。翌日は「クイーンの日」ということで、短い記事を書いたら多くの人がブログを訪問してくれた。Jennyさんjflkg4uは武道館コンサートに行ったことを教えてくれた。羨まし過ぎる。

はいばらで応対した人が証言するには、フレディは金箔模様の和紙を100万円分購入し、それでロンドンの家の壁を張り替えるということだった。この「壁紙」の話はまたあとで。

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(写真:約9000円。合成皮革。ベルギーのサイト↓でお求めください。今日からあなたもフレディ!Bohemian Rhapsody : le shopping pour se la jouer comme Freddie )

 

映画はすごくよかった。簡単な感想を書いておく。ブライアンは驚くほど似ていた。フレディ役のラミ・マレックは最初は違和感(フレディはあんなに歯は出ていないですよ)があったのに、進むにつれてフレディにしか見えなくなった。イギリス人が、マレックのイギリス英語の発音がダメ(マレックはロサンゼルス出身なので)だと難癖つけているが、フレディのしゃべり方をよく真似ていたと思う。予想をはるかに超えるすばらしい役作りをしていた。キレのある体の動きから小さな仕草まで、どれだけの時間をかけて研究しただろうか。また彼自身エジプトにルーツがあり、社会のマイノリティに属しているからこそ翳の部分が深く理解できるのだろうと思った。フレディの孤独やアイデンティティの模索などを…。フレディの生きたころは、人種差別や性的マイノリティへの偏見はものすごくあったから。

マレックのインタビューには、こんなはっとするような発言がある。

引用

「脚本を読み進めると、22ページ目にこう書いてあったんです。”フレディ・マーキュリー、逆さま()にピアノを弾く”。こんな難しいことがあるのかと(笑)。フレディって、何千万もの人を手の平で転がすような人です。僕にすれば超人ですよ。どうすれば人間として地に降ろすことができるのかと考えました。で、こう思ったんです。彼は何千万もの人を手の平で転がしながら、同時に誰かの手の平で包んで欲しいと願う人物なのだろうと。こう考えればフレディとつながれると思いました。フレディだって、人間臭い複雑さや、自分を見出すことに苦しんでいる1人の人間なんです。https://theriver.jp/br-jp-press/

*ここの「さかさま」という訳語は「後ろ手」の意味だと思う。 

フレディと父親バルサラ氏との関係も丁寧に描かれた。バルサラ家の物語、バンド・クイーンという家族の物語…家族賛歌でもある。フレディが生まれたのは、タンザニアにあるザンジバル島(当時イギリス保護領で、両親は、ペルシャ系インド人でゾロアスター教の信者。インド生活を経てイギリスに移住。驚くばかりの「ボヘミアン」一家であり、イギリス社会の超マイノリティーである。

父親は息子が音楽にのめり込むのが気にいらなかった。弁護士など社会で認められるまっとうな職に就いてもらいたかったのだ。父と息子は最後には和解するものの、長いこと不和だった。映画の初めのほうで父親が出てきた時、私は不覚にも早々と涙をこぼしてしまった。あの人だ、フレディの葬儀のとき、椅子に腰かけていた小さくしぼんだ老人。木でできた人形のように身じろぎ一つせず。

さいわい、映画は「エチオピア難民救援ライヴ・ライド」のコンサート・シーンで終わり、葬儀でなくて本当に助かった、涙腺が。間もなく命日、今月24日がやってくる。

映画を ライヴ・ライドのコンサートで閉め、新しいクイーン、蘇ったクイーンを強調したのはすばらしいアイディアだと思う。さあ、みんな、クイーンと一緒にまた冒険の旅に出かけよう、新しい章が始まるよ、という声明のようだった。

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↑実際のライブ・エイド写真:Freddie Mercury: His Life in Pictures – Rolling Stone

 

クイーンの魅力

私はなんといってもフレディの声、歌唱、クイーンの曲が好き。ボヘミアン・ラプソディでぶっとんでしまい、すっかり虜になってしまった。クイーンは他のバンドとは別のカテゴリーに入れている。「クイーン」というカテゴリーに。もちろん当時イーグルスとかエアロスミスも好きだったけれども。

クイーンの曲はみんなで歌えるし、ハモれるし、足踏みと手拍子だけでも歌えるところがいい。そういえば夏のサッカーワールドカップでも、優勝国フランスでは街のあちこちで We are the champions, my friends,
   And we'll keep on fighting 'til the end・・・

と歌っていた。フランス人でも歌詞が難なく口から出てくる。旗を振りながら、車から身を乗り出しながら。

クイーンはいつもそれまでの曲と違った曲作りをする。たゆまぬ挑戦や冒険心や遊び心があり、ひとつところにとどまっていることがなく、ジャンルの枠から自由なところがいい。そして20年間4人で築き上げてきた音楽は、これからもどんどん新しいファンを獲得していくだろう。

・・・というわけで私は「音楽」が好きなのだが、1975年来日当時、またはそのちょっと前から多くの女子がきゃあきゃあ言っていた、そのほとんどは、メンバー4人の、少女漫画から抜け出たようなルックスや長い髪、ひらひらの衣装や甘い声に対してだった。それもよくわかる。「きゃあ、王子様みたい」という入り方、別にかまわないではないか。あとから歌に入ればいい。確かにあんなに足が長くてきれいな容貌の人たちはそういないもの。ブライアンなんか本当に王子様に見えるもの。ロジャーなんか愛くるしい女の子みたいだった。

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大和和紀のキラ=クイーン(上の写真)というのもありましたね。

それと話は逸れるが、クイーンはちょっと珍しいほどの高学歴バンドでもあった。(詳しいことはここでは省略)

「壁紙」の話に戻る。以前twitterフレディの和紙爆買いのことを書いたら、リプが来てこうあった。

爆笑。フレディのねこが破いたろうな。

それではっとした。猫を何匹も買っていたのは知っているけれど(ピンタレスト画像で蒐集している)、たしかにうちの猫も赤ちゃんだった頃壁紙を爪とぎにして悲惨だったけれど、イギリスの邸宅を想像してみてほしい。壁紙は天井から床まで貼らないんじゃないかな。腰壁という壁の低い部分、人間の腰くらいの高さは木材が貼ってあって、それより上に紙またはクロスなどを貼るのが一般的だと思う。映画の中では着物が飾ってある部屋があった。たとえばあそこの壁に貼る。または美人画など日本画が飾ってあるところはどうかな。「金閣寺舎利殿御守護」というお札まで貼ってあったのには笑った。邸宅の再現度も高いのだろう。すごく楽しめた。

書きたいことは山ほどあるんですが、今日はここまで。

あとはおまけ^^ 

インコ 

eme.tokyo

 

 

 

 

追記 トリビアまとめ

主にTwitterからQUEENとフレディ関係をまとめています。

ダイアナ妃の男装 

https://4.bp.blogspot.com/-rrxLHogAAl8/VWo7HsrmQdI/AAAAAAAAEhc/YUtHHtFG38c/s640/freddie%2BDiana.jpg

Primeiro Fan club do Queen No Brasil: Princesa Diana e Freddie Uma Noite na Taverna

rollingstonejapan.com

 ダイアナ妃を変装させ、ゲイバー(Royal Vauxhall Tavern)へ連れ出した。--女優のクレオ・ロコス(Cleo Rocos)が2013年に出版した回顧録に載っているエピソードということだ。

 

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wow この人凄い。面白すぎる!

yuuki-rinrin.cocolog-nifty.com

ジョン・ディーコン 右2018年

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Ex-Queen bassist John Deacon is worth £105m but he's been a recluse for 30 years | Daily Mail Online

 

 

realsound.jp

SmaSTATION-3

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wow!フレディ弁当

 

戦車をめぐるアレコレ ガルパンからギュンター・グラスまで-2- (Chupki)

前回記事:第一次大戦の終わりから100周年の続きです。

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WWI tanks - Picture of Royal Museum of the Armed Forces and of Military History, Brussels - TripAdvisor

(写真:第一次大戦の戦車コーナー。ベルギー王立軍事博物館 2016年3月)

前回の「化学兵器」は第一次大戦最大の負の遺産と言われている。またこの大戦の特徴として、「塹壕戦」も挙げられるだろう。砲弾が飛び交い、雨が容赦なく兵士たちを襲い、不衛生で泥だらけの兵士たちの姿は、文学や映画にも描かれ、その悲惨な状況は私たちも想像してみることができる。

チャップリンの『担へ銃』(1918年)は、西部戦線に送られた新兵のドタバタ戦争喜劇である。当初、戦争を茶化すとは何事だと抗議もあったそうだが、チャップリンは自分の反戦思想を、戦争の滑稽さや愚かさを伝えようと強い覚悟で制作にあたった。

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BOWQxNWI0OTktNzRhYi00NDUzLWE1YTEtMTI5YWU3YmQ2ODlmXkEyXkFqcGdeQXVyNDY1NzU5NjY@._V1_SY1000_CR0,0,1355,1000_AL_.jpg

Shoulder Arms (1918)

顔面損傷

私は塹壕戦の何たるかをまるでわかっていなかった。塹壕戦は顔をやられるのだ。手や足ではなく。なぜなら塹壕から首を出して偵察したり銃撃したりするからだ。爆弾の破片や石などでも顔や目をやられる。頭を打ちぬかれれば即死だが、顔のケガ、いわゆる「顔面損傷」はその後の人生に辛く暗い翳を落とす。

報道などでご存じと思うが、戦後100年たって、負傷者の写真や医学的な資料などの著作権が切れ、隠された戦争の一面が広く知られるようになった。変形し、破壊された顔面。正視するのもはばかられる無惨な傷跡。ショッキングな写真や肖像画に加え、治療に当たった医師たちの手術(身体の他の部分から皮膚を移植したり)のようすなどもわかるようになった。

顔を失うことは死よりもつらいと兵士は語る。生きて帰れたのに自身の子どもには忌避され、家族の心にも大きな傷を残すのだ。

ある英陸軍の軍曹は、顔を撃たれたあと病院から母親に手紙を書く。それが数十通が残っている。

「自分の顔を見るたび腹を抱えて笑ってしまう」

「醜いアヒルの子を受け入れる心の準備をしてね」…など。

これは東京新聞の記事から引用した。大戦終結100年の特集記事のひとつで、よくまとまっているので紹介したい。うちは2紙購読しているのだが東京新聞は良い記事が多く、webでも読めるのでこうして人に薦めることもできる。東京新聞:「壊された顔」戦争の傷痕 英兵士手紙「封印された史実」語る:国際(TOKYO Web)

 

戦車

第一次大戦は飛行機や潜水艦などいろいろなトピックスがあるなかで、戦車はちょっと笑っちゃう。というより今から見ると、え、これが?と思うような形があって可笑しい。

ベルギー王立軍事博物館はものすごい数の収蔵品を誇り、Mark IV Male tank Lodestar IIIとか、ルノー FT-17などから始まり、いろいろな国の戦車が時代ごとに並んでいる。

戦車の登場は画期的だっただろう。「陸上軍艦」と呼ばれ、塹壕戦の打破が目的で、海軍大臣だったチャーチルが中心となって開発を進めたということだ。でもひっくり返ったり故障続きだったり、機関銃弾はへっちゃらでも大砲には耐えられなかったり、中の乗員への健康被害も問題だったようだ。(第一次大戦の話題 ここまで)

 

ガルパン(=ガールズ&パンツァー)デビュー

戦車といえば、私はガルパンノーベル賞作家グラスのことを思い浮かべる。戦車なんかちっとも興味がなかったのに、なんでまた戦車に乗る女子高生のアニメを見に行くことになったのか。(ガールズ&パンツァー - Wikipedia

去年の春、山手線(東京都心を環状運転する電車)がガルパンでラッピングされたことがある。車体も中づり広告もすべて。今ちょっと画像を探して借りてきた。

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https://kk1up.jp/archives/n98921.html

なんなんだ、これは?

というのも私はまだ「ガールズ&パンツァー」がなんであるか知らなかった。帰宅して家族に聞いてみるとみんな知っていた。

「ああ、今ガルパンのゲームの宣伝してるね、山手線で。」

調べてみれば、iOS/Android向けゲーム『ガールズ&パンツァー 戦車道大作戦!』の宣伝で、内回り1編成だけということだった。しかしこのこともすぐに私の頭から消え去った。ゲームなんかやらないしこの種のアニメも見ないし、一生関係ないなと思ったものだ。

ところが夏になり、私が年間パスポートを持っている映画館CHUPKIにガルパンがやってきたのである。20席しかない、クラウドファンディングで作った小さな映画館。こちら↓

chupki.jpn.org

2017年8月のラインナップをご覧あれ。すばらしいではないか。

https://www.tabatime.net/wp-content/uploads/2017/08/DFYzVysUwAAfW8Y.jpg

『この世界に~』なんて何度見てもいいし、チェコとロシアのアニメーションは学生時代からファンだし。夏休みを意識したすばらしいラインナップだ。

よし、この際『ガールズ&パンツァー 劇場版』(GIRLS und PANZER der FILM2015年)なるものも見てやろう。・・・というわけで19人の若者に混じり、ヨーダよりちょっと年下なだけの私は晴れてガルパンデビューを果たしたのである。

感想は長くなるのでやめる。一つだけ言うと、フィンランドチーム、金沢港を母港にする継続(けいぞく)高校という設定がおもしろかった。また名前オタクの私としては、女子3人の名前がミカ、アキ、ミッコというのがツボだった。この名前はすべてフィンランドでは男性の名前。またクレジットタイトルを見ていると、「フィンランド語指導」という項目まであり、もちろん他の言語指導・監修もあり、細かいところまでよくできているなと思った。

 

武装親衛隊で、戦車の砲手だったギュンター・グラス

それは激震だった。

小説『ブリキの太鼓』など多くの著作があり、版画家、彫刻家でもあったギュンター・グラス(Günter Grass, 1927- 2015。1999年ノーベル文学賞)が、自分の過去を赤裸々に語る『玉ねぎの皮をむきながら』(2006年)を発表したときのこと。世界中大騒ぎだった記憶がある。私はその時、「親衛隊」だった事実がショックというより、よく今まで秘密にしていたな、苦しかっただろうなと思ったのを覚えている。

グラスは当時のごく普通の軍国少年だった。祖国が敵に包囲され、また赤軍に脅かされていると思っていたし、総統のことは純粋な気持ちで信じていたという。ナチスプロパガンダに年少の人間は感化されやすいのだ。

17歳になると武装親衛隊に入隊(17歳から許可)、第10SS装甲師団「フルンツベルク」に編入された。それ以前はヒトラー・ユーゲント下部の少年団や労働奉仕団などに所属していた。

またグラスは大変なミリタリーオタクで、日本の戦艦や空母などについてもよく知っていた。重巡洋艦「古鷹」や「加古」の装備や速度についてすぐにでも長々と解説できるほどだと語っている。

『玉ねぎの皮をむきながら』(依岡 隆児訳、集英社)はとてもおもしろい。どんな戦車に乗っていたか、戦闘はどうだったか、興味のある方はお読みください。

 

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Günter Grass: the man who broke the silence | Books | The Guardian

そういえば前にグラスのことをちょっと書いたな、と思い出したので過去記事を貼り付けておきます。

cenecio.hatenablog.com

ではまた~!